八章『彼女は彼に救われる(8)』
嫌に静かだった。さくらとみなみの足音と息遣いしか聞こえない。でも、そこに確かにひなたは立っていた。いつもと変わらぬ顔(少なくともみなみにはそう見えた)のままで。
「ひなた?」
さくらがおそるおそるといった風に訊ねると、ひなたはなんとも形容しがたい表情を作った。彼はさくらの震える手に握られている刀を見て苦笑いを浮かべ、軽く頭を下げると彼女の横をすっと通り過ぎた。
そして、みなみに近づいてしゃがみこみ彼女と目線を合わせる。
「まぁ……なんだ。さっきお前が見たとおり」
先ほど彼を見たときのことをみなみは思い返した。あのときの恐怖や畏怖が呼び起こされる。
ひなたは目を伏せ、言った。
「あれが僕だ」
ただそれだけを。
しかし、みなみはいくつかのことを理解する。まず、彼はただの優しい普通の人間ではない、ということ。みなみを殺そうとした人物と同様に実は怖ろしい人間なのではないか、ということ。
だが、意外にもそこまでの驚きはなかった。つまり、彼女は信じたのだ。少なくとも自分を救ってくれた、ということは確かだったからである。
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ひなたのしてきたことや、彼の首に懸かっている賞金など、さくらが敢えて話していなかったおおむねの彼の事情を聞き終えた後、みなみは小さく頷いた。
「そう」
彼女はそう言うと、ひなたの前に立って実に大真面目な顔で語る。
「大丈夫。だって、私は私が出会ってからのひな兄しか知らないもん。昔のことなんて知らない」
にこっと笑うみなみを見て、ひなたは思わず、
「お、おお」
と洩らした。予想外の言葉だったが、ひなたはそれで救われた、と言っても良かった。自分のことを知っても、怯えの色を見せない人間などいない。彼自身がそう思うほどに、自分のやってきたことは惨かった。だからこそ、彼女がそう言ってくれたことはひなたにとってとても嬉しかった。
彼が彼女を救ったと同時に、彼女は彼を救ったのかもしれない。
だから、今度は、
「ありがとう」
ひなたの方が心の底から感謝の言葉を述べ、誇らしげに笑うみなみを抱きしめた。
「ちょ……!! ひな兄ぃ!」
みなみは突然のことに顔を真っ赤にして叫ぶが、ひなたは力を緩めない。ひなたからしてみれば、正真正銘、新しい“家族”に対する抱擁であったのだが、みなみにはそんなことは関係ない。ただ抱きしめられたという事実のみが彼女の頭を支配する。
そして、そのままの体勢で彼は言った。
「僕が守ってやる」
「えぇ?」
「お前は僕が守ってやる。何も心配するな」
ひなたがみなみを抱きしめている様子をややいらいらしながら見つめていたさくらであったが、彼のこの言葉を聞いて呆れたようにため息をつくと、そうすることが必然であったかのように空を見上げた。
青い空に雲が流れている。1つだけちぎれて漂っていた小さな雲のかたまりが、傍にあった大きな雲につながるのが見えた。
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さて、それからしばらく時は流れる。
みなみの修行も順調に進み、ひなたをある程度満足させるまで成長した。ひなたが用意した刀もそこそこ扱えるようにはなった。
ひなたの方は、みかげの動きも気になるところで、やや駆け足気味に彼女の修行につきあっていた。
「ひゃっ!」
短い叫び声をあげて、みなみはしりもちをついた。刀を構えた姿勢のまま、ひなたが凄まじいスピードで突っ込んできたので、急いで懐からナイフを取り出そうとしたところで、そうすることは叶わず彼に倒されたのだ。
みなみは、う〜、と唸りながら恨めしそうにひなたを睨む。
「反応が遅い」
ひなたは表情を変えずにそう言って、みなみの額をはじく。
「集中力が足りない」
続いて、彼女の右頬をつねる。
「動きがぎこちない」
さらに左頬をつねる。
「だが、ナイフを取り出そうという判断は良かった」
両頬をつねられて悔しそうに涙を瞳に浮かべていたみなみは、ひなたに頭をなでられて、2重の意味で赤い頬を緩ませた。
「とにかく、まだまだ甘い」
おまけに、もう一度、みなみの額をはじいたひなたは彼女に気づかれぬように、ぎりっと歯をかんだ。
