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85話 【ゼニス歴1079年 ニール視点】

今日一日で最後まで書き終える予定です!

カルディアへ向かう街道は、静かだった。


バルドール帝国軍の部隊が前後を固めている。

グレアム様とラドゥル様が先頭。

俺はその後ろに乗った馬車の中にいた。


ユーリが隣に座っている。

ガブが馬車の外で馬を引いている。

ミラ、ミアは治療院に残した。

イルルも残した。


「ニールさん」

ユーリが小声で言った。

「なんだ」

「緊張しています」

「そうか」

「ニールさんは?」

「していない」

「嘘でしょう?」


窓の外を見た。

街道沿いに畑が広がっている。

整然とした畑だ。

用水路が通っている。

風車が見える。


テオが設計した農業区だ。


戦争をしていたとは思えない静けさだった。

「ニールさん…」

「なんだ」

「これが終わったら、本当に全部終わりですか?」

俺は少し考えた。


「エルバート王国は五年前に終わった。アステリズム神聖国も終わった。

新生アステリズム神聖国も今日終わる」

「でも」

「何が終わっても、人は病気になる。怪我をする。それは終わらない」


ユーリは少し黙った。

「……ニールさんらしいですね」

「そうか?」

「はい」


馬車が揺れた。

街道の石畳が整っている。

テオが整備させた街道だ。

俺は窓から目を離した。

   

カルディアの城門前に着いたのは、昼過ぎだった。

城門は開いていた。


守備兵が数人立っていたが、武器を下げている。

抵抗の意思はないという意思表示だ。


グレアム様が馬を止めた。

守備兵の代表が前へ出た。

「グレアム辺境伯」

「ああ。もう家督は譲っているがな」

「フィデル様より、入城を歓迎するとのことです」

グレアム様は短く頷いた。


「民への危害は加えない。略奪も禁じる。それは約束する」

「……ありがとうございます。ありがとうございます。」

守備兵は深く頭を下げた。


城門をくぐった。

街へ入った瞬間、俺は息を呑んだ。

静かだった。

人がいない。

市場も、工房も、広場も——人の姿がない。

「どこへ行ったんだ?」

ガブが呟いた。


守備兵が答えた。

「屋内へ避難しています。フィデル様の指示です」

「民を守るためか」

「はい」

グレアム様は前を向いたまま言った。

「そうか…。」

低い声だった。

   

