八章『彼女は彼に救われる(2)』
アンフォールを出て数日が過ぎた。ハム吉のナビによると、次は森の中に入らなければならないようだった。
「せっかく、ここ2,3日は広くてのんびりとした道を進んできたのに、わざわざ森に行かなくても……」
真っ先に不満を漏らしたのはユキナだった。ハム吉がそれを聞いて強気に反論する。
「バカ。こっちが近道なんだよ。一刻を争ってるだろうが」
「でも妙な胸騒ぎがしますね」
ひなたがハンドルを手に厳しい目つきになった。さくらがその顔を覗き込み、首をかしげた。
「嫌な予感、ってことかしら?」
「いや、なんていうか……嫌な予感というよりは不吉な感じかな」
「そう」
さくらも森の入り口を見つめる。ひなたにそう言われると、なんだか魔物が口を開けて待っているように思えてくるから不思議だった。
「とにかく行こうぜ。ナビは、俺だ」
「そうですね」
この中で、最も小さいくせに最も偉そうなハム吉に従い、ひなたは車を発進させる。車は森に飲み込まれた。
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「……車?」
こんな木だらけで狭い場所を車が走っている。いったい、どんな世間知らずか、あるいは無法者か、それともバカか。少女は興味をもったのか、車の音がする方向に向かっていった。
がたがた、という音がし前方に小さく車が見えた。少女は茂みに身を隠すと、タイミングを見計らって飛び出してやろうという計画を立てた。
“化け物たち”を目の当たりにしたことや何日か意識を失っていたことから、先ほどまで少女の顔は疲労で強張っていたが、車の音を聞いたときからゆっくりと、しかし確実に気持ちは浮つき始めていた。そして、歳相応の顔で無邪気に笑った少女は計画通り飛び出した。
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「ひなたっ!」
叫んだのは、さくらだった。茂みから“真っ黒な怪物”が飛び出してきたのだ。ひなたは慌ててブレーキを踏み、その反動でユキナは前の座席にぶつかり、ハム吉はフロントガラスまで吹っ飛んだ。ふぎゃっ、という声のおまけつきで。
「……子ども?」
それはユキナの発言だった。突然現れたので、ぱっと見では怪物に見えたが、それは服や顔を泥だらけにした少女だった。
「ねぇ、ひなた」
「ああ」
「あの子って、ねぇ?」
「ああ」
ひなたはさくらの問いかけに口を“あ”の形に開けたまま、機械的に音を発した。少女も運転席と助手席に座る人間を確認すると、ひなた同様に口をぽかんと開けて静止している。
「どうしたの? 二人とも」
「俺を心配しろ」
ハム吉の言葉は無視して、さくらはユキナの質問に答えた。
「あの子よ」
「え?」
「あたしが一緒に住んでいたっていう子」
さくらが答え、ユキナの顔が驚きの表情に変わると同時に、ひなたがドアを開けて外に出た。そして、少女に歩み寄りながら笑顔で言った。
「久しぶりだな、みなみ」
みなみ、と呼ばれた少女は相変わらず口を開けっぱなしにして、近づいてくるひなたを見上げていた。
「え? え?」
それは、ひなたが近づいてきて、みなみの頭を乱暴になでてやるまで続いた。ひなたの手が触れ、彼の顔が近づき、
「みなみ、だよな?」
という声を聞いて、みなみは初めて動きを見せた。
「ひ、ひ、ひな兄ぃ!」
泣き叫びながら抱きついたのだった。それを見て軽く眉を動かしたのはさくらで、分かりやすく目を吊り上げたのはユキナだった。ハム吉は、お、と言いにやにやと笑った。
「何やってんだ、こんなところ――」
ひなたの言葉は最後まで続かなかった。いつの間にか車から降りてきたユキナが腕を組んで仁王立ちした格好でひなたの背後に立ったのだ。
「誰?」
正直な話、このこみ上げてくる感情がいったいなんなのか。そのときの彼女は理解していなかった。さくらとひなたが会話をしている姿を見ても、このような感情は生まれなかった。もやもやした何かを感じたことはあったが、それでも、ここまで爆発的な感情は生じていなかった。しかし、今はどうだ。自分と同じくらいの相手(女の子)が、ひなたの胸に顔をうずめている姿を見て、何かが破裂したとしか思えないくらいに、彼女の感情があふれ出したのだ。
端的に言えば、ユキナはやきもちを焼いていた、ということになる。
「あ、この子は、みなみと言ってですね。最も適切な表現を選ぶなら、僕の“家族”ですかね?」
「家族?」
じろり、とした視線を向けるユキナに対して、みなみはひなたの胸から顔を離すと彼には見えないように笑ったのだ。
にやり、と。挑戦的であり、かつ蔑むような視線を加えて。
「あんた――」
「久しぶりね、みなみちゃん」
今にも飛び掛ろうとするユキナを制して、みなみに近づいたのはさくらだった。みなみはさくらに気づくとユキナに向けた表情を一変させ、笑顔を浮かべて彼女の胸に飛び込んだ。
「久しぶり、さくら」
さくらがみなみの頭をなでてやる様子は、さながら姉妹のようであった。ひなたはその様子を満足げに眺めると、ハム吉を肩に乗せ、
「それにしても、その格好はまずいな。着替えを取ってくるからちょっと待ってろ」
とみなみに向かって言い、車に戻った。荷物をあさるために後部座席に乗り込むと扉を勢いよくばたんと閉める。
みなみはちらっとその様子を眺め、声量を落とせば彼に自分の声が聞こえることはないだろうと判断し、すっとさくらから身体を離すと冷めた視線をユキナに向けた。
「相変わらず、生意気な目をしてるわね」
さくらはみなみの頬をやや本気めに引っ張り、みなみが、ふがふが、と漏らす。
「うるひゃい」
「口の聞き方には気をつけなさいよ」
さくらは妹、あるいは娘をからかう様にみなみを弄び、対するみなみは姉、あるいは親に反抗するかのようにじたばたと暴れた。
その光景を眺めていたユキナは敵意丸出しのみなみに驚き、そして呆れた。
「あの……」
「で、あんた誰?」
ユキナの言葉は、すぐさま遮られた。みなみの重い声がユキナを睨む。
「私は、ユキナだけど」
「ふ〜ん」
品定めするようにユキナを見つめまわして、みなみは鼻で笑った。
「さくらはともかく、なんであんたみたいなのがひな兄と一緒にいるわけ?」
「それはあたしから説明するわ」
いやにユキナにつっかかるみなみを制して、さくらが事の次第を説明した。ユキナが例のフブキの妹であること、そしてひなたが彼女を兄に会わせてあげようとしていることなどを聞いて、みなみはみるみるうちに不機嫌な表情に変わっていく。
ころころと表情の変わる様はまだまだ子どもよね、とさくらは思ったが、それを言うとみなみがすねるので決して口には出さなかった。
「言っておくけど」
そう前置きして、みなみはユキナを睨み、それから遠慮がちにさくらにも視線を向けた。
「ひな兄は私のだから」
その一言で、気づいた。目の前にいる生意気な少女は自分とは決して相容れない存在だ、と。言わずもがな、気づいたのは、ユキナとみなみの2人ともである。
「よくわかんないけど、私、あなたのこと嫌いかも」
「安心して。私もだから」
ユキナが言い、みなみが答える。さくらは呆れたように首を横に振ると車に視線を戻した。ひなたが戻ってこないか、と様子を窺ったのだ。




