73話 ゼニス歴1079年 ニール視点
翌日、カルディア中央区、朝から人の流れが慌ただしかった。
「北部輸送班急いで!」
「印刷工房、人手不足だ!」
「配給表更新します!」
都市全体が動いている。
まるで巨大な機械だった。
「……もう止まれなくなっているのだな」
グレアム様が低く呟く。
俺も同感だった。
この国は今、拡大で成立している。
新しい技術。
新しい人材。
新しい生産。
止まれば崩れる。
「先生〜」
ミアが小走りで戻ってきた。
「なんか変です〜」
「何がだ」
「市場です〜」
案内された市場区は、妙な空気だった。
活気はある。
だが、人々が疲れている。
以前見た笑顔が少ない。
「……睡眠不足か」
俺が呟く。
商人達の目に隈がある。
工員も同じ。
「最近、忙しくてなあ」
果物屋の男が苦笑した。
「注文が増えすぎなんだ」
「景気いいんじゃねえのか」
ガブが聞く。
「景気はいいさ」
男は笑う。
「だが、忙しすぎて休めねえんだ。疲れちまったよ」
その言葉に、俺は昨日までの印象からの違和感を感じ始める。
次に訪れた工房区でも同じだった。
「増産!」
「納期!」
「輸送!」
人が走り回る。
子供まで帳簿整理をしていた。
「ニール」
イルルが小声で言う。
「なんか、みんな余裕なくない?」
「ああ」
昨日までは理想国家に見えた。
だがよく見ると違っていた。
彼らを今支配しているのは「焦燥感」だ。
一人でもサボると業務が止まってしまう。
簡単に言うと「余裕」がないのだ。
その時。
「失礼します!」
中央管理局から役人が飛び出してきた。
「南部食糧倉庫、計算誤差です!」
「何%だ?」
「三%不足!」
「なにをやっているんだ!早く補填急げ!」
怒号が飛ぶ。
人が走る。
テオが奥から現れた。
「どうしたの?報告しなさい!」
空気が凍る。
「輸送再確認したの?」
「ま、まだです」
「という事は、確認前にワタシに報告へ来たということ?」
静かな声。
だが恐ろしいほど冷たい。
「申し訳——」
「謝罪はいいわ」
テオは即座に指示を飛ばす。
「北部備蓄の開放を」
「輸送路変更」
「市場価格の固定を最優先」
「これらを全て三時間以内に。完了後、ワタシに報告なさい」
「は、はい!」
役人達が散っていく。
イルルが青ざめていた。
「……怖い」
ニールも黙ってテオを見る。
以前より明らかに余裕がない。
目が鋭すぎる。
神経が張り詰めている。
「テオ」
俺が呼ぶ。
「寝てるか」
「寝てるわよ」
「何時間だ」
「そうね、二時間くらいは」
「死ぬぞ」
「こんな事では死なないわ」
即答だった。
だが声が少し掠れている。
「今、この国は拡大期なの。」
テオは書類へ目を落としたまま言う。
「今止まったら崩れるわ。
だから回し続ける必要がある」
その時、外から怒鳴り声が聞こえた。
「ふざけんな!」
広場だった。
数人の男が衛兵と揉めている。
「労働割り当てが増えすぎだ!」
「家族と飯食う時間もねえ!」
ざわめき。
周囲の空気が少し張る。
だが衛兵は冷静だった。
「現在は国家拡張期です」
「協力をお願いします」
「限界だっつってんだろ!」
男の怒声。
周囲の人々も不安げだ。
その瞬間。
「下がってください」
静かな声。
フィデルだった。
人々の空気が変わる。
「フィデル様……」
男達も言葉を止めた。
フィデルは彼らの前へ立つ。
「話を聞かせてください」
怒鳴っていた男が戸惑う。
「……仕事が増えすぎなんだ」
「最近、あまり寝れてねえし、ゆっくり飯も食えねえ。酒なんて全く飲めねえしよ」
「でも、配給は助かってる」
「学校だってそうだ。ウチのガキが楽しそうに通ってやがる」
「でもよ、フィデル様。俺達、働き続けてばっかだ」
「少し余裕が欲しいんだ。ガキと遊んでやりてえんだ」
周囲が静まる。
フィデルは真剣に聞いていた。
否定しない。
怒らない。
そして、
「申し訳ありません」
フィデルは深く頭を下げる。
周囲がざわつく。
指導者が民へ頭を下げた。
「お、おいおいおい、フィデル様、頭を上げてください!」
フィデルは頭を下げながら、町人に告げる。
「現在、国家拡張速度が予測を超えていることは把握しています」
「いずれ、みなさんの労働負荷の再調整を必ず行います」
テオの目がわずかに揺れた。
だが何も言わない。
「ただ」
フィデルは静かに続ける。
「今は止まれません。今止まれば、多くの地域が再び飢えます」
その言葉に、男達が黙る。
「皆さんの労働で、救われている人々がいます。
だからどうか、もう少しだけ力を貸してください。
私はこの国で飢えている人を放ってはおけない。
私はこの国を豊かで幸せに満ち溢れた国にしたいんだ。」
静かな声。
だが不思議と、人を責めない。
男達は顔を見合わせた。
「……分かったよ」
「フィデル様がそこまで言ってくださるのなら」
「騒いじまって悪かったな、衛兵さんよ」
「いえ、仕事ですから。お気になさらず」
ざわめきが収まっていく。
イルルが呆然としていた。
「すご……」
「化け物だな」
グレアム様も低く言う。
普通なら暴動になる。
だがフィデルは、感情ごと収めてしまった。
その横で。
テオだけが無言だった。
じっとフィデルを見ている。
フィデルを見るテオの目は、昨夜よりさらに熱くなっていた。
俺は気付く。
危険なのは国家だけじゃない。
テオ自身もだ。
もう戻れない場所まで来ているのだろう。




