四章『彼女は勇気を振り絞る(3)』
「私が……俺が目指す正義は、ここにはなかった!」
「あ?」
「上層部は腐ってる」
「だったら、何で――」
「今の俺じゃ、何もできないんだよ!」
だいちは叫んで、ひなたの襟元を強くつかんだ。ひなたはそんな彼の手首を掴んで、それを引き離す。
「小さい部隊を動かせるくらいの権限しかない俺じゃ、何もできない。だから、俺はもっと偉くなる。俺が上に行って、政府を変えてやる。そっからがスタートだと思ってる」
「何そんな悠長なこと言ってんだよ。政府の役人なんてとっととやめちまえば良いだろうが!」
「そうはいかない。だって、これが俺の夢なんだ。例え中枢がどれだけ腐ってても、俺は腐らない。政府の役人となって悪党どもを残らず捕まえる。それが、俺の夢なんだ。何人も殺してきたお前みたいな悪党に説教される筋合いはない」
「確かに僕は悪党だ。カゲもそうだ! だから何だ? フブキの原因がお前らにあるなら、僕たちの中に悪を生み出したのは、全部正義を掲げた政府だろ?」
頭が熱した二人の喧嘩は止まらない。とうとう取っ組み合いになり、狭い監獄の中で二人の男が暴れまわる。
「お前は何も分かってない。俺が何のために政府に入ったか。何で、ここでこんなに苦しんでるのか!」
「分かんねぇよ。お前が“正義の味方”になりたかったことは知ってるし、だからこそ僕は、お前が僕らと違う道を行くことを止めはしなかった。でも、結局その政府に正義なんて――」
ひなたの腹部に重い一撃が入った。彼はうめき声を漏らすこともできずに、壁にぶち当たった。だいちは肩で息をしながら彼に近づき、腰から崩れ落ちたひなたの顔を力いっぱい蹴飛ばした。血が、床を汚す。
「これは、恩返しのつもりなんだよ」
「……は?」
拳を握り締めて身体を震わすだいちを見上げて、ひなたは間の抜けた声を上げた。その顔は腫れ上がっており、見ているこっちが痛いくらいだ。
「俺は、お前らに救われた。だから、俺はいつか必ずお前らの助けになりたいと思った」
ひなたは口を拭った。手の甲が赤に染まる。唇が切れたのか口の中が切れたのか分からないが、とにかくかなりの血が出ているらしい。
「そりゃ、もちろん、最初のうちは政府といえば絶対的に正義だと信じていたさ。お前らに語ったように、役人になって自分の信じた道だけ進めると思ってた。俺は確かに“正義の味方”になりたくて政府に入ったんだ。だけど、長くいればいるほど見えたくない部分ってのが見えてきた。正直、何度もやめたいと思った。理想と違う現実に耐え切れなくて、俺が政府に抱いていたものはただの幻想だということを突きつけられて……。でも、俺はやめなかった。もし、俺がお前らと出会っていなければ、きっとやめていたと思う。お前らのおかげで政府の役人として生きたいと思える理由がもうひとつできたんだよ。ただ単純に政府にいれば全てがうまくいくと思ってたわけじゃない。お前らが裏の世界で生きるなら、表の世界で生きる人材が必要だと思ったんだ。政府の地位や情報が、お前らの仇を討つ手助けになればよいと思った。最初の意思が消えるにつれて、その思いは一層強まった。俺が政府にいる理由は、お前らからもらった恩を返すためなんだよ。俺は、お前らの助けになりたい。今の俺にあるのはそれだけだ」
一気に放たれたそれを聞いて、ひなたはなんともいえない気持ちになった。そこまで言われてだいちを責める資格が自分にはない。けれど、ふつふつとこみ上げてくる怒りがあることも否めない。
「もう充分、返してもらった」
しかし、沸きあがった怒りはだいちの姿を見て掻き消えた。ひなたは立ち上がると、彼の頭に手を載せた。
「お前が政府の人間だったおかげで、僕もカゲも、随分と助けられた」
だいちの頭をなで、それから、彼の頭を自らの胸に引き寄せる。政府の役人になってからは、いつも毅然としていた彼の泣き顔を、ひなたは見た。
「だから、もういい。それに、俺は言ったはずだ。お前の好きにすればよい、と。今、お前が苦しいと思うなら、やめちまえ。よくやったよ」
いつかのように、ひなたは彼の背中を軽くたたいてやった。だいちの口から嗚咽が漏れる。
「そこまで言われて、お前の頼みを断れるわけないだろ」
だいちは、すっとひなたから離れると袖で乱暴に涙を拭った。ひなたは血だらけの顔に笑みを浮かべた。
「カゲはお前の恩に仇を返す形になってしまった。どっちにしろ、僕もカゲに用がある。ここは、お前の正義に従おう」
外は、真夜中。さらにここは監獄。闇の中の、そのまた闇の中。ボロボロの身体で向かい合う二人の耳に、静寂が――
訪れなかった。
いきなりうるさい音が鳴り響いた。どうやら警報機が鳴り響いたようだ。どたどたという足音が聞こえて、何者かがやってくる音がした。
「だいちさん! いますかっ!? 侵入者です!」
やってきたのはだいちの部下のようだった。だいちは、やれやれ、といった風に肩をすくめると、ひなたの独房から出ようとする。
「だいち」
それをひなたが呼び止め、だいちが振り返る。ひなたはにやっと笑って口を開いた。
「もしも、うちのお姫様ならば手を出さないでくださいよ」
元の口調に戻ったひなたを呆けたように見て、だいちは力を抜いて笑った。
「私は私の正義に従うのみだ」
「僕は、あなたを信じていますから」
間髪いれずにそう言ったひなたの顔を呆けたように見つめてから、だいちは苦笑いを浮かべた。
「なんだ、そのずるい一言は」
「あなたのところの“小動物”からの請負です」
小動物、という単語を聞いてだいちは頭に、あのハムスターを思い浮かべた。
「やはり、あれは政府の……」
人語を話す小動物など、政府には山ほどいた。中には廃棄されたものや脱走したものもいると聞く。何かの拍子に、ひなたやユキナといった人間たちと一緒にいても不思議ではない。
「とりあえず、いってくる」
「お気をつけて」
ガシャン、という音がして、ひなたの独房の扉がしまった。
鍵は、かかっていない。




