第十三話 貴電ノ件
1919年2月26日 ホテル・ブリストル
東京からの返電が届いたのは、牧野次席が電報を打ってから一週間後のことだ。
パリと東京のあいだの電報は、いくつもの海底ケーブルと中継局を経由して、早くても丸一日、混んでいれば二日も三日もかかる。そのうえ暗号を組み、打ち、受け、また暗号を解くのだから、一通の往復に一週間かかっても誰も驚かない。現代ならメール一本で済む話だと思うのは、もうやめることにしていた。思ったところで電報が速くなるわけではない。
暗号係から回ってきた平文の写しを、牧野次席がはじめに読み、それから私と重光さんを呼んだ。机の上に置かれた紙には、内田外務大臣の名前で、こう書かれていた。
『貴電ノ件、去ル二十二日外交調査会ニ於テ審議セシ処、田中陸軍大臣ハ青島攻略ニ於ケル将兵ノ犠牲ヲ挙ゲ、帝国ガ自ラ山東ヲ放棄スルハ英霊ニ対シ申訳立タズトシテ極力反対ノ意ヲ表シ、伊東委員亦之ニ同ズ。総理ハ態度ヲ保留セリ。尚本件ハ極秘ニ付セラレ度』
「英霊に対し申し訳が立たない、か」
重光さんが、紙の一行を指でなぞりながら言った。
「陸軍がそう言うのは分かってた。問題は伊東さんだ。あの人が陸軍の側に立つと、調査会の半分はそっちに流れる。枢密顧問官で、憲法をつくった一人だからな。あの人が反対と言えば、法の理屈で反対ということになる。陸軍の感情論だけなら原さんはいくらでも押し切れるが、伊東さんに法で来られたら、原さんも簡単には動けん」
「総理は保留、とありますね」
「保留は、断ってないということだ」
牧野次席は、それだけ言った。机の上の電文を揃えて、引き出しにしまう。
「返電を打つ。代価の見積もり、特に米英との関係改善について詳しく添えてな......鉄道の件は、専門の者の計算が出たかね」
「今朝、上がってきています」
「では、それを付けよう。原さんは数字の好きな人だ」
部屋を出て廊下を歩きながら、重光さんがぽつりと言った。
「英霊、か。青島で死んだ兵隊の遺族が、この電報を読んだらどう思うかな」
「……陸軍と同じことを思うんじゃないですか」
「そうだろうな。俺も遺族なら、たぶんそう思う」
重光さんはそれ以上何も言わずに、書類部屋のほうへ曲がっていった。
1919年3月2日 同
西園寺首席全権がパリに着いたのは、三月に入ってすぐのことだ。
一月に神戸を発ち、インド洋を回ってマルセイユに上陸し、そこから汽車でパリに入った。七十近い老人には、さぞこたえる長旅だっただろう。ところがホテル・ブリストルの玄関で車を降りた西園寺公は、出迎えの一同を見回して、こう言ったらしい。
「パリは変わらんね。四十年前と同じ匂いがする」
私はその場にいなかったので、この話はあとで吉田さんから聞いた。吉田さんによれば、西園寺公は若い頃、十年近くもパリに留学していて、クレマンソーとはその頃からの知り合いなのだという。撃たれたクレマンソーの見舞いに、明日にも行くつもりらしい。
一行の荷物を運び入れる手伝いをしていると、背の高い若い男が、私の前で足を止めた。
「失礼ですが、八幡光真さんでいらっしゃいますか」
細い顔に、切れ長の目。身長は私より頭一つ高い。仕立てのいい背広を着ているのに、どこか着崩しているように見えるのは、姿勢のせいだろうか。
「はい、そうですが」
「近衛と申します。西園寺公の随員として参りました」
近衛文麿。
内閣総理大臣になる人物で日中戦争、大政翼賛会にも深く関わった人物。その本人が今、私の目の前で、丁寧に頭を下げている。私より一つ年下の、二十七歳の青年として。
「東京の外務省で、これをお預かりしてきました。第二課の、高輪さんという方から」
近衛さんが差し出したのは、分厚い封筒だった。表には、見覚えのある右上がりの字で「在巴里 八幡光真殿」と書いてある。
「わざわざ、ありがとうございます」
「いえ。出発の前日に、外務省の玄関で呼び止められましてね。パリに行くなら八幡先輩にこれを、と。ずいぶん熱心な方でした」
近衛さんは少しだけ笑って、それから一行のほうへ戻っていった。私は封筒を手にしたまま、しばらくその背中を見送っていた。
その晩、部屋で高輪の手紙を開いた。便箋が七枚。一月の半ば、私がアメリカ大陸を横断していた頃に書かれたものだ。
『八幡先輩、お元気ですか。こちらは相変わらず紙の山です。先輩が抜けた穴は、俺と立石さんで埋めてます。と言いたいところですが、実際は立石さんが風邪で一週間寝込んだので、俺一人で埋めてました。死ぬかと思いました』
一行目から高輪の声が聞こえてくるような手紙だった。私は思わず笑いながら、先を読み進めた。
『東京の新聞は、毎日講和会議の記事ばかりです。山東は日本の血で購ったものだ、一寸たりとも譲るな、って見出しがどの新聞にも載ってます。こないだ日比谷で、山東を守れって演説会があって、見物に行ったら人がすごくて帰れなくなりました。外交調査会の伊東さんが、また長い意見書を出したらしいです。課長が読まされて、目が死んでました』
四枚目で、手紙の調子が少しだけ変わった。
『課長は口に出しませんが、先輩がいなくて寂しいみたいです。昨日も、八幡ならこの資料をどう整理するかな、ってぼそっと言ってました。俺が整理しますよって言ったら、お前のは読めんって言われました。ひどくないすか
追伸 先輩宛ての小包が九州から課に届いてたんで、同封しときます。パリの宿の住所が分からなかったみたいです。中身は見てません。それと、先方のお父上から課長宛てに、先輩の帰朝はいつ頃になるかってお手紙が来てました。祝言、待たせてるんでしょう。先輩、早く帰ってきてくださいね』
封筒の底を探ると、半紙で丁寧に包んだ小さなものが出てきた。開くと、白い守り袋が一つ入っていた。包んでいた半紙の隅に、細い字で一行だけ書いてある。
『道中御無事ニ 武田 静』
その字を見た途端に、胸の奥で何かが小さく跳ねた。跳ねたのは八幡光真の記憶のほうで、私にとっては、会ったこともない人の字だった。少し申し訳ない気がしながらも守り袋は少し迷ってから手帳に挟んだ。




