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75話 【ゼニス歴1079年 テオ視点】

地図に引かれた線を、ワタシは黙って見ていた。


会議室には十数人。参謀、将官、各区の責任者。

全員がフィデルの言葉を待っている。

南部防衛ラインの変更案。

ワタシが三日かけて作った数字だ。


「南部第七集落への補給を止めます」

フィデルが静かに言った。

室内がざわつく。

ワタシは書類に目を落としたまま動かない。

予想していた言葉だった。

数字として正しい。防衛コストと前線集中効率を計算すればこの結論しか出ない。


ワタシ自身がそう弾き出した。

だから何も言わなかった。


「フィデル様、南部第七集落には三千人が——」

「わかっています」


フィデルは遮った。穏やかな声のまま。

「彼らの犠牲が、より多くの民を救います」


参謀が黙る。

ワタシは書類のある数字を指でなぞった。


南部第七集落、人口三千二百四十一。うち子供が八百十七。

数字だ。ただの数字だ。

国家はこういうものだ。

感情だけでは回らない。

数字を見なければ人は死ぬ。

それはワタシが一番よく知っている。


「勝てば、全てを取り戻せます。南部第七集落も含めて」

フィデルが続ける。


その通りだ。論理として正しい。


ワタシは次の書類へ目を移した。

北部輸送路の再編案。

来週中に仕上げなければならない。

ワタシが思考の渦に飲まれているその間にも、将校達とフィデルの論争は続いている。

そしてフィデルの声が妙に引っかかるようになってきた。


「今が正念場なのですっ!

なぜそれがわからないのですかっ⁉

バルドールを押し返すのですっ!!

バルドールに勝てば証明できるっ!!!」

フィデルの声が変わった。


どんどんフィデルがヒートアップしている。

どうしたの?

ワタシは気づいた。わずかに、だが確かに。


「知識が、血統を超えられることを!」

ワタシは書類から目を上げなかった。

いや、上げられなかった。


「転生者を呼ぶ力がなくてもっ!」

「貴族の血がなくてもっ!」

「ヴォイド教の後ろ盾がなくてもっ!」

「私は証明したいのだっ!!」

フィデルの声が大きくなっていく。


「俺は国をここまで大きくしたっ!!!」

俺。俺って言った?

