八章『彼女は彼に救われる(6)』
「えーっと……」
初めての料理。それはうまくいくとは限らない。もちろん彼女にとっても例外ではなく、フライパンの上に、数分前までは卵であった黒こげものが米と混ざって、なんだかよく分からないものができあがっていた。みなみは若干涙目で、その料理(とは言えないかもしれないが)を見つめていた。
「不器用だな」
いつの間にか、みなみの背後に立っていたひなたはフライパンを覗き込んで言う。
「ちょっと、ひなた!」
さくらが慌てて止めるが、みなみの頬を一筋の涙が伝うのを止めることはできなかった。
「ん〜」
ひなたは無造作に、それを一口食す。そして何度か頷きながら、ごくんと飲み干した。
「料理も教える必要がありそうだな」
彼は、そう言うと俯いているみなみの頭をくしゃくしゃなでる。
「とりあえず、美味いものを食って味を覚えろ」
ひなたは包丁を手に取ると、台所に立った。そして嬉しそうに微笑む。彼がこの台所に立つのも、随分と懐かしい光景だった。
「ちょっと待ってな」
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台所が焦げ臭い匂いから香ばしい香りへと変わっていく。ひなたの料理する姿を、ぽーっと見つめるみなみは改めて彼のすごさを思い知った。
「ほら」
ひなたは完成したものを皿にのせ、みなみに渡す。
「美味しそう」
彼女は思わずそう漏らした。彼が作ったのはお米を使った料理だった。お米は何かの調味料を使って炒められており、半熟の卵がその上にふわりとのっている。さらにかけられたソースからは非常に良い香りがし、これが異様に食欲をそそる。見逃せないのは、その盛り付けだった。卵の黄色とソースの赤茶色に近い色、さらに緑の野菜を皿の端にのせたその盛り付けは食べる前から見る者を楽しくさせる。
ひなたは、それを一口分だけスプーンですくうと、みなみの口に運んだ。
「ん」
みなみはその行為にやや顔を朱に染めたが、ひなたの料理をしっかりと味わった。
「美味しい」
「当たり前だ」
ひなたはにっと笑うと、もう一食分を作って皿に取り分ける。彼が作った料理は2人分。2枚の皿に盛り付けた時点で、フライパンにあった料理は綺麗になくなった。
「どうぞ」
ひなたはそれをさくらに手渡す。さくらは、やや逡巡して、
「え、でも……?」
と言ったが、ひなたがみなみの作ったものに目を向ける姿を見て何かを理解したのか、
「いただきます」
と返した。
その後、みなみの作った料理を美味しそうに食すひなたを見て、みなみが泣きそうになるくらい喜んだことは言うまでもない。
談笑を交わしながらの食事。そのひとときは楽しいもので、ひなたの顔にも終始笑顔があったが、食事が終わると彼の顔からそれが消えた。
夜が深まっていく――。
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「じゃあ、そろそろ行くかな」
夕食を食べ終わり、片付けも終わった頃だった。ひなたはそう言うと、おもむろに立ち上がった。
「ん? どこ行くの?」
みなみが外に出て行こうとするひなたを引き止める。ひなたはしゃがみこんで、みなみと同じ位置に視線を移動させる。
「まぁ……話し合い、かな?」
歯切れの悪い物言いだった。みなみは首を傾げる。
「とりあえず、お前が本当に強くなりたいって言うんだったら修行は明日からだ」
そう言って、ひなたは彼女の頭をぽんと叩くと立ち上がった。
「お前の部屋に“あるもの”が置いてあるから」
ひなたはにっと笑ってから、家を出て行く。取り残されたみなみは腑に落ちない顔をしていたが、さくらの呼びかけにしたがって椅子に座った。
「ひなたにも事情があるのよ」
優しそうな笑顔だな、とさくらの顔を見ながらみなみは思った。そして、ずっと気にかかっていたことを訊ねてみることにした。
「……あの」
「何?」
机に肘をのせて頬杖をつくさくら。みなみは、やや下方に視線を落とし、それから視線をあちこちに移す。なにやら緊張しているようだ。しばらく視線を行ったり来たりさせたあとに、さくらの瞳を直視した。
「ひ、ひな兄とは……どういう……?」
若干、顔を赤らめながら訊ねるみなみを見て、さくらは、くすっと微笑んだ。
「そうねぇ」
さくらは軽く流そうかとも考えたが、みなみの瞳が真剣そのものだったので、ふぅ、と短く息をはいてから姿勢を整えた。
「安心して。“まだ”ただの友人だから」
彼女は笑顔でそう答えた。“まだ”の部分をかなり強調して、強い意志を持って、そう答えた。
「まだ?」
みなみは怪訝そうに、さくらを見据える。
「ひなたがどうもあなたを気に入っているみたいだから、野暮なことは言いたくないけど……」
さくらの顔から笑みが消える。
「彼を独り占めしないでね」
ずばっと言い切った。みなみは、その言葉に含まれた想いの強さを感じた。そして、何も言えなくなった。きっと、この人は自分より彼のことをよく知っている。彼と過ごした時間も長い。彼に対する想いも、きっと比べ物にならないくらい大きいのだろう。だからこそ、今は何も言えなかった。自分は彼のことを知らなさすぎた。
そう。知らなさすぎた。彼はただみなみを救ってくれただけの優しい人物なのではない。
しばしの沈黙のあと、さくらがおもむろに口をひらいた。
「あの人は」
彼女はみなみから視線を外した。その瞳は少し翳りを帯びているように思えた。
「ひとりぼっちだから」
みなみにはその言葉の意味がわからなかった。ひとりぼっち……? ひとりぼっち、というのは、ひなたと会う前の自分のような存在なのではなかろうか。“周りに誰も居ない”ことを言うのではないだろうか。
「え、ひとりぼっちって?」
それを理解するのに、みなみはまだ何も知らなさ過ぎた。
孤独とは、1人で彷徨う森の中にあるのではなく、たくさんの人に囲まれている中にこそ存在するものだということを。
みなみの問いに対する答えはなかった。ただ窓を打ち付ける風の音だけが2人の耳に入ってくる。さくらの淋しそうな、悲しそうな顔を見ながら、みなみは胸騒ぎを感じた。
が、そんな彼女の心情を知ってか知らずか、さくらはいきなり不安げな表情を崩すと小さく笑った。
「あなたの部屋も用意したから、後で見てみてね」




