八章『彼女は彼に救われる(5)』
「ん」
みなみが目を覚ますと、白い天井がみえた。どうやら、ふかふかのベッドに眠っているらしい。目をこすりながら体を起こすと、見知らぬ部屋に自分がいることに気づく。
「どこ?」
まだ働きが鈍い頭を無理やり起こしてベッドからはいでる。やけに体が重い気がする。それでも何とか部屋から出ると、人の声が聞こえた。1つは聞いたことのない女の人の声。
そして、もう1つは――。
「ひな兄?」
声がする方へ向かっていくと、そこは居間であり、ひなたともう1人、綺麗で長い黒髪を持つ女の人がそこにいた。
「おっ、起きたか?」
ひなたはみなみを見つけると、にこっと笑った。
「う、うん」
女性の方もみなみを見つめて、にこりと笑う。
「はじめまして、みなみちゃん。あたしはさくら。よろしくね」
近くで見ると、みなみが惚れ惚れするくらいに可愛い人だった。恥ずかしさのあまり、みなみは彼女を直視できなかった。
「それよりも、みなみ。腹が減ったな」
ひなたはにやりと笑うと、台所を指差す。
「む」
そういえばそういうことを言っていた、ということを思い出すみなみ。
「ちょっと、ひなた。あの子、疲労で倒れたんでしょ? そんな無理強いさせちゃだめよ」
さくらがひなたに向かって言うが、彼は悪びれた風もなく、けろりと言い放った。
「うちの“家族”になるなら、料理はできないとだめだ」
家族という言葉を聞いて、みなみは拳をぎゅっと握り締めた。
「何が家族よ。どれだけ長いこと顔を合わせてなかったと思ってるのよ。……ま、最後に会った日はなんだか思いつめた顔をしていて心配だったけど、それも吹っ切れたみたいだし、別に良いけど」
さくらは軽い愚痴を含めてひなたに言う。彼は小さく頭を下げて謝ると、みなみに向かって言葉をかけた。
「さくらに教えてもらえ」
ひなたの言葉を受けて、さくらはみなみに近づくとその手をとる。
「一緒に作りましょうか?」
「あ、はい」
そうして2人は台所に消えていき、1人残されたひなたは窓の外に映る闇に目を向け、そのまましばらく、ぼーっとしていた。
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みなみが気を失った後、彼女を肩にかついで町に戻ったひなたは、とある家の前で立ち往生していた。
(なんて言えばいいのだろう……)
無難に、ただいま、というべきか、あるいは、ごめんなさい、か、などと考えながら家の前に立つ男。端から見れば怪しさ抜群だったが、ひなたは真剣に悩んでいたのだ。
彼が訪ねようとしている家に住む人物の名は、さくら。かつて彼がこの町に連れてきた女性で、定まった家を持たないひなたはちょくちょく彼女に世話になっていた。
フブキの動向を伝えるニュースが増えたために、最近は外に飛び出すことが多くなったひなたは至る場所で様々な問題を起こし、いくらか新聞沙汰にもなった上、賞金額も跳ね上がった。無論、そのことは彼女も知っているだろう。
彼女には、そういう自分の一面を見られたくない、という思いがどこかにあったのかもしれない。ほぼ完全に狂い始めたみかげと共にいることで理性を失いつつあった自分だが、さくらのことを忘れたことなどなかった。
そんな自分が今、彼女と会っても良いのだろうか。いや、彼女に何か言われるのが怖かっただけかもしれない。
数分ほど、ぐだぐだと悩みつくした後、彼は意を決してチャイムを鳴らそうとし――
その手前で指を止めた。
彼女のこととなると情けないほどに決断力に欠けるひなたのため息と、家の物陰からのため息が重なった。
そこは家の側面にあたる壁で、ひなたからは死角となっていた。彼が視線をそちらに向けると同時に買い物袋を掲げたさくらが姿を現し、ひなたは思わずみなみを落としそうになる。
「久しぶり」
彼女は、そう言って鍵を開けた。見慣れた光景がひなたの目に飛び込んできた。
「あ、あの、さ……」
さくらに続いて部屋に入ったひなたは、気まずそうにそう声をかける。
「その子は?」
しかし、さくらはそれを無視して問いかけてきた。相変わらず、こちらを向いてはくれない。
「え? あ、この子は、みなみと言って……」
「新しい住民になるの?」
「あ、うん。それで、できればさくらのところに置いてやって欲しい、かな?」
ひなたは内心の動揺を隠しきれずにそう言う。居間に入っても落ち着かないひなたは、みなみを抱えたまま、うろうろしていた。さくらは買い物袋を台所に置くと居間に戻り、そんな彼の様子を見て、呆れたように微笑んだ。
「とにかく、その子を寝かせてあげたら?」
「そ、そうだね」
ひなたはその言葉に弾かれたように居間を飛び出すと、かつてひなたが使っていた部屋に向かった。扉を開けて、彼は口を開いたまま固まる。長い間、訪れていないというのに、そこは綺麗なままだった。人気がなければ、自然と汚れは溜まるものだ。しかし、ここは違う。普段からまめに掃除でもされているのか、いつひなたが帰ってきても大丈夫なようになっていた。 彼はそれを見て、何かが吹っ切れたかのように笑うと、みなみをそこに寝かして居間に戻った。
居間には椅子に座ったさくらがおり、ひなたは机を挟んでその向かい側に立つと、頭を下げた。
「ごめんなさい」
さくらはそれを見て何も言わずに、じっと彼を見つめる。ひなたが頭を上げたときも、彼女はまだ彼のことを見つめていた。ひなたは凝視されていることにわずかながら怯んだが、それでも彼女から目を離さずに黙りこくる。
「バカ」
「は?」
さくらは小さな声でそう言うと、立ち上がってひなたに近づいていく。そして、彼の頬を一発はりつけた。
「ここに戻ってきたってことは、少しは頭が冷えたのかしら?」
さくらの言葉に、ひなたは頬を押さえながら頷いた。彼女は、よしよし、と何度か頷いて、ひなたに座るように促した。
「らしくないことばかりやってるみたいだから、随分心配したのよ」
「ごめん、なさい」
椅子に座って、ひなたはうなだれた。縮こまった背中をみると、彼がみなみと出会ったときのあの男と同じ人物であるとは到底思えない。
「ま、いいわ。無事に戻ってきてくれたみたいだし」
さくらは改めて向かい側に腰掛けると、笑いながらひなたに言う。彼は顔を上げ、彼女がもう怒っていないことを確認すると、安堵のため息をついた。
「それで? これまでのことを詳しく聞こうかしら?」
その会話は、みなみが起きてくるまで続くことになる。