中央管理局の前に着いた。

建物は静かだった。

入口に衛兵が二人。

だが武装は最低限だ。


「フィデル様は中央執務室にいらっしゃいます」

衛兵が言った。

グレアム様が馬を降りた。

ラドゥル様も降りた。

俺も馬車を降りた。


「ニールはしばしここで待て」

グレアム様が言った。

「わかりました」

「何かあれば呼ぶ」

「はい」

グレアム様とラドゥル様が建物へ入っていく。


その後ろに——マルグリットがいた。

初めてまともに見た。


三十代半ばくらいだろうか。

落ち着いた顔立ち。

黒い外套を纏っている。

王妃だった頃の華やかさはない。

だが目に力がある。


マルグリットは俺を一瞬見た。

何も言わなかった。

そのまま建物へ入っていった。


扉が閉まった。

俺は建物の前に立った。

ガブが隣に来た。

「中、大丈夫かな」

「大丈夫だ」

「根拠は」

「グレアム様がいる」

ガブは少し考えた。

「……まあ、そうだな」

ユーリが反対側に立った。

三人で、静かに待った。


街は静かだった。

どこかで子供の声がした。

屋内からだ。

泣いているのではない。

何かを話している声だ。

日常の声だった。


戦争の中でも、子供はよくしゃべる。

俺はその声を聞きながら、建物の扉を見ていた。


待った。

どのくらい経ったか。

日が傾き始めた頃、建物の中から声が聞こえた。

怒鳴り声だった。

言葉は聞き取れない。だが男の声だということはわかった。

ガブが身構えた。

「ニール?」

「待て」

俺は動かなかった。


怒鳴り声は続いた。

そして——静まった。


静寂。


長い静寂。


それから扉が開いた。

ラドゥル様が出てきた。

「ニール」

「はい」

「グレアムが呼んでいる」

俺は建物へ入った。


廊下を歩いた。

以前来た時と同じ廊下だ。

人が走り回っていた廊下。

帳票と書類と怒号が飛び交っていた廊下。


今は静かだった。


職員が数人、壁際に立っている。

俯いている者もいる。

泣いている者もいる。


俺は執務室の扉の前に着いた。

扉は開いていた。

中を見た。


フィデルが椅子に座っていた。


白い外套が汚れている。

目の下の隈が深い。

髪が乱れている。


グレアム様が向かいに立っている。


マルグリットが——部屋の端に立っていた。


フィデルとマルグリットの間に、重い空気があった。

何かが、既に起きた後の空気だった。


グレアム様が俺を見た。

「入れ」

俺は部屋へ入った。

フィデル様が俺を見た。


疲れた目だった。

だが——何かが、抜けた後の目だった。

「ああ、ニールさんですか?」

「ああ」

「あなたも来たのか」

「同行してきた」

フィデルは少し笑った。

力のない笑みだった。

「そうか」


グレアム様が静かに言った。

「フィデル」

「……はい」

フィデルは立ち上がった。


椅子から立ち上がる動作が、ひどく重かった。

グレアムの前に立った。

そして——頭を下げた。

「降伏します」

静かな声だった。


叫びも、嘆きも、言い訳もなかった。

ただ、それだけだった。


グレアム様は頷いた。

「受け入れる。民への処遇は保証する」

「……ありがとう」

フィデルは顔を上げた。


マルグリットを見た。

マルグリットはフィデルを見ていた。


部屋が静まった。

俺は壁際に立って、その二人を見ていた。


何も言えなかった。


言う立場にない。


ただ——その空気の重さだけは、はっきりとわかった。

兄妹が、久しぶりに向き合っている。

そういう空気だった。


部屋の空気が変わった。

グレアム様とラドゥル様が、静かに後ろへ下がった。


俺も同じだった。

誰も言葉を発しなかった。


ただ全員が、フィデルとマルグリットの間にある空気を感じ取っていた。

ここは二人の場所だ。


そういう空気だった。


フィデルがマルグリットを見ていた。

マルグリットもフィデルを見ていた。


どちらも動かない。

どちらも何も言わない。


長い沈黙だった。

窓から夕暮れの光が入ってくる。

カルディアの街は静かだ。

どこかで鳥が鳴いている。


フィデルが口を開いた。


「……来るとは思わなかった」

静かな声だった。


以前の穏やかな声とは違う。

何かが削れた後の声だった。

「来るわよ」

マルグリットは短く答えた。


「なぜだ」

「弟だから」

フィデルは少し黙った。


「俺を止めに来たのか」

「止めるも何も、あなた、もう終わってたでしょう」

マルグリットは静かに言った。


「止める必要がない、という訳か」

フィデルの表情が動いた。

わずかに。

だが確かに。


「お前は——」

「見ていたわよ」

 マルグリットは続けた。


「ずーっと。エルバート王国にいた時から」

「エルバート王国から俺の事を見ていた?」

「情報は入ってくるものよ。

辺境に追いやられた元教皇の庶子が、旧アステリズム神聖国領の端っこで何かを始めているという話くらい」


フィデルは少し笑った。


力のない笑みだった。


「庶子、か」

「あなたの言葉ではなく、父上の言葉よ」

マルグリットの声は静かだった。


責めていない。ただ事実を並べている声だった。

「父上は間違っていた」

フィデルが言った。


声に力が戻った。

「俺はそれを証明した。

国をここまで大きくした。

民を救った。

教育を広めた。

父上にはできなかったことだ」


マルグリットは黙って聞いていた。

「転生者を呼ぶ力がなくても、できた。貴族の血がなくても、できた。

ヴォイド教の後ろ盾がなくても——」

 フィデルの声が大きくなった。


「俺は国をここまで大きくした!

親父を超えたんだ!!

ヴォイドを超えたんだ!!!