いつもは「私」だった。


「親父にはできなかったことを俺は成し遂げた!!」


いつの間にかワタシは書類から目を上げていた。

フィデルの横顔を見た。


演壇に立つ時の顔ではない。民に語りかける時の顔でもない。

ただの——傲慢な男の顔だった。

他者に何かを認めさせたい。

自己顕示欲が前面に出てきている、そんな顔だった。

その顔に、ワタシは見覚えがあった。

どこで見たのか、思い出せなかったが…。


フィデルはすぐに表情を戻した。

「取り乱しましたね。失礼しました。忘れてください」

穏やかな笑み。いつもの顔。


ワタシも視線を書類へ戻した。

会議は続く。数字が並ぶ。地図に線が引かれる。

ワタシは粛々と記録した。


南部防衛ライン変更。補給停止区域。前線兵站集中計画。

全部、ワタシが設計した通りに動いている。

会議が終わったのは夜になってからだった。


人が散っていく。ワタシはいつものようにフィデルの後についていった。

廊下を歩きながら、フィデルが言った。

「お疲れ様」

「ええ」

「北部の件は明日でいい」

「わかった」

自然な会話だった。

いつも通りの夜だった。

執務室へ入る。

フィデルが地図を広げる。

ワタシは書類を机へ置く。


「フィデル」

「なに?」

ワタシは聞いた。

「さっきの言葉」

フィデルの手が止まる。

「親父を超えた、というのは——どういう意味なの?」

沈黙。


フィデルはしばらく地図を見ていた。

それから、静かに答えた。

「俺は父とは違う」

それだけだった。


ワタシは何も言わなかった。

フィデルの顔を見ていた。

穏やかな顔だった。迷いのない顔だった。

だがその答えは、ワタシの問いへの答えではなかった。

知っていてやっているのか、と聞いた。

父とは違う、と返ってきた。


ワタシはもう一度だけ聞こうとして、やめた。

代わりに書類へ目を落とした。

「そう」

それだけ言って、北部輸送路の再編案を広げた。


フィデルも地図へ向き直った。

二人で黙って作業した。いつも通りの夜だった。

だがワタシの頭の中に、さっきの顔が残っていた。

親父にはできなかったことだ。

あの横顔。

どこで見たのか。

ずっと引っかかっていた。


思い出したのは、深夜になってからだった。


フィデルが仮眠を取りに奥へ入った後、ワタシは一人で書類を片付けていた。

棚の整理をしていた時、一番奥に押し込まれた古い書類束が出てきた。


ワタシが王国に捕らえられ、死にもの狂いで書類と向き合っていた、そんな時のものだ。

懐かしさのあまりに書類を捲る。

ワタシが仕込んだ暗号、ゲームの裏技コード、これにニールが応えてくれた。正露丸は笑ったけど、あの時は嬉しかった。

今でもいい思い出だったと思っている。

ニールは最後にワタシを裏切ったけど、それまではいい関係を築けていた気がする。

『刀祢』と違って。


…刀祢だ。


昼間のフィデルの顔。

自己顕示欲の塊の顔。

刀祢そっくりだ。


売れないホスト、女の家に転がり込み、昼間はワタシから金をせびり、ゲームとギャンブル三昧、

そして夜は負けた腹いせにワタシに暴力を振るい、乱暴にワタシを抱く。

そのくせに、事後のベッドでは「いつか、いい男になって恩返しする」といい、ワタシを優しく撫でて、慰める。


ダメな男。

憎めない男。


大好きだった男。


気付きたくない事に気付き、嫌な思いを掻き消そうと、書類の整理を続ける。


旧アステリズム神聖国統治記録。元教皇時代のものだ。

参考資料として取り寄せたまま、ずっと手をつけていなかった。

ワタシは束を手に取った。

実務的な判断だった。南部統治の参考になるかもしれない。

最初の数ページを読んで、手が止まった。

元教皇の初期統治方針。

 

知識は民全員のものである。

教会だけのものでも、貴族だけのものでもない。

知識を解放することが、民を救う唯一の道である。


ワタシは二度読んだ。

三度読んだ。

フィデルの演説で聞いた言葉と、ほぼ同じだった。

言い回しまで。

手が少し冷たくなった。

ページをめくる。


初期統治は理想的だった。

識字教育の推進。

農業改革。

医療制度の整備。


数字も良かった。


収穫量増加。

死亡率低下。

犯罪率減少。


だが中盤から、何かが変わっていた。

対外戦争の記録が始まった。


同じ年から、民への配給が「恩賜」という言葉で語られ始めていた。

知識の共有が、「管理された知識の配布」という言葉に変わっていた。

数字が変質していく過程が、記録の中に静かに刻まれていた。


ワタシは記録を閉じた。 

机の上に置いた。


窓の外では夜の街が静かだった。

巡回兵の足音。

遠くの工房からまだ音がする。

頭の中で数字が並んだ。


南部第七集落、補給停止。

前線兵站集中。

民の犠牲許容ライン。


そして、

元教皇の記録の後半に出てきた数字と、構造が——同じだった。

フィデルは父とは違う、と言った。


そうかもしれない。

だがワタシが今日設計した数字は、元教皇の記録の中盤以降と同じ構造をしていた。

ワタシ自身が設計した数字が。


寒かった。

窓を閉めていても、寒かった。

ワタシは記録を棚の奥へ戻した。

そして北部輸送路の再編案を広げた。

仕事をした。


今はそれしかできなかった。

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基本的に毎週水曜日、土曜日、日曜日の21時頃の更新を目指しています! 長期休暇期間中は、、、頑張ります!!
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