九章『彼女は涙を、彼は血を流す(2)』
「おいおいおいおいおいおい」
絶句する4人に代わって、おどけたように声に出したのはハム吉だった。10台はあろうかという車が全て真っ二つに切り裂かれていたのである。しかも何人か怪我人の姿も見られる。
「どうしたんだよ、これ」
ハム吉のつぶやきに答える声はなく、さくらが素早く車から降りて怪我人に駆け寄っていく。
「いったい何があったんですか?」
「あ、ば、化け、物、が……」
「化け物? もしかしてフブキのことですか?」
「そ、そうだ……。あ、あい、つが」
「それで、彼はどこに?」
男はフブキが去っていたと思しき方向を指差した。そちらを見てさくらは頷くと車に戻る。
「治療は良いので?」
「いいのよ。今は医者である前に、1人の人間としてユキナちゃんを優先するわ」
「じゃ、行くよ」
ひなたは車を走らせる。フブキに近づいたという手ごたえで彼は震えた。
誰か、その震えに気づいただろうか。たとえ気づいた者がいたとしても、彼の震えを止めることができるものなど、この車内には存在しなかったに違いない。
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「やべぇぞ、これ。俺、死ぬんじゃねぇか?」
政府の車両を全部破壊したフブキが駆け出すのを追いかけ、その背中を狙って発砲しながらみかげは思った。
もしかしてこいつは俺が逃げ出そうとしたら、それを狙って殺す算段なんじゃなかろうか、と。
フブキはみかげの弾丸をひょいひょい避けながら、前方を行く。
「どっちにしろ、死ぬなら死ぬで仕方ねぇ。あの野郎に傷ひとつ付けられない方が気にくわねぇ」
みかげは足に力を込めて翔ける。殺意を込めて。それを感じたか、フブキは足を止め、ぐるりと振り返った。その表情は、やはり無そのものだった。
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「ついてこれる者だけついてくれば良い」
だいちは言って、フブキが逃げた方向に向けて駆け出した。先ほどの攻撃で右腕を負傷したが、そんなことを考えている余裕はなかった。
「追うぞ」
だいちの言葉に数人が従う。怪我人はそのままでだいちは目標物を追いに走った。逃がすつもりなど、さらさらなかった。
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「あれは……」
前方の小さな集団を見つけて、ひなたはつぶやいた。
「だいちか」
ハム吉が言い、ユキナとみなみが身を乗り出して、前方を見つめる。集団はこちらに気づいたらしく、武器を構えて立ちはだかった。
「時間をとられてる暇はないわね」
さくらは言うと医療道具の入った荷物を手にして、動く車から飛び出した。
「さくらっ!」
「あなたは、さっさと“お姫様”を送り届けなさい」
さくらの笑顔を脳裏にしかと焼き付け、ひなたはアクセルを踏み込んだ。急な加速に集団は驚き、思わず脇にそれた。
――ただ1人を除いて。
「任せた」
その男の声は聞こえなかったが、ひなたは彼にそう言われたように感じた。ぶつかる直前、男は飛び上がって車をやりすごし、今しがた車から飛び出してきた女性に目を向ける。
「お久しぶりですね、さくらさん」
「そうね、だいち」
さくらは荷物をあけ、中から切れ味の良さそうなメスとそれが医療に関係ある道具なのか拳銃を取り出して、集団に向かって言い放つ。
「ここから先には行かせません。ひなたの邪魔はさせません」
それを聞いて、だいちはにっと笑った。
「ああ。そうでした。君はひなたの奥さんでしたっけ?」
「まだ、です」
「そうでしたか。好きにしてください。こうなったら四の五の言っている場合ではありませんし。フブキとみかげに加えて君の旦那も確保するとしましょう。……君を人質にして」
だいちが拳銃を構え、さくらに照準を合わせた。残りの部下たちも各々武器を構える。
「あなたのお好きなようにすれば良いわ」
車の音が彼女らの耳に届かなくなったころ、数発の銃声が鳴り響いた。
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「ふざけん、なっ」
身体をぼろぼろにしながら、それでも食い下がるみかげをフブキは静かに見つめいてた。
「て、手前……」
フブキは無表情で、みかげが握る拳銃をはじきとばした。そして、彼に止めをさそうとして、
「……」
表情は変わらなかった。みかげが袖から滑らせるようにして取り出したナイフが、フブキの頬をかすめ、血を流した。
「手前が人間で安心したぜ」
みかげは彼の身体から赤い血が出るのを確認して口笛を吹き、不敵な笑みを浮かべたまま地面に倒れこんだ。
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「役者が勢ぞろいって感じだな」
前方に転がる男を見てハム吉がぼやいた。ひなたは車を止めると、急いで降りて彼の元に向かう。
「おい、カゲ」
「あ……? あんだ、ひなたか」
倒れていた男は無理やりに身体を起こすと、はぁ、と息をはいた。身体中が怪我だらけだった。
「フブキは?」
「さぁな。先に行ったんじゃねぇか?」
「そうか」
ひなたの目を見て、みかげが口を開く。
「追うのか」
「ああ」
「やめとけ」
みかげはぶっきらぼうに言うと、ひなたの胸に拳を突きつけた。
「俺が全力を尽くしてかすり傷ひとつ負わせただけだ。手前が奴を前にしてできることなんてねぇよ」
ひなたは目を閉じて首を横に振った。諦めにも見たその表情を見て、みかげは眉をひそめる。
「それでも行かなくてはいけません」
「あ?」
「約束ですから」
ふざけんな、と言うよりも早くみかげはひなたの頬を殴った。ひなたはそのまま地面に倒れ、みかげは彼の胸倉を掴む。
「くたばれ」
「ま、待て」
震えた声だった。声だけではない。足も腕も、身体全体が震えていた。
「ああ? 手前は腰抜けのガキじゃねぇか。生きてたのか」
「うるさい」
みなみは刀を抜くと、勇気を絞る出すようにして叫んだ。
「ひな兄! 早く行って! ここは私が何とかするから!」
その言い草にみかげは苛立ち、みなみの首元目掛けてナイフを走らせた。
「だ・れ・が、だ・れ・を、ど・う・す・る、って?」
不気味なほどに感情のない声がみなみの耳に届き、
「分かった」
というひなたの声が続けざまに届いた。気づくとみかげは後方に吹っ飛ばされており、代わりにひなたがみなみの前に立っていた。どうやら、ひなたがみかげの首を後ろから掴んで投げ飛ばしたらしかった。みかげが苦しそうに咳き込んでいる。
「任せる」
ひなたはみなみの頭に手を乗せて、軽くなでてやった。みなみはくすぐったそうに、しかし、とても嬉しそうに頷くと、頬を赤く染めたまま小さく笑った。
「任せて」
ひなたも笑顔で頷くと急いで車に戻っていく。そして、なんの躊躇いもなく車を発進させた。
「おい、こら、ひな――」
みかげが言い終わる前に目先に刀の切っ先が迫った。もう、震えていない。
「不本意だけど、あんたを止める」
「あ? 手前もフブキの妹を救いたい口か」
「違う」
みなみは、すぅ、と息を吸いこんで、叫ぶように言った。
「あいつのためじゃないから。これはあくまで、ひな兄のためだから」




