一章『そして、彼は語り始める(1)』
そこは都市と呼んでもよいくらい大きな街だった。たくさんの人が行き交い、通りは賑わっている。隙間もないくらいに店や屋台が並び、あちこちで人の声が飛びっている。
バイクを押す青年とその隣を歩く少女は、あっという間に人ごみにまぎれた。
「大きな街ですね」
「そうだね」
ユキナは興味津々といった風にきょろきょろと辺りを見回す。そのポケットからハム吉が顔を出し、ほぉ、と感嘆の声を漏らした。
「こりゃまた凄いとこに連れてきたもんだな」
ハム吉も鼻をひくつかせながら、周りに視線を走らせた。理由は分からないが街に入る前にめがねと帽子をかぶり、軽い変装を施したひなたが満足げに頷く。
「できるだけ大きな街に行った方が、今後の旅程を決めるのにも充分な情報が得られると思いまして……。これだけの規模があればきっとユキナさんの役に立つ何かがあると思います」
「そうかな?」
「はい」
ひなたはひとまずユキナを宿屋に案内して、自分は駐車場にバイクを止めに向かった。彼としては、その間に彼女に中に入ってもらい、宿泊の手続を済ませてもらえれば都合が良かったのだが、ユキナは何故か彼が戻ってくるまでその場で待ち続けていた。
そこで、彼は仕方なしに共に中に入ることになった。見ると、ユキナはどうやらこういうことには慣れていないらしくて、やや挙動不審気味だったので、代わりにひなたが従業員らしき人物に声をかけ、空き部屋の確認をすることにした。
ユキナはてきぱきと動く彼をぼーっと見ていることしかできなかった。
「それでは、ユキナさんはこの宿にお泊りください。あ、お金は持ってますか?」
「ん? う、うん。結構あるよ」
ユキナはそう言って、ポケットからお金の入った袋を取り出した。その重さからして、安い宿なら数十日は余裕で泊まれるくらいはあるようだった。
「それだけあれば充分ですね」
ひなたはそう言って笑うと、そのまま外に出て行こうとする。
「え? ちょ、ひなた!?」
それをユキナが呼び止め、彼の服の裾をつかんだ。
「どうしました?」
「どこに行くの?」
「どこ、と言われましても……」
ひなたは困ったように頬をかいた。そもそも彼はここで彼女と別れる予定であり、だからこそ次の言葉を発する。
「無事に街に着きましたし、ここからは僕がいない方がユキナさんも行動しやすいと思いますが?」
「……え?」
ユキナはきょとんとした表情を浮かべ、つかんでいた裾を離した。
「僕がいるといろいろ厄介ごとに巻き込まれかねませんから」
「まぁ、そうだな」
寂しそうに笑うひなたにハム吉が相槌を打つ。
「え? え?」
1人事情を把握しきれないユキナが動揺しながら、ひなたとハム吉を交互に見るが、そんな彼女に対してどちらも何も説明することはなかった。
1人と1匹はしばらく見つめ合ったままだったが、先にひなたが視線を外し、ユキナに向かって静かに微笑んだ。
「それでは、お元気で。道中お気をつけて」
そう言って片手を挙げて背を向けた彼を、ユキナはとうとう呼び止めることができなかった。
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そこは、どちらかというと良質な部屋だった。柔らかくて大きなベッドにお風呂がついており、広さもなかなかのものだった。
「う〜ん……」
ユキナはベッドに腰掛けると、そのまま背中から後ろに倒れた。もう少し身長が高かったら、壁に頭をぶつけるところだった。今だけは、いつも文句をつけたくなる自分の低身長に感謝すべきであった。
「ねぇ、ハム吉」
「んあ?」
枕に乗って、まったりとしていたハム吉はその姿勢のまま気だるそうにこたえる。
「あれ、どういう意味?」
「あれって何だよ」
「“厄介ごとに巻き込まれる”ってやつ」
「それを知ってどうする」
「どうするって……」
ユキナが返答に困る様子を見て、ハム吉は姿勢を正した。枕の上に二本足で立ち上がると、背筋をぴんと伸ばした。全く小動物らしからぬ動きをする輩である。
「あのな、ユキナ。お前は世間を知らない、バイクにも乗れない、体力もない、料理もできない、戦う術も持たない……まぁ、挙げればキリがないが、はっきり言って旅人としては致命的なほど何もできない」
「ん……」
「人にはできること、できないことがある。知っておくべきこと、知らない方がいいことがある。つまり、それ相応のもんがある」
ハム吉は鋭い視線をユキナに向け、
「この件は、お前には不相応だ」
と言い切った。ユキナは不満そうに唇を尖らせると、ふん、と鼻を鳴らした。
「何よ、それ」
「話は以上だ」
ハム吉は本当にそれっきりという風に枕にごろりと転ぶと早々に寝息を立て始めた。ユキナは何度かハム吉を指でつついていたが、しばらくして諦めたのか、お風呂場に向かって行った。
水が床を叩く音が聞こえ始め、ハム吉がひょこりと起き上がった。
「……山がでかすぎるんだよ、ユキナ」
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同刻、街のはずれ。
ひなたは人通りの少ないところを選んで歩いていた。大きな街には、こういう場所があることが多い。家のない者や、悪事を行う者、通常人が歩くべき道を踏み誤った者たちが集う場所。そこをひなたはのんびりと散歩でもするかのように歩いていた。
地面に座り込む者や、ねそべる者が、そんな彼に視線を向ける。それはまるで獲物を狙う獣のごとく、ぎらぎらとした視線だった。
「おい、お前」
そのうち、1人の男がひなたに近づいてきた。ひなたは足を止めると、にこやかに微笑む。
「なんでしょう」
「とりあえず、有り金全部置いていけ」
男は低い声でそう言った。右手に持ったナイフが光る。ひなたは冷たい視線をそれに向けてから、おどけたように肩をすくめた。
「お断りします」
「あ?」
「あなたに渡すものなど何もありません」
「だったら……」
「だったら?」
「奪うだけだ」
言った瞬間、男の身体が宙を舞った。ナイフをひなたに突きつけようとした瞬間に、ひなたがその右手を掴んで投げ飛ばしたのだった。
「へ?」
男は間の抜けた声を上げて、地面に身体を打ちつけた。その拍子に男の手から離れたナイフを拾い上げつつ、ひなたが口を開く。
「すみません……。でも、先に手を出してきたのはあなたなので、仕方ありませんよね。僕も死にたくはありませんし」
にこりと微笑むひなたの顔は男を恐怖に凍りつかせたらしい。なにやら分けのわからないことを口走りながら、男は逃げるように駆け出した。
「さて、と。これはありがたく戴くとしましょう」
ひなたはナイフを懐にしまってから歩を進める。もう誰も、彼に近づく者はいなかった。




