15 最終話
――今夜は王宮で、婚約披露の舞踏会だ。
私もアルノルト様のエスコートで登城した。
しかし、離れないで、と私に言っておきながら、アルノルト様は早々に呼び出されてしまった。酔っ払った侯爵様が国宝の大鏡を豪快に割ったとか何とかで。彼は宝物庫の長官なのだ。
人の多いところには行かないで、と懇願され、公爵位控え室横のバルコニーにそっと身を隠す。ここならよほど高位の者しか立ち寄れない。
春といっても外はまだ寒さが残る。早く戻ってこないかしらと所在なげに庭を見ていた時だった。
「アデリンデ……?」
ふいに名前を呼ばれて振り返るとジークフリートがいた。白地の正装で肩に赤のサッシュをかけている。
「ああ、アデリンデだ。このフロアは公爵用だから、いるんじゃないかと思って遠回りしたんだ」
私は辺りを見回すが、誰も通りかからない。高位向けの場所であることが仇となった。どうしよう、バルコニーの出口をジークフリートに塞がれている。
「そのドレス、もしかして俺の……?」
ジークフリートもアルノルト様も、王家特有の髪の色と目の色をしている。必然、二人を示す色は似通っている。
違いますよと言いたいのに声が出ない。ジークフリートが一歩ずつ近づいてくる。初めて男性としてジークフリートを怖いと思った。
「違うか、アルノルトと婚約したんだっけ」
彼のほうから気づいてくれてほっとした。私は一礼をする。
「殿下、この度はおめでとうございます」
「君も」
そう返してもらって安堵したのか、自然と私は彼に笑いかけていた。それがいけなかったのか。
私はジークフリートに抱きすくめられた。
「殿下、いけません。お離しください」
もがいてもびくともしない。
「殿下、お願いです。離して」
「どうして俺にはいろいろ隠してたの」
「殿下、どうか」
「そんなに俺が嫌いだった?」
私はジークフリートのことが好きではなかった。けれど今そんなことを正直に言ったら最悪の結果になりそうだから、話を逸らす。
「嫌いも何も、私たちは政略結婚ではありませんか。親同士が決めたことで」
「違うよ」
違う? 違うとは?
「俺は自分が気に入った子を婚約者にした。選べたんだ。だって俺は王太子殿下だからね」
「まさか」
「俺も最近思い出した。君の父上に聞いてもらってもいい」
私はムセイオンに言われたことを頭の中で反芻していた。まさか、まさか。
「アデリンデ」
ジークフリートが私を熱っぽく見つめてくる。彼を押しのけようとした私の手を握りながら、顔を近づけてくる。
ああ駄目かもしれないと思った時、凛とした声がした。
「ジークフリート殿下」
彼は私に近づけた顔を離した。
声のほうを見ると、バルコニーの入り口に立っていたのはロザリーだった。くしくも、私と似たような色のドレスを着ている。
「国王陛下がお探しです。辺境伯がお見えで」
「ああ」
ロザリーに見られても悪びれることなく、ジークフリートは私をもう一度抱きすくめた。
「半年前ならこうすることもできたのに。なんで俺はしなかったんだろう。後悔ばかりなんだ」
ジークフリートの肩越しにロザリーと目が合って、私は目が泳いだ。ロザリーは無表情に私を見ている。
「それと君の婚約式のときもごめん。具合の悪そうな君に手を貸そうとしたら、そんなことはするなと母上に止められて。王太子なら嫌味のひとつでも言いなさいと。常に君より優位にいろと。それも後悔している」
「殿下……」
「まだまだ謝ることが山ほどあるけど、時間みたいだ」
彼はちらとロザリーのほうを振り返った。
「ロザリーに好きだった子とお別れをしてくると言ったんだ。でも無理矢理キスしようとしたのは、後で怒られるな」
ジークフリートは私から身体を離した。
「もうしないから。ごめんね」
そう言ってからジークフリートはよれたサッシュを整える。もう大丈夫のような気がして、私は彼に声をかけた。
「殿下、少しお変わりになりましたね」
「ロザリーのせいかな? ロザリーが女狐の洗脳を解いてくれるんだってさ。女狐って母上のことだよね……?」
ジークフリートはおかしそうに笑っていた。
それから正装が整うと私に向き直る。
「さようならアデリンデ」
悲しそうな顔でそう言われて、私は初めてジークフリートのことが少し好きになってしまった。彼の中にあるこんな一面を、私はちゃんと知ろうとしていただろうか。
「さようならジークフリート」
切ない気持ちで昔みたいにそう呼び返すと、ジークフリートは目をキラッとさせて、一歩近づき、私の唇に軽くキスをした。
「ちょっ!!!」
「婚約式でもしてないんだから1回はいいじゃないか」
「な、な、な、なんてことするの!!」
「そうだった、俺は俺のことを好きな女にしかキスしないんだった。だから今までお前にしなかったんだ」
「私は好きじゃない!!」
「さっき絶対落ちただろ」
にやりと笑うと、ジークフリートはずいぶん機嫌良く出入り口に進み、ロザリーと何か言い合ってから、ホールへ向かって行った。
今の一部始終を見られて、気まずさしかないのだけれど、私もロザリーの前を通らないとバルコニーから出られない。
今さら無意味かもしれないが、なるべく澄ましてロザリーに話しかける。
「辺境伯がいらしてるのよね。貴方は行かなくてよろしいの」
「辺境伯なんて来てないわよ」
私は目をしばたかせた。
「貴方ってすごいのねえ」
「王妃の器でしょう?」
ロザリーは半目でふんと鼻を鳴らした。
「あんたの旦那も足止めしといたわよ」
言われて、恐怖で顔が引き攣る。ロザリーは誰に聞かせるともなく話し始める。
