第五十八章:あなたがいいの
ランプの柔らかな灯りが、閉じたドアを背にした二人を包んだ。
簡素な部屋には、外の夜風の音も届かない。
廊下の気配が遠ざかり、ほんの小さな呼吸さえ響きそうな静けさ。
ファナは少し俯きながら頬を赤く染め、小さな声で誘った。
「……狭いけど、座って?」
メルは無言で周りを一瞥し、ため息をつくふりをしてベッドの端に腰を下ろす。
「……女の部屋なんて落ち着かねぇな。」
ファナも同じようにベッドに腰掛ける。
肩が少し触れる距離。
くすぐったいように目を伏せ、笑った。
「私もだよ。メルさんがここにいるの、変な感じ……。」
二人ともふっと笑い、けれどすぐに言葉をなくした。
ファナは心の中で必死に落ち着こうとしていた。
(でも、来てくれた。メルさんが、ちゃんと。)
メルも視線を少し落とす。
(……そんな顔すんなよ。可愛すぎるだろ。)
けれど、その甘い空気を切り裂くように、メルが低く問いかけた。
「……なあ、ファナ。」
「なんで……俺なんだ。」
ファナは目を瞬かせて顔を上げた。
「……え?」
メルは視線を逸らし、しぼるように吐き出す。
「……リクトやセナだって、お前のこと好きだったんだろ。」
「分かってたよ、そんなの。」
「……なのに、なんで俺なんだよ。」
その声は苦しそうで、情けないくらい素直だった。
ファナは胸が詰まって答えを探すように視線を落とした。
(メルさん……そんな風に思ってたんだ。リクトも、セナも、ちゃんと見てたんだ……。)
しばし沈黙。
ランプの灯りが二人の横顔を照らす。
ファナは小さく震えながら、言葉を吐き出した。
「……リクトも、セナも、大事だよ。」
「大好きだよ。大切な仲間だもん。」
「でも、メルさんは違うの。」
メルが息を呑むように視線を戻した。
「……違うって、何が。」
ファナは唇を噛んだ。
「リクトは、私を守ろうとしてくれた。」
「でも素直になれなくて、私もどうしていいか分からなかった。」
メルは小さく吐息をついた。
「……あいつ、あれが精一杯だ。」
ファナは頷いた。
「セナは優しかった。」
「全部分かってくれるみたいで。」
「私が怖がってるのも甘えてるのも、そのまま受け止めて『いいよ』って言いそうだった。」
メルは真剣にその言葉を受け止め、そっとファナの髪を撫でた。
ファナはその手に小さく肩をすくめながらも、涙を滲ませて視線を逸らさずに言った。
「でもメルさんだけが、『選べ』って言った。」
「怖かったのに、逃げずに私に選ばせてくれた。」
「誰かに守られるだけじゃなくて、自分で『欲しい』って言いたかった。」
「メルさんが欲しいって言ってくれたから、私も……欲しいって言えたの。」
(ちゃんと伝えたい。この人が欲しいって、ちゃんと言いたい。)
メルは黙ったまま、ファナをじっと見つめた。
そしてゆっくり手を伸ばし、ファナの頬に触れた。
その指先が震えていた。
低く少し震えた声で、絞るように吐き出した。
「……お前、ほんと泣きそうな顔して言うな。」
視線を少し落としてから、真剣に見つめ直す。
「……お前の笑顔、俺が守るから。」
「泣きたくなったら、俺に言え。」
「俺が抱きしめてやる。」
ファナは涙を拭いながら、でも頬を真っ赤にして震えた声で笑った。
「……メルさんのせいだよ。」
「泣きたくなるのも……笑いたくなるのも。」
「全部、メルさんのせい。」
メルはファナをそっと引き寄せ、肩を抱いた。
二人の距離がほとんどなくなる。
ランプの明かりに映る二人の影が寄り添った。
メルは耳元で囁くように言った。
「……欲しいって、俺にだけ言え。」
「他の奴には言うな。」
ファナはドキッとして目を見開いたが、すぐに潤んだ瞳で微笑んだ。
「……うん。」
「メルさんだけに言う。」
視線が重なる。
部屋のランプの灯りが優しく揺れた。
二人の影が壁に映って寄り添う。
メルはそっと額を合わせて、低く囁いた。
「……いいか。」
ファナは赤く染まった頬で、小さく声を震わせて答えた。
「……うん。」
そっと唇が触れる。
触れただけみたいに短い、でもお互いにとって決定的な初めてのキス。
メルは唇を離して、少し照れくさそうに低い声で告げた。
「……離さねぇ。」
「絶対にな。」
ファナは涙を滲ませたまま微笑んだ。
「……うん。」
「離れないで。」
ファナは胸が苦しいほどにドキドキしていた。
メルも必死に堪えながらその背を抱きしめた。
小さなランプの光が二人を優しく包む。
部屋の静けさに、二人の誓いと鼓動が響いた。
言葉がなくても、すべてを伝える夜だった。




