(31)それから
それから「かみかぜ」の出航を見送ったオレとちくは、しばらく地底湖を眺めてから、帰路についた。
京都の小さな地震は、いつの間にか起きなくなり、地底湖の水位も元に戻った。
そして――
ちくは、また喋らなくなった。
吉田山で、バッタを追いかけ、縁側で昼寝をして、ちゅーるの袋の音にだけ、異様な速さで反応する、どこにでもいる、ただの猫に戻った。
ただ吉田山に行くと、ちくわは決まって立ち止まった。
先に進もうとしないわけでも、嫌がるわけでもない。
ただ、必ず一度だけ、同じ場所で振り返る。
そこには何もない。
少なくとも、オレには見えないし、感じない。
それから、水の音に、少し遅れて反応するようになった。
蛇口をひねった時や、風呂の湯が溢れた時。
一拍置いてから、顔を上げる。
まるで、遠くの水位を確かめるみたいに。
そんなちくを見るにつけ、
「・・・あれ、全部夢だったんかな」
と思うので、ある日そう聞いてみたら、ちくは面倒くさそうにこちらを見て、ぷいっと顔をそむけた。
でも、その目は――
ほんの一瞬だけ、あの時と同じ光を宿した気がした。
そしてある日、大泉さんから木箱に入れられた缶詰が宅配便で届いた。
ラベルにはサンスクリット語に似た謎の文字と「特調謹製・猫用高密度栄養食」とだけ書かれていた。
「特調って! 木下さんたちか・・・高密度、栄養食・・・食べさせて平気なんかな」
少し不安が無いわけでもなかったけど、一度食べさせてみたら随分と美味しかったようで、ちくは、ちゅーるの袋の音だけでなく、この缶詰の蓋を開ける音にも異様な早さで反応するようになった。
地底湖は、きっと今日も静かだろう。
ボルデメは、きっと二人で賑やかにやっている。
「かみかぜ」は、今日もどこかで極秘任務だろうか。
世界は何事もなかったように回り続けている。
けどオレは知っている。
この街の下で、誰にも気づかれずに、一匹の猫が、確かに京都を守ったことを。
ちくは、オレの足元で丸くなり、
満足そうに喉を鳴らしている。
次の、新しい冒険に備えるかのように――