「初恋ですからね。下手に引き摺らせるより、今のうちに完全に燃やしておいたほうがいいんですよ。あの人は最高権力者になるんだから。後からゴネて持っていかれても嫌でしょう、公爵閣下」
カーテンの後ろからひょこっと出てきたのは、アルノルト様だった。アルノルト様は顔面蒼白だった。
「違うんです!違うんです!」
「わかってる、わかってる、んだけど」
「あれ? 殿下とけっこう、仲良くなかった?」
「ど、どこがですか!?」
「なんだか夫婦みたい……だった?」
言いながら悲痛な面持ちになって、アルノルト様が自分で自分の言葉にショックを受けている。私も彼も押し黙る。
沈黙に耐えられないと思ったとき、ロザリーが私に声をかけた。
「私も行くわ。それからあんたが私に嫌がらせしたなんて私も思ってないから。あれは王妃様のシナリオじゃないかしら。あんたも私もどっちも潰そうと思ったんじゃない?」
ロザリーは不敵に笑って私の横を通り過ぎる。ふと胸のふくらみが前より小さくなっていることに目がいった。けれど今のロザリーは前よりもずっと魅力的だった。
私はジークフリートが私を守ってくれないと不満を持っていたが、ロザリーみたいに王妃様から守ってあげるなんてこと、考えもしなかった。
――『君の共同体の中で、君はずっと父親に勝てないけれど、勝てるカードになるのなら、アルノルトを選ぶのは正解だね』
ムセイオンの言葉で言うならば、ジークフリートが王妃様に勝てるカードはロザリーだ。私ではない。
◇
バルコニー前に私とアルノルト様だけが取り残される。
「もしかして、大鏡が割れたというのもロザリー様の……」
「いや鏡は本当に割れてた。どうしよう」
気落ちするアルノルト様に笑ってしまった。
「笑いごとじゃないんだけど」
と言いながらアルノルト様も笑い出す。深刻なときほど笑えてしまうのは何故だろう。
ひと通り笑いが収まると、また私たちはしんとなる。
「あ、あのくらいのキスは他の国では挨拶ですることもあって」
「うん」
アルノルト様は私の腰に両手を回す。
私は言い訳を始めたが、頭の中ではムセイオンの言葉がこびりついてぐるぐるしていた。
――それは不貞にはならないの?
あのとき確かに私は殿下に心を動かされて、それを彼に見抜かれた。なぜなら。
――僕の分析からすると、ジークフリートは君のことが好きだよ。
彼が私を好きだった? 最初から?
その事実は、記号でしかなかった政略結婚の相手に、人格を与え、彩りを加えた。
気持ちのない結婚だと決めつけて、私はなんてひどいことをしたのだろう。彼の悪い所を助長させたのは、王妃様だけではない。自分も悪因なのではないか。
知った気になって、本当に何もわかっていなかったのは私のほうだった。
黙り込んだ私にアルノルト様はゆっくりと声をかける。
「私はさっきアデリンデが少し言い訳をしてくれて、ほっとしたんだ。私を繋ぎ止めたいと思ってくれたんだろう?」
責められると思っていたのに、その腕は温かく私を包んでくれる。
「人の心はいつだって揺れるものだよ。理屈ではない。揺れたときも、一番大切な人を思い出せるように、私たちは誓うのだと思う。愛は意思なんだ」
私は船の上でしてくれたアルノルト様の誓いのキスを思い浮かべた。まだらに空白ができた私の心は、またアルノルト様で満ちていく。
やっぱりこの人が好きだと思った。私は彼を見上げてお願いをする。
「挨拶ではないキスをくださいますか」
いい終わるか否かのうちに、アルノルト様が私の口を塞いだ。これまででいちばん激しく、深く。
遠くから、わあっと歓声が聞こえる。祝賀会が始まってしまったのだろう。二人揃って姿を現さず、あとで父上に怒られるかもしれない。けれど今、私がするべきことは、アルノルト様との溝を塞ぐことだ。
流石にそろそろ近衛に捜索されてしまうかしら?という頃合いになって、アルノルト様が「顔を出しておこうか」と私を抱いている腕を緩めた。
もう誰もいないホール前のホワイエを、二人だけで歩いていく。ホールの入り口で近衛が遅刻した私たちを見て、慌てて両開きの扉に手をかける。
ホールに入る前にアルノルト様は立ち止まって私を見た。
「マイルズ男爵令嬢はすごいね。私は彼女のように、君の道を広げられているだろうか」
彼は胸のポケットを探る。手には何かを握っている。
「使うときは必ず私を呼んで。いい? 必ずだよ」
そう言って私の手に≪側室の耳飾り≫を握らせた。私はそれを胸元の返しに潜ませる。
「ありがとうございます。ちょうど石に聞きたいことができたので、良かったです」
「どんなこと?聞いてもいいかな?」
私は彼に耳打ちをする。
「アデリンデ!?」
「だってあのお二人の式が終わらないと私たちの順番が来ないのでしょう?」
「それはそうだけど、アデルさん!?」
狼狽えるアルノルト様が可愛らしくて、私は彼の肩を引き寄せて、その頬にキスをした。
ちょうどそのとき両開きの扉が開いたので、私を見て何かの余興だと思ったほろ酔いの侯爵様が盛大に拍手をした。それに釣られて、一拍遅れで下位貴族がさざなみのように拍手をしだす。
皆に拍手されながらキスをしていた私を、王妃様やその取り巻きが「あのように人前で。さすがシラーズ公爵令嬢ね」なんて言っていたらしいけど、甘く見つめ合う私たちに、ほとんどの人は「今日の婚約発表は二組あるのだっけ?」などと首を傾げながら、心からの祝福を送ってくれたのだった。
(完)
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