第4話 鏡の中のクールビューティ
姿見の前に立つ私は、いつもと変わらない『ロイド侯爵令嬢』の姿をしていた。
生まれつきのすらりとした長身に、無駄な肉のない引き締まった体躯。夜空を溶かし込んだような深い紺色の髪は、美しく結い上げられ、首筋の白さを際立たせている。
本来の私が好むのは、こうした落ち着いた色合いの、知性を感じさせる洗練されたドレスだ。
社交界ではありがたいことに、この佇まいを「クールビューティ」と称賛されることが多い。派手さや愛嬌はなくとも、気品と凛とした美しさがあれば、侯爵令嬢として、そしていずれはゴードン伯爵家を率いるヘンリー様の妻として、何一つ恥じることはない《《はずだった》》。
……そう、「ヘンリー様の婚約者」であったなら。
「……はぁ」
私は鏡の中の自分を見つめ、小さくため息を漏らした。
紺色のドレスに包まれた私は、どう見ても『成熟した大人の女性』だ。
けれど、いま私の隣に立つべき新たな婚約者は、十五歳のミッシェル様。あの、まだ声変わりも完全ではなく、童顔で華奢な美少年なのだ。
先日、カフェのテラス席で耳にした、十五歳の令嬢たちの残酷な囁きが、未だに耳の奥でリフレインしている。
『十五歳のピチピチしたミッシェル様の隣に、十八歳の行き遅れおばさんなんて、まるで公開処刑じゃない?』
たった、三歳差。
されど、この落ち着き払ったドレスを着ていると、自分が本当にミッシェル様を囲い込む「年上のおばさん」のように思えてくる。彼を前にしてツンツンと虚勢を張らせてしまったのも、私がこんな、可愛げのない大人びた女だからではないだろうか。
(このままじゃ、駄目だわ……。もっと、彼に合わせなければ。若く、可愛らしく見せなければ、本当にあの子の隣に並べなくなってしまう)
胸の奥から湧き上がるのは、焦燥という名の黒い泥だった。
十八歳という、大人の入り口に立ったばかりの年齢のはずなのに。どうして私は、これほどまでに老いることへの恐怖と、若さへの執着に似た強迫観念を抱かなければならないのだろう。
「お嬢様、そろそろお時間でございます」
「……ええ。行きましょう」
私は焦る心を強引に仮面の下へ隠し、親友であるイザベル――コルディア公爵家が主催する、華やかな夜会へと赴いた。
王都にある公爵邸の広大な舞踏の間は、きらびやかな魔術光と、着飾った貴族たちで埋め尽くされていた。
「おお、アナベル嬢! 今宵も一段と素晴らしい。その理知的な美しさは、まさに夜会の至宝だ」
「ロイド侯爵令嬢、先日の……その、ヘンリー殿の件は耳にいたしました。なんと不条理な。あなたほどの素晴らしい女性を裏切り、平民と出奔するなど、彼は正気を失っていたとしか思えん」
会場に足を踏み入れると、社交界の紳士たちが次々と私を囲み、惜しみない称賛の言葉をかけてくれた。
それと同時に、多くの大人の貴族たちが、私の負った「婚約者失踪」という傷に、深い同情を寄せてくれる。
「あなたの高潔な美しさに泥を塗ったゴードン家の長男など、忘れてしまいなさい。それにしても……新たな婚約者が、弱冠十五歳の次男殿になるとか」
「ええ、まあ……」
「まだ学園に上がったばかりの子供だろう? アナベル嬢のような完成された美人の隣に立つには、いささか荷が重いのではないかな。あなたが苦労されると思うと、胸が痛むよ」
紳士たちは純粋に私を気遣い、同情してくれている。それは分かっていた。
けれど、「完成された美人」「子供のミッシェル様」という言葉を突きつけられるたびに、私の心は綺麗に削られていく。
彼らが私を褒めれば褒めるほど、それは暗に『十五歳の少年には、あなたは大人すぎる』と言われているようにしか思えなかった。
(私は……綺麗なお姉さんでいられれば、それでいいの?)
違う。私がこれから向き合わなければならないのは、あの、頑なに心を閉ざした十五歳の婚約者なのだ。
大人の紳士たちにどれほど称賛されようとも、ミッシェル様に「無理をしていて、変です」「子供扱いするな」と拒絶されてしまえば、何の意味もない。
ふと、壁際に視線をやると、学園の一年生とおぼしき若い令嬢たちが、楽しげに笑い合っているのが見えた。
彼女たちのドレスは、淡いパステルカラー。胸元には大きなリボンがあしらわれ、ふんわりとしたフリルが歩くたびに揺れている。それはまさに、瑞々しい若さと可愛らしさの象徴だった。
(……可愛い)
じっとその光景を見つめる私の胸に、異常なまでの焦りと、強烈な強迫観念が芽生える。
(紺色じゃ駄目。こんな大人びた格好をしていたら、いつまで経ってもミッシェル様に『おばさん』だと思われてしまう。私も、あんな風に装わなければ。ピンクを着て、リボンを増やして、フリルをたくさんつけて……もっと若く、可愛らしくならなくちゃ……!)
本来の自分のスタイルや、似合う色なんて、焦燥の渦の中にすべて消え去ってしまった。
私を包むクールビューティという称賛が、いまや私を縛り付ける残酷な檻へと変わっていく。
「アナベル? 顔色が悪いわ。大丈夫?」
主催者としての挨拶を終えたイザベルが、心配そうに私の元へと駆け寄ってくる。
私は引き攣りそうになる頬を必死に持ち上げ、完璧な笑みを作ってみせた。
「いいえ、なんでもないわ、イザベル。ただ……次の夜会のために、少し仕立て直したいドレスを思いついたの」
「ドレスの仕立て直し? あなたのお気に入りのシックなもの?」
「ううん。……もっと、ずっと可愛らしい、ピンクのドレスよ」
私の言葉に、イザベルが怪訝そうに眉をひそめる。
鏡の中の自分を否定し、似合いもしない若さに縋ろうとする私の、惨めで切ない暴走が、ここから始まろうとしていた。
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