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第二十一話「思考の奥底まであと1000m」F

ーー6月23日午前11時30分ーー


 体感温度的には暑いくらいの日差しが俺の肌をダイレクトに照射してくる。その鋭く熱を持った数多の針は、不可視であり、避けることは常人にはできない代物である。

 もちろんただただ広いだけが取り柄の荒地とかしたグラウンドに立つ俺も例外ではなく平等であった。


 夏の日差しは確かに俺に降り注いでいた。




 風が後方から勢いよく吹き付ける。



 突風、というほどではないが、それでも後ろ髪を靡かせるには十分であった。そんな風に乗せて聞こえてきたのは、夏の風物詩である風鈴の音ではなく、暑苦しい体育教師の怒声であった。


 「お前らサボるんじゃねえ。グラウンド3周走れって言ったよな、なんで傘増ししてる奴がいるんじゃ。とっとと言われた回数走れやボケが。」


 恐ろしいほどに響く体育会系の男の声は、おそらく夏の匂いの風に乗らなくても、俺らの耳に届いたであろう。

 

 それほどまでに不機嫌を露呈した爆音は周囲を走り回っていたからだ。

 

 しかし俺はこの怒りっぽい体育教師が嫌いではない。


 そりゃ見るからに眩しい蛍光色、主に黄色とオレンジ色のTシャツで筋骨隆々とした体躯を覆っている姿は、一人の陰キャ風情として恐るるに足りる。


 しかしそんな外見の気色悪さや恐怖を植え付ける要素は目を瞑るべきだ。


 なんせ俺の場合、クラスメイトの下弦の月を模した二つの目玉の視線の方が外見的要素においては、圧倒的に勝るのだから。


 だから俺は目の前で両手を振り上げて己の怒りを全面的に表現する体育教師のことが嫌いではない。




 そもそも俺は自分の感情を無理に見せつけようとする奴らが嫌いなのだ。


 特に青春バカップルのあの仕草。なぜ公衆の面前で見せつけるのだ。それにクラス連中の青春を謳歌せし感じも俺に見せつけているようで吐き気を催す。


 おい、誰かエチケット袋くれよ。吐いちまう。





 もちろん嘲笑の目も俺に『お前のこと、クズだと思ってるよ』と感じさせるため大嫌いである。


 そんな俺だが、『毎日をenjoy』している人であっても、それを周りに露呈せず、一人で慎ましやかに生きるのは、そこまで忌むべきだとは思っていない。


 しかしまあ、『隠れて付き合ってます、うふふ』とかはマジで殺したろうかな、って思うレベルなので一概には言えないが。


 そんな持論を踏まえた上であの筋肉しかない男は、やはり苦手ではない。生徒を叱り嫌味を言い、罵声を浴びせて、雰囲気を悪くする。それだけの存在で俺に害がないのなら、特に嫌う意味もないからだ。


