第四十七章『遺された願い、託された未来』
あれほど張り詰めていた空気は、嘘のようにやわらぎ、
通りには市場が戻り、人々の表情にほんの少しだけ、温度が宿っていた。
だがその安寧は、誰にも言えない「代償」の上に成り立っている。
それを知る者たちは、静かに、その責を背負う覚悟を抱いていた。
「──これをもって、王家より謝意を示します。ですが、あくまで非公式な処遇となりますこと、ご了承いただきたく」
王宮の私室。
堅苦しくも簡素な儀礼により、ファナたちに対し“密やかな報酬”が渡された。
ひとつは、臨時Eランク昇格証。
そしてもうひとつは、王室認可の魔導院特別協力証。
これにより、王都内における活動制限は解除され、必要に応じて院内の閲覧や立入が許可される。
「ふむ……名ばかりの特例処遇、か。実に王都らしい、責任の所在が曖昧な褒美だな」
メルが皮肉めいて口角を上げる。
だがその隣で、ファナは小さく、でも確かに微笑んでいた。
「ううん。……嬉しいよ。少しずつ、ちゃんと認めてもらえてる気がするから」
その言葉に、メルは苦笑いのような顔で視線を逸らした。
「ほんと、お前は……健気すぎる」
「うーん、褒められてるのか、どうなのか……」
にこやかに返すファナを、セドリックが横から眺めていた。
彼の顔には、どこか満足そうな安堵が浮かんでいる。
そして、その場で──セドリックは静かに、ある宣言を口にした。
「私は、本日をもって王位継承権を正式に放棄いたします」
重たいようで、清々しい響きだった。
その場にいた誰も、驚きはしなかった。ただ、静かに、納得していた。
「──では、次の王位継承候補は、わたくしということで間違いありませんのね」
フィリアの問いに、セドリックは微笑む。
「ええ。貴女こそが、この国の未来です。私はその“裏”で、支えることにいたしますよ」
***
日が落ちかける王宮の一室。
フィリアとセドリック、二人きりの静かな時間。
明るいランプの下、茶器の触れ合う淡い音だけが響いていた。
「私の……参謀になっていただけませんか?」
その言葉に、セドリックは目を細めた。
「表の参謀ですか? それとも……裏の“監視役”ですか?」
「……両方です。建前は“王女直属の参謀”。いずれ、女王直属の参謀となる立場。
けれど本当は──あなたしか、王族を監視できる者はいないから」
沈黙。だが拒絶はなかった。
「裏方の方が性に合ってますから。……よろこんで」
フィリアの表情に、静かな安堵が浮かぶ。
「武の兄、輪の私、知のあなた。三人が揃えば……王家は盤石だったのにね」
その言葉に、セドリックは少しだけ、懐かしむように笑った。
「……でも、二人でも十分やっていけますよ。兄上も……そう、言ってます」
***
王都の端、小高い丘に建つ古い礼拝堂。
そこが、王家の非公開葬が行われる場所だった。
参列者は、軍の上層部、近衛騎士団、王室付き魔導官、そして残された二人の王族だけ。
一般に告知されることのない、静かな別れだった。
遠く、その様子を見守っていたファナとメル、メリル。
彼らには呼ばれなかった。ただ、それでよかった。
「……話したこともない人だったけど。安らかに、眠ってください」
ファナは胸の前で手を組み、そっと目を閉じる。
隣のメリルも、静かに頭を垂れる。
「王の器とは、理想を生きた人のこと……。ならば、あの方は間違いなく、“王”だったのでしょうね」
花の降るような風が吹いた。
そこに誰かの祈りが乗ったような気がして、誰も言葉を発さなかった。
***
石畳の道を、ファナとメルが歩いていた。
昼の喧騒が去った王都は、今だけ穏やかで、どこか懐かしい匂いがした。
「……もうすぐ、十八歳かぁ」
不意に、ファナが空を見上げながらつぶやいた。
「冒険者になったときは、まだ十六歳だったのに。なんか、あっという間だったな……。でも……ちゃんと、成長できてるのかな、私」
メルは隣で目を細める。
「あとどれくらいで?」
「来月。あと一ヶ月……くらい」
その答えに、メルは小さく頷き、何かを思うように目を伏せた。
(……そろそろ、ケジメをつけないとな)
心の中だけで、そう呟く。
けれどファナは気づかず、いつものように明るく微笑んだ。
「明日からも、頑張ろうね。……メル」
そう言って、彼の袖を軽く引いた。
──その柔らかさに、メルは、何も言えなくなる。
***
夜の王都。
高い塔の上、誰もいないはずの場所。
そこに人影はない。
けれどもし、誰かが空を見上げたなら──
そこから王都を見下ろす、何かの“視線”を感じたかもしれない。
観客は、まだこの都市を去っていなかった。
ファナたちは知らず、ギルドの扉を開ける。
新しい朝、新しい依頼。
次の旅が、すぐそこまで来ていた。