ヴォイド教に縛られたお前たちに何がわかるんだ!!!!」

部屋に声が響いた。


誰も動かなかった。


グレアム様も。

ラドゥル様も。

俺も。


ただ、その声を受け止めた。

マルグリットは動かなかった。


フィデルの声が届いた後も、静かに立っていた。

それから、ゆっくりと口を開いた。


「ええ、そうね」


静かな声だった。


「あなたは国を大きくした。民を救った。それは本当のことよ」

フィデルが黙った。


「だけどあなたは理解していない」


マルグリットは続けた。

「宗教というものの本質を」


「俺は宗教なんか——」

「宗教は人に寄り添うものよ」

マルグリットの声は変わらなかった。


遮ったのに、怒りがない。

ただ静かだった。


「父上が間違えたのは、宗教を権力の道具にしたからよ。

知識を独占して、民を管理するための仕組みにしたから」

「俺は違う」

「そうね」

マルグリットは頷いた。


「あなたは知識を解放しようとした。民を本当に救おうとした。それは父上とは違う」

フィデルの表情がわずかに緩んだ。


だがマルグリットは続けた。

「だけど、あなたは結局父上と同じ道を辿った。」


「違う!」

「違わない。あなたは父上と同じ過ちを犯した糞野郎よ」

「だまれ!」


「あなたは父親を超えたんじゃない」

静かな一言だった。

「父親から逃げた臆病者よ」


フィデルが固まった。


部屋が静まった。


マルグリットはフィデルを見たまま言った。

「辺境に追いやられた恨み。

庶子として認められなかった怒り。

転生者を呼ぶ力を持たなかった悔しさ」

「……」

「全部、父上から逃げるための燃料だった」

フィデルは何も言わなかった。


「民を救いたいという気持ちは本物だった。それはわかる。でもその底にあったのは——父上に褒めてほしかっただけ」

窓から風が入った。


書類が少し揺れた。

「あなたが『バルドール帝国に勝てば証明できる』と言った時、誰への証明か、わかっていた?」

フィデルは答えなかった。


マルグリットは続けた。

「民への証明じゃない。バルドール帝国への証明でもない」

一度止まった。


フィデルの顔を見て。


「……結局認めてもらえなかったし、逃げることもできなかったけど」

 その一言が、静かに落ちた。


 部屋が静まった。

 フィデルは動かなかった。


 長い沈黙だった。

 どのくらい経ったか。

 フィデルが、ゆっくりと息を吐いた。

 肩から何かが抜けるような息だった。

 それから、マルグリットを見た。

「……お前は、どうだったんだ」

 小さな声だった。


 さっきまでの声とは全然違った。

「お前も父上に利用された。エルバート王国へ嫁がされた。スキルを道具にされた」

 マルグリットは少し黙った。


「ええ」

「逃げられたか」

「逃げられなかったわ」

 マルグリットは静かに答えた。


「王妃として生きた。スキルを使い続けた。それが自分の場所だと思っていたから」

「後悔しているか」

「していない」

 即答だった。


「なぜだ」

「そこで生きたから」

 マルグリットは窓の外を見た。


「逃げなかったから、見えたものがある。父上の間違いも。

エルバート王国の腐敗も。

あなたが何をしようとしていたかも」

フィデルは黙って聞いていた。


「あなたも逃げなければ良かったとは言わない」

マルグリットはフィデルを見た。


「ただ——」

少し間を置いた。

「父上の呪縛から逃げるために国を作るのではなく、民のために国を作ると決めた時、本当に強くなれたのかもしれない」


フィデルは長い間、黙っていた。 

窓の外で夕暮れが深くなっていく。


カルディアの街に、少しずつ灯りが点き始めていた。

民の灯りだった。


屋内に避難している民の灯りが、窓から漏れている。 

フィデルはその灯りを見た。

しばらく見ていた。


それから、マルグリットに言った。

「……民は、どうなる」

「保護される」

グレアム様が静かに答えた。


フィデルはグレアム様を見た。

「約束するか」

「ああ」

「この街の教育制度も、医療制度も」

「できる限り維持する。それはラドゥルとも合意している」

フィデルはラドゥル様を見た。

ラドゥル様は短く頷いた。

「……そうか」

フィデルは目を閉じた。


長い息を吐いた。

それから目を開けた。

マルグリットを見た。


「姉上」

初めてその言葉を使った。


マルグリットは動かなかった。

「俺は——間違えたのか?」

マルグリットは少し考えた。

それから答えた。


「間違えた部分もある」

「そうか」

「でも」

マルグリットは静かに続けた。

「この街の子供達は、文字を読める」


フィデルは黙った。

「それはあなたがやったことよ」

部屋が静まった。

フィデルは窓の外を見た。


灯りが増えていた。

民の灯りが、街全体に広がっていた。


俺はその横顔を見ていた。

何も言えなかった。 

言う言葉がなかった。


ただ——この男は本当に民を愛していたのだと、それだけはわかった。

それだけで十分だった。


夜が来た。


カルディアに、静かな夜が来た。

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基本的に毎週水曜日、土曜日、日曜日の21時頃の更新を目指しています! 長期休暇期間中は、、、頑張ります!!
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