表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
どうしてこうなったー尾張三代記ー  作者: あいまいもこ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

126/189

信定と佐久間

信定が書院で書付を並べていたとき、障子の向こうから軽く戸を叩く音がした。


「弾正忠様、佐久間ですが。」


その声だけで、信定は片眉をわずかに動かした。

「……また妙な物を抱えて来たのではあるまいな。」


「妙な物かどうかは、召し上がってからご判断を。」


障子が開き、佐久間が籠を抱えて中へ入る。

香ばしい湯気がふわりと漏れた瞬間、信定の眉が僅かに揺れた。


「その匂い……また饅頭か。」


「“また”とはご挨拶ですね。武衛様の御機嫌伺いは済みましたので、今度は弾正忠様へお裾分けでございます。」


信定は筆を置き、静かに息を吐いた。

「和議が成ったばかりの時に、饅頭とは……。いや、むしろこういう時こそ必要か。」


佐久間は笑みを浮かべ、籠の蓋を外した。

丸々と膨らんだ蒸し饅頭が並び、ほんのりと甘い香りが部屋に広がる。


「甘味は、人の心を丸くいたしますからな。政治でも同じでございますよ。」


「そう簡単に丸まるか。」


信定がぼそりと言うと、佐久間は肩を竦めた。

「丸まらぬ石ほど、饅頭が効くのです。」


「わしを石扱いするな。」


「弾正忠様の芯の強さを申し上げたまでで。」


「その言い回しが石なのだ。」


二人のやり取りは淡々としているが、どこか心地よい軽さがあった。

和睦交渉の緊張がようやくほどけ、空気がゆるむような静けさだった。


信定は饅頭を一つ取り上げると、半ば呆れたように眺める。


「……丹羽の話では、麹で甘みを出したとか。」


「ええ。砂糖なしでも、こうして甘くなる。和議と同じで、工夫と落としどころがあれば形になるものです。」


「和議と饅頭を同列に語るな。」


「いえ、どちらも“苦いものを甘くする”という点で似ております。」


信定は思わず口元を緩めた。

「……確かに、今回の和議は苦かった。」


饅頭を口に含んだ瞬間、甘味がふわりと広がる。

信定の表情がわずかに和らいだ。


「……たいしたものだな。砂糖なしで、ここまで甘いとは。」


「大和守様の交渉も同じで。砂糖を渡さずに甘味を引き出す……見事なものでしたな。」


信定は苦笑して首を振った。

「いや、あれは辛うじて“甘味に見せた”だけだ。実際には辛さも残る。」


「辛い時こそ、甘い物の出番。ですから、弾正忠様にも必要なのです。」


佐久間は柔らかく言った。

その声音に、信定は目を伏せる。


「……民にも、こういった甘味を食わせてやれる日が来るのか。」


「来ますとも。少なくとも弾正忠様が秩序を整えておられる限りは。」


信定が顔を上げ、佐久間を見る。

その眼差しは静かだが、その奥には迷いと決意が交じる光が見えた。


「秩序か……。和議が済んでも、尾張の中はまだ乱れが残っている。」


「乱れのない国など、歴史の中にほとんどございませんよ。むしろ……」


佐久間は饅頭を一つ取り、軽く振って見せた。


「乱れの中に甘味があれば、皆、ほんのわずかでも前を向けます。」


「饅頭で尾張を治めるつもりか。」


「弾正忠様が政を治め、私が饅頭を治めましょう。」


信定はついに声を出して笑った。

笑い声が書院に満ち、重苦しい気配が溶けていく。


「……まったく、お前は混ぜ返すのがうまい。」


「混ぜるのは麹だけではございません。」


「余計なことを言うな。」


しかしその言葉には叱責の響きはなく、

戦や策謀とは別の、静かな人の温かさが宿っていた。


信定は饅頭をもう一つ取り、作務机の端に置いた。


「皆にも分けよう。少しくらい、甘いものがあってもよい。」


「ええ、そうしてくだされば。清洲の空気も柔らぎましょう。」


佐久間はぺこりと頭を下げ、軽口を残す。


「それは大義名分がございますな。“清洲を救うため”と。」


「饅頭に大義名分が要るか。」


二人の笑いが重なり、和議後の清洲にようやく春の気配が灯った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