第8話 届かない「可愛い」の言葉
「ちがう、僕は、あんなつもりじゃ……!」
夜会の喧騒から遠く離れた、誰もいない夜の庭園。
ミッシェルは、自分の形の良い両手を激しく震わせながら、暗闇の中で立ち尽くしていた。
頭が狂いそうなほどの後悔が、十五歳の少年の胸を容赦なくかき乱す。
アナベルが傷ついた顔で立ち去った瞬間、彼は己の犯した罪の重さに気づいた。男友達の間で格好をつけたいがために、口から出まかせの暴言を吐いた。それを、一番聞かれたくない当人にすべて聞かれてしまったのだ。
「……おばさんだなんて、そんなこと、これっぽっちも思ってないのに!」
手すりをきつく殴りつける。痛みが走るが、胸の痛みはその何倍も激しかった。
本当は、言葉を失うほど見惚れていたのだ。
ドレスを贈ろうと決めた時、アナベルを陥れようとする小娘たちの仕掛けた罠だとも知らず、ミッシェルはただ純粋に『今、学園で一番人気のドレス』だと信じて彼女に贈った。
会場に現れたアナベルを見たとき、彼は自分の愚かさを思い知った。長身で知的な彼女に、あのフリフリした装飾は確かに不調和だったからだ。
けれど、イザベルの手によって無駄な装飾を削ぎ落とされ、洗練されたパステルピンクを纏って戻ってきた彼女は――息を呑むほどに、美しかった。
いつもはクールビューティと称される彼女が、淡い桜色に包まれて、どこか儚げに、それでいて最高に可愛らしく微笑んでいる。
それを見た瞬間、ミッシェルの心臓は爆発しそうなほど跳ね上がった。幼い頃からずっと密かに憧れ、ヘンリー兄上の後ろから見つめることしかできなかった、大好きな、初恋の人。
彼女が、自分の贈った色に染まっている。
嬉しくて、愛おしくて、けれど他の男たちには一秒たりとも見せたくなくて。
その強烈な独占欲と、十九歳のアルベルトのようにスマートに彼女をエスコートできない己の子供っぽさへの苛立ちが、彼をパニックに陥らせていたのだ。
『無理をしているようで、変です』
あの時だって、本当は「可愛すぎて、僕の心臓が保たないから、そんな格好で他の男の前に出ないでくれ」と言いたかった。
なのに、語彙も、素直さも足りない十五歳の口から出たのは、最悪の拒絶の言葉だった。
「どうして……どうして僕は、いつもこうなんだ……!」
ミッシェルは頭を抱えて蹲った。
ただ、「今日のあなたは世界で一番可愛い」と、その一言が言えればよかったのだ。それだけで、彼女の心を救えたはずなのに。不器用で、じれったくて、プライドばかりが高い自分の口は、彼女を傷つける毒ばかりを吐き出す。
一方その頃、アナベルは馬車の中で、声もあげず涙を流していた。
揺れる車内、暗がりのなかで、胸元に残されたミッシェル様の選んだリボンに触れる。指先が惨めさで震えた。
「……もう、無理をして笑うのも、疲れてしまったわ」
ミッシェル様にとって、自分はやっぱり『お下がり』で、兄を失ったから仕方のなくあてがわれた『痛々しいおばさん』なのだ。本人からも、その友人たちの前でも、はっきりとそう告げられてしまった。
私がどれだけ大人の対応をしようと足掻いても、彼が求めているのは、あの学園にいるような瑞々しくて愛らしい、本物の十五歳の少女なのだろう。
私の片想いのような努力も、若さへの執着も、すべてがあの子にとっては鬱陶しく、滑稽なものでしかなかったのだ。
(これ以上、あの子の隣にいて、傷つきたくない……)
心の傷口から、ぽたぽたと情熱が流れ落ちていくような感覚。
二人の間に横たわる溝は、三歳という年齢の差以上に、絶望的なほど深く、暗く広がってしまった。
屋敷に戻り、部屋の鏡の前に立つ。
そこには、持ち主の心を失って、ただ寂しげに佇む美しいピンクのドレス姿の私がいた。
「ミッシェル様……」
届かない言葉と、すれ違う想い。
本当は誰よりもアナベルに恋焦がれている少年と、彼に拒絶されたと思い込み、心を閉ざしかけている年上の令嬢。
二人の距離は、皮肉なほどに遠く離れてしまっていた。




