第三章 4
四日経った。
食料が尽きたので、トヨヒサたちは街道近くを流れている川の前で、釣りをしていた。
釣竿は、頑丈そうな木の枝に、前に町で購入していた釣り糸と釣り針を組み合わせて作ったものだった。そして川原に腰かけ、ボーっと川をながめながら釣り糸を垂らしている。
「中々、釣れないわね」
「そうじゃな」
「これだったら、先に進んだほうがいいんじゃないの?」
「そうじゃな」
「あんた、適当に返事してるでしょ?」
「そうじゃな、――っと」
しなる釣竿を引き上げる。水面から飛び出した釣り針に、生きのいい魚が引っかかっていた。さっそく事前に用意していた木の枝を削って作った串で、魚の身体を口から尾ひれまで一直線に貫き、塩をまぶしてから、焚き火のそばで焼きあぶる。
手馴れた動きで作業をこなすと、横からのぞくマヒルが半眼でこちらを見据えてきた。
「……ずるい。なんかずるしてるでしょ、あんた」
「しとらんわ。単純に手前に魚を釣る才能がないだけじゃ」
「言ったわね、あんた。見てなさいよ。大体、待っているだけなんて性に合わないのよ」
釣りは待つものだというのに、それを真っ向から否定するとは。呆れてものも言えないトヨヒサの前で、マヒルはなんと釣竿を投げ捨てた。
理念どころか道具まで捨てた。
(何をする気じゃ、こいつ)
するとマヒルは草履を脱ぎ、もともと短い着物の裾をさらめくり上げ、太ももあたりで縛る。非常にきわどく、その筋の性癖をもつ男だったらよろこびそうな光景である。そして川にゆっくりと入り、ひざ上まで水にひたした状態で、彫像のように動きを止めた。
「何しとんじゃ」
こちらの問いにまるで反応せず、彼女は静かにそこにたたずんでいた。
静寂。
彼女の足元を、魚がよぎった。
右手がかすむ。
水飛沫が散る。
水面から小さな右手が跳ね上がった。
堂々とかかげられたその手には――何もつかまれていなかった。
「……」
「……」
「何をしとんじゃ」
しらけた空気の中、トヨヒサが言った。
天に向かって腕を突き出すマヒルの顔が、見る見るうちに真っ赤になり――。
「魚ごときが調子のってんじゃないわよっ!」
頭から川に突っ込んだ。
まるで飛び魚のように彼女は川の中を飛び跳ねて、魚を追いかけた。しかし一向につかまる様子もなく、いたずらに飛沫が上がるだけだった。
(あほうじゃ。あいつは、かけ値なしのあほうじゃ)
焼きあがった魚を食べながら、トヨヒサは心底、呆れる。
そして、自然と微笑んでいた。
久しぶりに、笑った気がした。
※
八日が経った。
追手に出くわすこともなく順調に進んだトヨヒサたちは、セキガ平原前の丘までやってきた。十年という歳月を経てもなお、そこにはまだ戦争の跡が色濃く残っていた。
丘の下に広がる平原には、さすがに死体はないものの、無数のすり鉢上の大穴が開いている。そしてトヨヒサの鼻を突くのは、存在しない血の臭いだった。
「よーし、あとはここを突っ切ればいいのね」
いつものごとくトヨヒサの前に座りながら、マヒルが平原を指差した。
ヨンノ村に行くには、このまま丘を下り、セキガ平原を横断するのが一番早い。早いのだが、どうしても丘を下る気持ちになれなかった。
平原に入った瞬間に、また竜が現われて、襲われるのではないか。
そんなありえない予感が、馬を走らせることをためらわせていた。
「迂回、するのはダメか?」
「え?」
きょとんとした顔で、マヒルが見上げてくる。それから彼女の視線が、トヨヒサの苦々しい顔とセキガ平原を行き来し、何か納得いったように一人でうなずいた。
「いいよ」
「悪いな」
「気にしなさんな。少し時間がかかるだけだしね」
そうして、トヨヒサたちはぐるりと迂回するルートを走った。