↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
10/67

第九話

 その日の夜、俺は自室の机で、今日撮った写真をパソコンに移していた。

 本社の鳥居。式社の石段。内社の神楽殿。古社から見えた町並み。末社の鶏。似た構図や手ぶれした写真を外し、残すものを選んでいく。

 説明用紙を持った紬。腕時計を確認する雪白さん。室井君の後ろへ隠れている大竹さん。おにぎりを前に、休憩時間と戦っている室井君。建物だけでなく、思っていた以上に人を撮っていた。

「へえ。けっこう撮ったのね」

 いきなり背後から母の声がする。……ノックぐらいしてくれ。

 母は俺の肩越しに画面を覗き込む。

「これが紬でしょ。このお嬢様っぽい子は?」

「大竹さん」

「美人ねえ。こっちの子も凄い美人」

「雪白さん」

「この大きい子は?」

「室井君」

「この可愛い子は?」

「先生」

「先生なの?」

「本人の前で同じ反応するなよ」

 母は何枚か写真を眺めたあと、首を傾げた。

「あんた、一枚しか写ってないじゃない」

「そりゃ、撮影係だから」

「ふうん」

 母はそれ以上何も言わなかった。

「データはちゃんと二か所に保存しなさいよ」とだけ言い残し、部屋を出ていく。

 扉が閉まってから、俺はもう一度写真を最初から見直した。

 正門を出る前にも気づいていた。

 今日撮った写真の中で、俺が写っているのは、末社で撮った集合写真だけだ。

 撮影係なのだから当たり前だ。

 俺は写真の入ったフォルダを閉じようとして、少し下に並んでいた別のフォルダへ目を止めた。

 日付は、去年。

 開くと、前の家で撮った写真が表示された。

 玄関先に、母と紬と俺が並んでいる。俺だけ目を閉じていた。撮り直した写真もあったはずなのに、なぜかこっちが残っている。

 次の写真。

 毎朝歩いていた通学路。紬と並んで歩いているが、その隣には友人も写っている。

 駅前の店。放課後に寄ると、いつも同じ席が空いていた。

 中学校の教室。机を後ろへ寄せて、何人かで床に座っている。

 他にも、見慣れた景色が何枚も出てきた。

 どの場所も、昨日まで当たり前に見ていたような気がする。

 そして、その写真には俺がいた。

 昔の写真を見返していたら、なんだかモヤモヤした気分になった。

 思い返せば、山府に来てから、何度も同じ気分になっていた。

 寂しいのだろうか。それとも、別の何かなのか。自分の気持ちがつかめない。

 東京までは電車で三時間だ。すぐには無理だが、行こうと思えばいつでも行ける。

 でも行ったところで、前の家はもうない。中学校にはもう入れないし、友達もみんなバラバラの高校だ。

 行ったところで、もう元の暮らしはない。行ったところで、それまでとは違う現実を突きつけられるだけ……。

 それでも。それでも俺は、東京へ帰りたいと思ってしまう。

 今日の野外活動が楽しくなかったわけではない。

 大竹さんのおにぎりは美味しかった。室井君の説明は分かりやすかった。雪白さんが迷子になって泣いた話は面白かったし、紬の説明は長かった。俺自身、古社で褒められて、かなり気分が良かった。

 つまらなかったのなら、話は簡単だった。やっぱり山府は合わない。東京の方がよかった。そう思って終われた。

 けれど、今日は楽しかった。

 楽しかったからこそ、東京でも同じように誰かと歩き、食べ、笑っていたことを思い出した。

 ……俺はもう一度、今日の集合写真を見た。

 つい数週間前まで、存在も知らなかった人達と並んでいる。その端で、俺も笑っていた。

 俺はパソコンを閉じた。

 それでも、東京の写真だけは、しばらく頭から消えなかった。


 翌日の日曜日。

 居間へ入ると、食卓が資料に占領されていた。

 山府市史。山御杜縁起。昨日持ち歩いていた分厚いファイル。そして追加で増えた本が、その周囲へ積まれている。

 中心では紬が活動報告を書いていた。

「紬さん? 報告は用紙一枚だけだぞ?」

「はい」

「資料の量が用紙一枚に収めるときの量じゃないんだけど」

「安心してください。書いた後で削ります」

「案内準備のときも同じこと言ってなかった?」

「今回は五分の制限がありません」

「一枚の制限はあるんだよ紬さん……」

 紬は聞こえないふりをして、続きをガリガリ書いていく。

 俺も向かいの席へ座り、伊藤先生から渡されたレポート用紙を広げた。用紙の上には課題が印刷されている。

『活動前と活動後で、自分の中の何が変わったか』

 本当に難しい課題を出してくる。思春期の我々にとって、自分の内面をさらけ出すのは拷問に等しい。紬はよくあんなに書けるな……。

 なんとなく作家と一般人の違いを思い知らされた。内なる衝動を文章やストーリーにできるから、小説なんて書けるのだろう。

 俺にはその衝動があまりない気がする。悩みならいくらでもあるのに……。

 とりあえず古社について分かったことなら書ける。

 他の社に比べて境内が開かれていた。町との境界が薄く、祭礼を通じて人々と関わっているように見えた。それは昨日、みんなの前でも話した。

 用紙へ二行ほど書き、消す。

 先生が求めているのは、山府について分かったことではない。自分の中で、何が変わったかだ。

 俺はしばらく考えたあと、今度はこう書いた。

『特に変化はなかった』

 書いてから一度読む。なんて浅い一言だ。そのまま提出する気にはなれなかった。

 もう一度消し、用紙を白紙に戻す。

「兄さん」

 ふと我に返って顔を上げる。

 紬が、資料の山の向こうから顔だけのぞかせている。……なんか小動物みたいでかわいいな。

「どこまで書きましたか?」

「んー、まだ何も」

 紬は俺の白紙を見た。理由を尋ねられると思ったが、「そうですか」とだけ答え、自分の用紙へ視線を戻した。

 急かすことも、何か書くよう勧めることもしない。紬のペンが紙の上を軽快に走る音だけが続く。

 俺の用紙は、いつまでも白いままだった。

 正確には、何もなかったわけではない。

 書けないほど、頭の中が東京のことで埋まっていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。