 とにかく俺は、自分の尊厳を破壊してくる人間が嫌いなのだ。


 本当に意味のわからない独りよがりの最低な人間である。


 「おい、能登。立ち止まってないでちゃんと走れ。」


 俺の方を見向きもせず遥か遠くに走っていったはずの体育の指導教師の声が耳に届く。


 「あぁ、すまん。俺お前のこと嫌いだわ。俺にデメリット付与したから。」


 思わず、声に出してしまった。失敬。


 本当に俺は最高に素晴らしい奴だな。違う向きにベクトルが振り切ってるよ。あはは。


__________________________________________________


 一通りランニングで体を温めた後、柔軟運動が始まった。


 二人で一緒に腰を押したり背中を伸ばしたり、なぜか馬跳びもする、悪魔の儀式である。


 クラスに大抵一人は巣食う、『栄光ある孤立者』も、この時ばかりは、不憫な顔になる。


 誰にも媚びない『永世の中立国』であっても、皆が同盟を組む世界情勢では、どこかの国と協調しなければならないように、他クラスの一匹狼と群れなければならない。


 この準備運動というのは、『唯一神が唯一神であること』を一時的に放棄しなければならないという最悪の災厄なのだ。


 「さて、俺はどうしたものか。」


 周りはすでにそれぞれペアを形成していた。


 まるで水素と酸素の加熱実験で、一人だけ反応できなかった酸素君のようだ。いや待てよ。この実験は水素2分子と酸素1分子の反応だから、三人ペアを作る時の化学反応だな。


 二人ペアではこの思考は間違っている、、か。


 っち。俺の思考には限界があったか。しかし間違いこそが人を進化させる要素である。


 だから失敗は一概に『イケナイこと』ではない。


 しかし今、俺が体験していることは、確実に『イケナイこと』である。流石のバカの俺でもわかることだ。


 「まさしくん、上手ぅ。うわああああ。」


 俺に背中を押されて声を上げているのは西澤興。


 彼の柔らかい肌に俺の腕が沈み込む。


 華奢で精緻な肌は、俺の理性を悉く脅かした。このまま俺は男として、『ヤるべきこと』を『ヤるべき』かもしれない。


 そんな考えがよぎりながらも、なんとか体の指揮権を本能に譲渡せず、やり遂げる。


 溢れんばかりの達成感が、脳に撒き散らされた。そんなひょんな化学反応が脳内で生じているうちに、現実世界の俺はそのまま馬跳びへと移行していた。


 馬跳び。


 それは危険な行いである。


 怪我をしてこの世をさったものは数知れず。あまりの恐怖から、国が一つ消え去ったという逸話もある。


 その逸話の供給者は誰かって。


 もちろん決まってる。


 偏見と、捏造にまみれた、この俺の思考の海から伝達されたものだ。

 

 つまり嘘である。



 しかしながら、馬跳びが危険なことは、誰の目にも明白であろう。


 一人がしゃがみ込んで、それをもう一人が飛び箱の要領で飛び越える。


 もし、抜けようとしている最中に、体同士が接触すれば大惨事。一緒に崩れて、硬い地面に直接ダイビングである。

 

 そして現在の俺にはもう一つの危険な要素が付与されている。


 それもそのはず、飛び箱の要領で飛ぶのであれば、手をしゃがむ子の背中に、腕を押しつけないといけないし、接触してしまい、そのまま二人とも倒れる可能性が大いにある環境。


 そんな危険性がある中で、目の前で顔を赤らめて、しゃがみ込んでいる興ちゃんと馬跳びできるというのか。


 そのまま接触事故を起こして俺が押し倒すなんてことも。


 そんなことを考えれば俺はどうすれば良いかわからなくなった。


 失神してしまって、小さな体の興ちゃんは、身動きができず、俺に押し倒されたまま授業を過ごせ、というのか。


 俺には無理だ。


 そんな恥ずかしいこと、できやしない。


 しかし、どんなにヘタレでも、相方が了承して、すでにしゃがみ込んで準備しているのであれば、後に引くことなどできないだろう。


 俺は意を決した。


 「うおおおおおおお。」

__________________________________________________


 興との共同作業は、万事順調に進み、安全に終えることができた。


 そしてそんな俺に、今こそ言いたい。


 「俺の理性、よく持ち堪えてくれた。」と。


 俺は生き延びたのだ。馬跳びという精神の拷問所から。


__________________________________________________



 その後、俺はお腹を痛めたと捏造し、ハンドボールの練習から離れた。


 俺の心は捻くれている。だからまあ素直に、授業を受けたくないのだ。


 それになぜか知らないけど、みんな俺を心配してくれるし。



__________________________________________________


 そして俺は思考の海に、弱々しい小舟で出航した。



 思考の海の底。その激しい波の遥か下で、静かに眠る答えを求めて。


 介入者に、俺は宣戦布告した。


 俺は、かなり前から記憶を改竄させられている。


 ここまでを俺は先日思考の海の上で断定づけた。





 しかし介入者の意図はまだ、知り得ない。


 けれどもこの数日、意識して過ごす中で気づいたことがある。


 それは、俺が異常に西澤卿に執着していることだ。


 体育教師や、他の女子どもに俺は興味を持っていない。ちなみに加地先生は好きの部類ではある。


 それでもこの捻くれた思考は人間の大奥を嫌っているはず。


 ここで疑問に思うのだ。



 『なぜ、俺の脳は西澤興を、こんなに好んでいるのだ。』と。



 確実に何かがおかしい。俺の感情を誰かが操っているとしか考えられない。


 そもそも俺に男の娘の趣味はない。


 だから必然的に、誰かが俺の感情を、操作しているとしか考えられない。


 異常なまでの執着から、俺はそう思考した。


 その場合、先日考えた介入者に関して、改めなければならないことがある。


 『介入者は記憶しか操作できない。』という予測。


 おそらく、『介入者は俺の感情も操作できる』と考えるべきだ。


 その場合なぜ、俺が思考することを、許されているのか。


 ここが介入者の意図を読み取る上で重要になってくるはず。


 やはり、手のひらで踊らせて何かの観察データを得たいのだろうか。


 しかし、ここから先の予測は、証拠がいまだ揃っていないので、深めることはできない。


 だから他の要素を予測することにした。


 ここにきて初めて、意味が芽生えたと考え、肌身離さず持っている手紙を、体操服のズボンから、取り出した。


 『とりあえず死なないでね。」という内容が書かれた紙切れである。


 名前は不明、その上、なぜ俺が持っているのかも不明。


 だがしかしこの切れ端は、おそらく違う世界と、この世界とを、繋ぐ代物なのではないだろうか、と俺は考えている。


 それはなぜか。



 なぜ持っているのか不明。というのは、これを持っていた時の記憶が消されているということを意味するからだ。


 


