第五十六章:泣かせたくない
夜のカフェの個室。
ランプの柔らかな光が二人を照らしていた。
ハーブティーから上がる湯気が、細く揺れては消える。
無言の時間が、やけに長く感じた。
ファナは手元のカップをぎゅっと握り、顔を少し伏せた。
(心臓が痛いくらいにドキドキする。
メルさんと二人きり。
怖いけど、逃げたくない。
ちゃんと話すって決めたんだ。)
メルも、カップを持ったまま、低く息を吐く。
(落ち着け、俺。
軽口でごまかさないって決めただろ。
泣かせたくねぇ。もう。)
静寂を破ったのは、ファナの震える声だった。
「……あの、メルさん。」
「今日、話したいって言ったのは……。」
唇を噛みしめて、息を吸う。
「泣いてばかりで、何も言えなかったから。」
「ちゃんと、伝えたいの。」
メルは目を細めて頷く。
声は低く、でも真剣だった。
「……そうだな。」
「俺も、話すって決めた。」
ファナはその言葉に、かすかに肩を震わせた。
胸の奥がきゅっと締めつけられる。
(怖いけど、嬉しい。
話せるんだ、メルさんと。)
メルがゆっくり口を開いた。
視線を外しながらも、声は震えない。
「……俺、さ。」
「自分に関わるやつには、笑っててほしいんだよ。」
「お前を初めて見た時、泣きそうな顔してた。」
「なんとか笑わせたくて、どうしたらいいかずっと考えてた。」
「でも、お前はきょとんとして、全然わかってくれなくて。」
「それで……軽口ばっか叩いてた。」
ファナははっとしてメルを見つめた。
メルは少し目を伏せ、苦笑のような表情を見せた。
「本当は心配で、怖かったんだ。」
「泣かせるのも、泣かれるのも、すげぇ怖ぇくせに。」
(こんな話、する日が来るなんてな。
でも、言わなきゃ伝わらねぇ。)
その声がかすれたのを、ファナは聞き逃さなかった。
メルは息を吐き出すように続けた。
「……お前をどうやって笑わせるか、ずっと考えてた。」
「気づいたら、俺のほうが……どうしようもなくなってた。」
「お前の笑顔、ずっと見てたいんだ。」
ファナの瞳に、涙が滲む。
胸が熱くて、言葉が喉で詰まる。
震える声をなんとか押し出した。
「……そんな風に……思ってくれてたんだ。」
(胸が熱い。
こんなにちゃんと話してくれたの、初めて。
聞けて良かった。)
ファナは手を強く握りしめて、息を吸い込む。
そして、ゆっくり吐きながら口を開いた。
「私……泣いてる人を見たくなくて。」
「ただ語るだけじゃ足りないって思ったの。」
「無力なのが嫌で、ちゃんと守れる人になりたくて……。」
「だから、冒険者になったの。」
「メルさんも……泣かせたくなかった。」
(こんなにちゃんと話したの、初めて。
でも、聞いてほしかった。)
俯きながらも、唇を噛んで続けた。
「それから……私。」
「ラゼンの森のことも、どうしてこの街に来たかも……。」
「ちゃんと話すね。」
「今まで……誰にも言えなかったけど。」
(怖い。
でもメルさんには、全部知ってほしい。
もう、隠したくない。)
メルは目をそらさず、深く頷いた。
「……ああ。」
「聞かせてくれ。」
(全部、受け止めるって決めたから。)
ファナは深く息を吸い、震える声で自分の過去を話した。
帝国に追われたこと。
ラゼンの森を離れた理由。
この街まで来た経緯。
メルは一度も口を挟まなかった。
ただ、視線を逸らさずに、ファナを見つめ続けた。
話し終えると、ファナは涙を拭った。
でも頬にはまだ熱が残っている。
メルはそっと手を伸ばし、ファナの頬に触れた。
「……そっか。」
「……大変だったな。」
ファナが目を見開くと、メルは指先でそっと涙を拭う。
「もう泣くなって。」
「お前が泣くの、好きじゃねぇから。」
少し視線を逸らし、声を低く落とす。
「……辛いことも悲しいこともさ。」
「一人で抱えるな。」
「……言えよ、俺に。」
(泣かせちまったけど……それでも俺に全部話してくれた。
もう絶対、目を逸らさねぇ。
こいつの全部、俺が守ってやる。)
ファナはまた涙がこぼれた。
でも、今度は笑っていた。
そっとメルの手を握り返し、声を震わせた。
「……うん。」
「メルさん、ありがとう。」
「私……話せて良かった。」
(全部話せた。
メルさんがいてくれるから、言えた。
私のメルさん……これからも、ずっとそばにいたい。)
二人は頬を赤くしながらも、視線を逸らさなかった。
テーブルの上では手が重なったままだった。
ハーブティーの香りが、優しく二人を包む。
メルが少し口角を上げ、イタズラっぽく呟いた。
「……さ、そろそろ戻るか。」
「こんな時間まで二人でいたら、ギルドで『泊まった』とか言われるぞ?」
ファナは目を丸くし、真っ赤になった。
「と、とま……っ、そ、そんなこと言わないでよ!」
でも、すぐにふっと笑ってメルの腕を小突いた。
メルは心の中で思った。
(やべぇ、可愛い。
こういう顔、俺だけに見せろよ。)
二人は視線を合わせたまま、自然と笑い合った。
頬を赤く染めながら、離れようとはしなかった。




