第一話 十連敗からの始まり
風は静かだった。
秋の午後、競輪場のコンクリートスタンドに、俺はひとり腰を下ろしていた。レースが始まるというのに、胸はざわつかない。むしろ、もう何も起きていないような気がした。
「今回こそは」なんて言葉は、七敗目あたりでとうに消えていた。
八敗目では、祈りも消えた。
九敗目では、俺自身が消えた気がした。
そして今、十回目。最後の一枚。
財布の中身は、紙切れ一枚。いや、紙切れですらない。過去の自分が選び、夢を託し、結果に裏切られ続けてきた履歴書のような馬券 いや、車券だ。
場内アナウンスが鳴り響き、選手たちがホームストレートを流していく。ペダルを踏む脚の筋肉、肩の揺れ、風を切る音。それらはまるで、俺には関係のない世界の出来事だった。
「位置取りは悪くない…」
隣にいた老人が呟く。
それを聞いて、俺はかすかに笑った。何度そう言われて、俺は負けてきたんだろう。
「悪くない」のに、なぜいつも負ける?
人生も、同じだ。努力も、環境も、人並みだった。悪くなかったはずなのに、なぜ俺はここまで落ちてきた?
最終周。
赤いヘルメットの6番が仕掛けた。俺の本命2番はインを塞がれ、身動きが取れない。
ああ、もう見える。
外から4番が伸びる。
そして、1番、6番が併せてくる。2番は、いや、2番だけが見えない。
ゴールライン。
写真判定の赤い文字が虚しく点滅する。だが、俺にはもう分かっていた。見慣れた負けの形。十回目の敗北は、静かで、冷たい。
俺は立ち上がった。ゆっくりと、スタンドを降りる。財布は空っぽだ。
でも、それよりも重たいのは、ポケットにある十枚の外れ車券。破ることもできず、投げ捨てることもできない。
出口に向かう途中、売店の前で子どもがアイスをねだっていた。
親は困った顔をしていたが、財布を出して、アイスを買ってやった。
俺はただ、それを見ていた。
「俺、何やってんだろうな…」
口に出して言ってみた。誰も聞いていない。風も吹かない。空は曇っていた。
十連敗。
たかが博打、されど十敗。
何かが終わった気がした。
だが、意外と俺は、生きていた。
死にたくなるかと思っていたが、腹が減っていた。情けなさよりも、次に何を食うかを考えていた。
「カツ丼でも食うか」
そう呟いたあと、俺は競輪場の外に出た。
場外券売場の脇に、小さな神社のようなものがあるのは前から知っていた。名前も読めないような古びた祠で、誰が祀られているのかも分からない。
でも今日は、なぜか吸い寄せられるように、そこに足が向いた。
鳥居をくぐり、苔のついた石段を三段だけ上がる。
小さな木の祠の前に立った瞬間、足元に何かが落ちているのに気づいた。
小石かと思って拾い上げると、それは奇妙な形の金属片だった。表面に「十」と彫られている。
「持っていきな」
と、どこかで声がした。
振り返っても、誰もいない。
「十分だけ、先が見える。使いどころは自分で考えな」
まるで夢の中のような、濁った声だった。
気味が悪いが、十連敗したあとにこれ以上おかしなことなど、そうそう起きやしない。
そう思って、ポケットにその金属片を入れた。
その直後だった。
世界が、ゆっくりと反転した。
目の前に、俺が見たことのない「未来の景色」が浮かび上がった。
場所は、競輪場の裏手、赤いジャンパーの男が、落ちた財布を拾ってポケットに入れる場面。
それを、誰も見ていない。たった今起きたことのようにリアルだった。
「…これが、十分後?」
俺は半信半疑でその場所に向かってみた。
すると、本当にいた。赤いジャンパーの男。そして、財布を拾い、周囲を見回してから、ポケットに入れた。
「おい、それ、返してやれよ」
半ばビビりながら声をかけた。
自分でも信じられない。いつもならば関わろうともしないことであったが、十分前に見た光景が実際に起こり、らしくない行動をしていた。
「は?何言ってんだ、関係ねえだろ」
男は軽く睨み返してきたが、今の俺は怯まなかった。
「さっき拾ってたの、見えてたんだよ。…十分前の未来でな」
意味不明なセリフだろう。俺自身も意味わかってないし。
だが、男の表情がピクリと揺れ、意味不明のセリフに目の前の男は動揺していた。
結局、財布は持ち主のもとに返った。俺がどうやって説得したのかは、正直よく覚えてない。
でも、胸の中に確かに残ったのは
「これ、本当に…未来、見えてたんだな」
その瞬間、ポケットの中のあの“金属片”がじんわりと温かくなった気がした。
夕方、駅前のカツ丼屋。
見慣れた味に、なぜか今日はちょっとだけ希望の味がした。
「これ、賭けに使ったら……」
声に出して言うのはまだ怖かった。
でも、考えるなって方が無理だ。
競輪、パチンコ、ロト、競馬、麻雀……
運を読むゲーム。運に賭ける人生。
運がなかった俺に、“先”が見える力がついたら
このどん底の人生巻き返せるかもしれない。
「よし……」
俺は、スマホを取り出して、明日の競輪レース表を確認した。
出走時間、出場選手、オッズ……
どれも、何度も見たことのある情報。
だけど今は、違う。
「この力を使えば必ず勝てる」
まだ試してもいないのにその未来が十分後のように見えていた。
小説を書くのは初めてで下手くそな文章だとは思いますが、読んでいただけると幸いです。
また、競馬、競輪についてはほとんど知識がないため、頓珍漢なことを書いていたらご容赦ください。
小説の良い題名が思いつきません。コメントでお知恵を拝借させていただけると幸いです。