第三十五章:好きって、あったかい
夜。
護衛任務を終えた帰り道で、ギルドでの報告も済ませ、小さな宿へ戻った。
部屋の中は薄暗く、どこかほっとする匂いがする。
カイルは無愛想に言った。
「……風呂、行っとけ。」
レリアは柔らかく笑ってタオルを渡す。
「はい、これ。ちゃんと身体温めてきなさい。」
ファナは少しうつむき加減に、小さな声で返した。
「……うん。」
心の中では、まだずっとメルの言葉が渦を巻いていた。
「また会おう、ファナ。今度は、君の“好き”がどんな色か、ちゃんと教えてくれよ?」
わからない。
どんな色かなんて。
胸がドキドキするだけで、言葉にできなかった。
湯気が立ち込める小さな風呂場で、ひとりお湯に浸かる。
包帯の巻かれた手をそっと水面から出して、じっと見つめる。
レーネの声が頭の中で反響した。
「“好き”は風のようなものよ。」
お湯は熱いのに、胸の奥はずっとざわざわしていた。
風呂から上がると、部屋はもう寝る支度が整えられていた。
カイルは乱暴に布団を蹴って広げながら短く言った。
「寝ろよ。」
レリアは毛布を整えながら笑った。
「おやすみ、ファナ。」
ファナも小さく布団に潜り込んで、背を向けたまま声を絞り出す。
「……おやすみ。」
瞼を閉じた。
でも眠れない。
「寝たふりしてるけど、全然眠れない。
今日のこと、頭から離れない。」
部屋は静かだった。
だけど、小さな声が聞こえた。
レリアが、そっとした声で囁く。
「今日も無事で良かったわね。」
少しの間があって、カイルの低い声が返る。
「……ああ。頑張ってた。
無理してんじゃないかって、ずっと心配で。」
レリアの笑い声が微かに震えた。
「心配しすぎよ。優しいわね。」
カイルが息を呑む音。
「……お前と、あいつと、一緒にいたい。
家族でいたいんだ。俺、不器用だけど。」
レリアがゆっくり答えた。
「知ってるわ、カイル。
私もファナと一緒にいたい。家族でいられるなら、それが一番幸せ。」
ファナは布団の中で目を開いていた。
「……家族。
カイルの声、震えてた。
伝えるの、きっと怖かったんだ。
でも言った。
大事だから、ちゃんと伝えたかったんだ。
レリアさんの声はあったかかった。
受け止めてた。
好きって、そういうことでもあるんだ。
ただドキドキするだけじゃない。
楽しいだけでもない。
怖くて、恥ずかしくて、それでも大事だから、言いたい。
メルの“好き”も、リクトの“好き”も、セナの言葉も。
どれも違うけど、全部大事な気持ち。
私も――いつか、ちゃんと伝えたい。
自分の言葉で、嘘じゃなく。
……まだ分からないけど。
でも、少しだけ分かった気がする。
好きって、あったかい。」
朝。
薄明かりが部屋に差し込む。
カイルがぶっきらぼうに言った。
「……起きろ。」
レリアは微笑んで声をかけた。
「おはよう、ファナ。」
ファナはもぞもぞと布団から出て、頬を少し赤くして小さく答えた。
「……おはよう。」
三人で小さなテーブルを囲み、簡単な朝食を取った。
パンをかじりながらも、ファナは何度も視線を落とした。
レリアがそっとカイルを見ると、カイルは渋い顔で深く息を吐く。
「……昨日、お前が無事で、本当に良かった。
俺はお前を……家族だと思ってる。
もし嫌じゃなきゃ、これからも一緒にいたい。」
ファナはびっくりしたように目を丸くし、唇を噛む。
レリアは柔らかく微笑んだ。
「ファナ、無理に決めなくていいのよ。
でも、ここを居場所にしてくれるなら、私たちはすごく嬉しい。」
ファナは大きく呼吸をして、震える手をテーブルの上で握りしめた。
頬が真っ赤になりながらも、勇気を振り絞って顔を上げた。
「……うん。私、二人と家族になりたい。」
カイルは目を見開いてから、すぐに視線を逸らした。
耳まで赤い。
「……そうか。」
声が掠れた。
レリアは涙を滲ませた目で微笑み、そっと手を伸ばした。
「ありがとう、ファナ。」
ファナの頭を撫でる。
ファナは震える声で、言いにくそうに言った。
「……ありがとう。カイル……おとーさん。
レリア……おかーさん。」
言い終えると顔を真っ赤にして下を向いた。
カイルは一瞬絶句し、無言で大きな手でファナの頭を乱暴に撫でた。
レリアは涙を流しながら、そっと抱きしめた。
「うん。ありがとう、ファナ。」
優しく、何度も撫でた。
「好きって、一つじゃないんだ。
家族の好き、友達の好き、恋の好き。
どれも違うけど、全部大事な気持ち。
“おとーさん”“おかーさん”って言えたら、なんだか胸が熱くなった。
すごく恥ずかしかったけど。
でも、言えて良かった。
伝えたら、少しだけ軽くなった。
まだ分からないこともたくさんあるけど。
でも、大事にしたい。
ちゃんと伝えられる日まで。」




