8話 国力=人口+軍事力×経済力
「建築資材の購入費……、資材の運搬と保管費用……、瓦礫の撤去作業用の機材の購入費……、作業員の日当はとりあえず食糧で現物配給として……。それでも街債の追加発行でもしなきゃ駄目かな……だけど、この状態で街債を買ってくれる所があるの……?」
机の上で眉間にしわを寄せながら、悩み続けることおよそ半日。今日のアリサの午前中は、復興計画における予算配分の再試算で費やされたようである。
「ジレーザダリーナも無事ではあったみたいだけど、他所の街に金を出せるほどの余裕はないわよね……。いっそ王都の貴族や商人に声を掛ける?あいつらに借りを作りたくはないけど、止むを得ないかな……どちくしょうめ」
と、渋面を作りながら悩むアリサに、懐かしい声が掛けられる。
「仕事お疲れさん。飲むか?」
午前の稽古を終え、額にうっすらと汗を浮かべた雷太が二人分のカップと、薬草茶の入ったポットを持って声を掛けた。
今日の薬草茶は、色鮮やかな赤紫蘇茶。
日本料理の付け合わせとしてなじみ深い紫蘇であるが、β‐カロテン、ビタミンB類、ビタミンC、カルシウムなど、豊富な栄養素を含む健康食品でもある。
そして赤紫蘇茶は紫蘇の風味がさっぱりとして飲みやすく、またその香りにはリラックス効果があると言われ、疲労回復、ストレス解消にも有効な一杯であった。
「ん、ありがと、らいちゃん。……あー、生き返る…………」
そんな赤紫蘇茶を一息に飲み干し、緩み切った表情でアリサはつぶやく。
その緩んだ表情は赤紫蘇茶によるものか、それとも雷太が側にいるからか。おそらくは、その両方であろう。
……死ねばいいのに。
「なんか悩んでるみたいだが、あんな反則技が使えるのに、悩むような問題があるのか?」
「食糧問題はともかく、経済的な問題ならいくらでもあるわよ。食糧だって過剰生産になれば値崩れするし、下手に換金作物なんて大量生産したら、周辺の経済が大混乱になるんだから。まあ、当面の問題はベラヤリカーの財布がすっからかんになってるってことだけどね。まさか、復興にここまで金がかかるとは思わなかったよ。……十年以上かけて作った貯蓄がみんな吹っ飛んでる」
そう言って、アリサはため息を吐く。
「隣町……ジレーザダリーナにも襲撃があってね、ザイツェフ辺境伯が救援に行って何とかしたんだけど、そっちも被害が大きくてレンガやらコンクリートやらの建築資材と、医療品や日用品なんかの値段が高騰してるのよ。前に復興予算を組んだ時にはその分を計算に入れてなかった……不覚」
「コンクリート……だ……と?」
「いわゆるローマン・コンクリートね。だいたい10年くらい前に、わたしが開発したってことにしてる。……カンニングしてるみたいで、開発者とか言われるのは複雑だけど」
ローマン・コンクリートとは、古代ローマ時代に広く使われていた建築資材で、火山灰や石灰を主成分とするコンクリートの一種類である。
現代で広く使われる鉄筋コンクリートに比べて引っ張り強度は低いが、鉄筋を使わない分だけ腐食に強く、ローマン・コンクリート製の建築物の中には2000年以上も倒壊せずに存在し続けるものも珍しくない。
「とりあえず冒険者ギルドには緊急依頼を出してコンクリートの材料を取りに行ってもらって、商業ギルドには包帯や傷薬の生産を最優先にしてもらってるけど、値段が落ち着くまではまだまだ時間が掛かりそうなのよね。豚人の残党がいるから、輸送費や保険代も値上がりしてるし」
「保険まであるのか……」
「物流を活性化させるのに、保険は必須でしょ?魔物や山賊なんかに襲われて身ぐるみ剥がされても、生きてさえいれば何とか出来るんだから。……まあ、保険詐欺を防止するための、『過去視』って魔法が無ければ不可能だったけどね」
などと雑談を交わしながらもアリサの手は休むことなく動き、山のように積まれた書類が一枚、また一枚と片づけられる。
その仕事っぷりをしばらく眺めていた雷太であったが、あ、と何かを思い出したような顔を浮かべ、部屋から出ていく。
そして数分後、アリサの前に再び雷太が現れた時、その手には小さな鞄が握られていた。
「そーいや明理紗よ、ちょっと確認したいんだが」
「ん、なぁに?」
「こっちの世界でも、“これ”は使えるんだよな?」
と、雷太はその手に握った鞄をひっくり返す。
ガコガコガコ、と鈍い音をたてながら、明らかに小さな鞄の中には入りきらないであろう量の中身がこぼれ出る。
その中身がこぼれ出ていたのは、ほんの十数秒。
だがその十数秒で、部屋の中央には金のインゴットがうずたかく積まれていた。
「…………なに……これ……」