 そして、もっと詳しく言うと、『介入者が、俺をこの世界に連れてきた時に、元の世界の記憶を消していたのであれば、消された記憶は全て、元の世界の記憶である』からだ。


 つまり、この手紙は、元の世界の遺物ということだ。


 また、『とりあえず死なないでね。』という文面的に味方である気がした。


 しかし敵が何人いるのか、敵味方の区別すらつかない状態で、味方かどうかを考えるのは、机上の空論で無意味である。


 だから違うことを考える。この差出人についてでなく、もっと本質的なものを。

 

 そしてある予測に辿り着いた。




 『介入者は俺を試している』という予想に。



 というのも、本気で、『この俺が過ごしやすい世界』で俺の更生を望むためだけなら、こんな予測の証拠を、残すはずがない。


 もし、『俺が、西澤興を好きになるように、感情を操作すること』ができても、俺の思考を全て操作するにはエネルギーがたくさん必要でコストが勿体無いから、という理由で思考することを許されている場合も大いにある。

 


 だとしても、過去とのつながりの証拠は確実に消す。


 だからただ『更生させる』だけでないわざと過去の遺物を残した理由が存在する。


 そうやって考えた時、この破片から『俺を試して何かを得ようとしている』ことの信憑性が跳ね上がるのだ。


 わざわざ遺物を残しているのだから。




 ではここで考えるべきこと。


 それは介入者が、更生ではない、どんな結果を欲しているのかである。


 世界を行き来でき、俺を移動させ、記憶を改竄でき、感情を操作できる者。


 そんな強者がわざわざ俺を対象にしていること。


 これには何か大きなワケがあるはずだ。


 それがなんなのか、まるで見当がつかない。


__________________________________________________


 俺が過ごしやすい世界に飛ばし、俺の捻くれた思考は変えず、西澤興に惹かれさせる。元の世界との遺物を処理せず残し、あえて泳がす。こんな大規模なことをして、得たいデータとは一体。


 普通に考えれば更生だ。

 しかし、それだけではないと、さっき断定したし、それならば普通に異性の女性と付き合わせる方が普通だ。


 なんで、同性を好きにさせたのだ。


 まさか興が黒幕なのか。俺と付き合いために、俺の感情を操作して?


 いやしかしそれだけが目的ならばもっと簡単にできるはず。


 それになぜ、元の世界の遺物を残したのかも、謎のままだ。


 更生という、名目上の理由の裏に隠された意図は、そんな生やさしいラブコメじゃない。


 同姓を好きにさせた。過去の遺物を残した。俺の捻くれた思考は残し、この世界に完全に溶け込ませないようにした。こうやって事態を考えさせるようにした。


 そんな周りくどいことをする理由。


 それは、、。



__________________________________________________


 幾度の嵐を乗り切ってボロボロに穴が空いた、弱々しい小舟は、ある地点の真上の海面に到着した。


 この下にアレがある。小舟に乗った小さな少年は、その幼い体を捻って、ロープを投げ入れ、潜る手筈をした。


 必ず僕が。見つけてあげる。そう意気込む少年の遥か頭上。大きな7つの雨雲が、雷鳴を小舟に撃ち落とした。


 少年は白いチョークを避雷針がわりにして、防ぐ。少年は考える。


 なんであの雨雲くんたちは僕をいじめるのだろうかと。


 そして考える。僕はなんでこんなことをしていたのか、と。


 暗い嵐の空は、霧散するはずもなく、より一層光を吸い取って、空を暗黒にしていた。


__________________________________________________


 俺は、全ての脳細胞をフル活動させて、ある結論を導くことに、成功した。


 もしかしたら。


 そうなのかも知れない。


 俺が、そう思考することを、実は望んで、だから、こうしたのか。


 でも、そんなのでは。だからアレを残したのか。


 それじゃあ介入者は、一体、誰だ。





 あの紙切れの裏には確か、、あそこにいけば、、いいのか。




 俺は思考の海から弾道ミサイルを発射させて、思考の世界を飛び出した。意識はすでに外界にある。


 野球バッドを思い切りスイングする西澤興。


 その後ろでダンスの授業をする女子たち。


 この捻くれてハイライトのない目が、それらを捉えた。


 そして虎に、恨みを晴らすネズミの如く、小声で呟いた。


 「もっと素直になるべきだよ。そしてお前は、俺じゃない。」



 能登まさしを見つめる目。沖縄の海のように涼やかな目は彼を見据えて、笑っていた。


 カラスが泣き叫ぶ荒地のようなグラウンドは、大きな森とは対照的で、蠢く生物の気配はしなかった。


 


 


 

 


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