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「う〜ん」
ひなたとの修行後、家ではもう1つ、さくらとの修行、すなわち“料理”の練習をすることがみなみの日課になっていた。しかし、なぜかこの料理だけはいくら練習しても一向にうまくならなかった。根本的な部分で不器用なのかもしれない。練習にずっと付き合っているさくらも苦笑を浮かべるしかなかった。
みなみは悔しそうに頬を膨らませて、自分が作ったものを睨みつける。
「まぁ、1つくらい苦手なものがあっても、ね?」
さくらの慰めもたいした効果がないようで、みなみは、ぎゅっと拳を握り締めた。
「でも、だって……」
みなみは消え入りそうな声で言う。さくらは、にこっと笑うと彼女の頭をなでた。
「まぁ、ひなたに美味しい手料理を振舞ってあげたいっていう気持ちは分かるけど」
みなみが彼女の言葉を聞いて、さくらに視線を向ける。1人の瞳がもう1人の瞳を捕らえる。
「それは、あたしの役目みたいね」
「む」
挑発的な視線を向けるさくらに、かちんとくるみなみ。何か言いたそうに口を動かすが肝心の言葉が出てこない。
「ふふっ。1つ勝ちね」
意地悪っぽく微笑むさくらを見て、
「わ、私の方が、ひな兄と一緒にいる時間は長いもん!!」
と、反論するみなみ。
「“今”はね」
動揺を露にするみなみに対して、いたって落ち着いた風でさくらは続ける。
「でも、あたしの方がずっと昔からひなたのこと知ってるわ」
「そ、それは……ずるいっ!」
瞳をうるうるさせながら叫ぶみなみを見ながら、
(少し、いじめすぎたかしら?)
と思ったさくらは、みなみの頭をぐしゃぐしゃと撫で回した。
「う〜」
涙目のまま、上目遣いに睨むみなみは、女のさくらからみても充分に愛らしかった。
「もう1回、作ってみましょうか?」
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その後、ひなたが町から出て行くことになるのだが、みなみはそれについて思いを馳せることができなかった。
無理やりという形でユキナから引き剥がされ、車に移動してすぐにひなたから声をかけられたからだ。そもそも彼女にとって、それ以降の出来事はひなたやさくらと共に2つの修行をし続けた以外は、思い出したくもない悲しい記憶であるので、それはそれで好都合だった。
みなみの有する当時の消したい記憶を打ち切るように、ひなたが口を開く。
「つまり、何日か前にみかげとフブキを見た、と」
「うん」
後部座席で力強く頷いたみなみは、あのときの感覚を思い出していた。それは紛れもない恐怖。
「やみくもに捜すのも時間の無駄かもしれませんし、近くに町か村があれば、そこで1度フブキの目撃情報について聞いてみてもいいかもしれませんね」
「そうね。この辺に現れたのならば、フブキを見たっていう人がいてもおかしくないわ」
年上コンビが言い、依然として険悪な年下コンビとハムスターは、うんうん、と頷く。そして、同じ反応をしてしまったことに苛立ったのか、2人はお互いをぎろっと睨むと、そっぽを向いた。
外の景色を見ながらユキナは眉を下げ、不安な表情のままぽつりとつぶやいた。
「……お兄ちゃん」
それが聞こえたのか、みなみはだるそうにため息をついた。彼女は少し(みなみの中では、本当にちょっとだけだが)心を痛めた。フブキに妹がいて、その子が彼を捜している。もし、あの時自分がもう少ししっかりしていれば、彼女と兄を会わせてあげる協力ができたかもしれない。
自分と同じように家族を失ったユキナのことを思い、みなみは唇をかみ締めた。それには誰も気づかない。車のガラスに薄く映った自分だけが、その光景をじっと見つめているばかりだった。
「みかげとフブキが戦ったっつうことは、ますます深刻な事態だよな」
「はい。もしかすると、だいちたちも動き出しているかもしれません」
ひなたはハム吉の問いかけに答えると、それっきり押し黙った。何かを思案するように、じっと、ただじっと行く先を見つめ車を動かした。さくらはそんな彼を横目で盗み見しながら今後の成り行きを想像する。
なんとなくではあったが、彼の厳しい顔つきを見ると良い結末を迎えることはなさそうに思えた。