「この鞄が“魔法の鞄”とかいう四○元ポケットもどき。ラーノが契約金代わりだってくれた物な。そんで中身は、ファンタジー世界に転移するのに手ぶらじゃ心もとないんで、買えるだけ買い込んだ24金のインゴット。たしか200kg以上はあったはず。あと、銀地金のインゴットが3tくらいと宝石類が入ってるけど」
雷太のその言葉に、アリサはしばし言葉を失い――、
「らいちゃん、最高!!」
と、叫びながら抱き着いたのであった。
土俵の下には金が埋まっている。
これはかつて、ある力士が弟子を指導する際に言った言葉であるが、その言葉の通り、関取としては最も格下の十両でさえ月給は100万を超える。
それが最高位の横綱ともなれば、一月におよそ280万。さらに場所ごとの優勝賞金が1000万、そして取り組みに掛けられた懸賞金や勝つたびに増え続ける力士報奨金なども含めると、一般的な横綱の年収は億を軽く超える。
かつて、一人横綱として君臨していたある力士などは、TVCMの出演料等を含めれば一年に3億近い収入があったという。
どちらかというと、悪役として嫌われていた彼でさえそうなのだ。痩せ型で真っ向勝負にこだわる絶対王者。さらに品行方正で亡妻を一途に思い続ける陰のある美形などという雷太ならば、それ以上の収入を得ていたであろうことは想像に難くない。
そして、そんな彼が20年以上かけて蓄えた貯金を使えるだけ使って購入した貴金属と宝飾品の山は、ベラヤリカーの年間予算にも匹敵するだけの価値を持っていたのである。
「金のインゴットは、それを担保にして約束手形を発行して。大手商会への支払いはそれで済ませておいてね。銀地金はとりあえず大銀貨2000枚分くらいを鋳潰して銀貨を鋳造しておいて。造幣局の人間には苦労してもらうけど、使える現金が有ると無いとじゃ大違いだから、大至急お願い」
「アリサ様、馬車の用意が整いました!」
「ご苦労さま、宝石類の換金はお願いね。護衛は黒百合騎士団の第3中隊に任せてあるわ。はい、これ命令書と王都の宝石ギルドへの紹介状……あ、ちょっと待ってて」
水を得た魚のように生き生きと動き回るアリサと、その姿を呆然と見つめるしかない雷太。
そして雷太の前に、分厚い書類が運ばれてくる。
「ライタ様、失礼いたします。こちらがライタ様が持ち込んだ金と銀の総量。そしてこちらがライタ様がベラヤリカーの債権を購入されたという証明書になります。利息は年6・8%、30年の長期街債ですね。宝石類については換金後に改めて債権の購入手続きをさせて頂きます。……こちらが宝石類の換金委任状です。換金手数料は換金額の3%ですね。よろしければ宝石ギルドへの提出用と、ベラヤリカーでの保存用に二枚、この欄にお名前をお願いします」
「お……おう」
立て板に水、といった具合で説明する文官に気おされながら、雷太はかろうじて声を絞り出し、サインを書く。
「なあ明理紗よ。ここは本当に中世風ファンタジー世界なのか……?」
「そーよ。まあ、この二十年、わたしが自重も遠慮もかなぐり捨てて改革を進めた結果、この街だけは産業革命直前くらいまでは文化レベルが上がってるけどね。……信用経済とか紙幣とかも、フツーに広まってるし」
「少しくらい自重しろ」
「いやいや、それで飢える子供が一人でも減るのなら、どこまででも突っ走って見せよう……ちなみに抗生物質とか輸血技術なんかも存在するわよ」
「ホントに、やりたい放題やってるな……」
「だが、わたしは反省も、後悔もしていない!」
そう言って胸を張るアリサを呆れたような目で見つめる雷太。
「これだけ現金……他の街への支払いに使える外貨があれば、他の街からの出稼ぎも受け入れれるし、傭兵ギルドから治安維持の部隊だって雇えるぜ!街を次のステージに進めるのは諦めてたけど、これなら計画通りに進めれる……いやっふう!!」
その場でくるくると回りだしそうな勢いで、アリサが歓喜の声をあげる。
アリサのそんな姿に、思わず雷太は妻の……明理紗の面影を重ねて苦笑した。
かつて、二人でじゃれあいながら、笑いながら過ごした日々が脳裏をよぎる。
あの時のように彼女に振り回されるのだという確信を抱きながら、苦笑を心からの笑みに変えた。
望むところだと、再び彼女の隣で過ごせるのならば他に何もいらないと、そんなことを思いながら、雷太はアリサの横顔を眺めていた。
申し訳ありませんが、本作を書くに当たって資料を集めていたら、他に書きたい物が出来てしまいました……
続きを書こうにも、ふと気が付くとそちらの方のプロットを考えている状態ですので、本作は一旦完結という形にして、そちらの方に集中しようと思います。
拙い文章でありましたが、ブックマークして頂いた方々、読んでくれた皆様方、どうもありがとうございました。