第6話 柴犬と大蛇
これが、ソフィアが暮らしたヴィラルのなれの果てか……。
三百年前、ヴィラルは他所の神に攻め込まれたらしい。きっとその時、ヴィラルは滅びてしまったのだろう。朽ちた岩肌には隙間なく苔が生え、放置された年季の長さがうかがえる。
俺たちがいる塔も、今はかろうじてアーチ状の出入り口が残っているだけで、それよりも上は完全に失われている。
その変わり果ててしまったヴィラルの姿にショックを受けているのか、ソフィアは一言も発さず、長い時間立ちすくみ、じっと辺りを見渡していた。
かける言葉が思いつかず、俺もその場に座り込み、しばらくの間ソフィアに付き合った。
やがて、「……そろそろ人里をさがしに行きましょうか」というソフィアの言葉に、ようやくその場から離れることとなった。
「この様子だと、ソフィアがいた頃とはかなり変わっているみたいだな。人里を見つけるのも大変そうだ」
「そうでもありませんよ。そこの森を越えたところに大きな川が流れているはずなので、川沿いを進めばいずれ人里にぶつかると思います」
「なるほど。たしかに川はそうそうなくなるものじゃないからな」
「……ところで、ずっと気になっていたんですが、聞いてもいいですか?」
「なんだ?」
「タロウ様は、リリー様に外見だけ犬に変えられたんですよね?」
「らしいな。あと、リリーに様とかつけなくていいから」
「そういうわけには……。それで質問なんですが、タロウ様はなんという犬種なのですか?」
「そんなの見ればわかるだろ。柴犬だよ、柴犬」
「シバイヌ……ですか? すいません……。ちょっとよくわからないです……」
「わからない? 柴犬が?」
「う~ん……。少なくとも、私は聞いたこともありませんねぇ……。けど、そのくるっとカールした尻尾や、ピンと尖った耳。それに少しまぬ……キュートな顔つきは、見ていてとても癒されます」
「今まぬけな顔つきって言おうとしなかったか?」
「あははー。そんなまさかー」
じゃあなんで棒読みなんだよ。
ソフィアの記憶の中にある川を目指し、かつて城だったであろう瓦礫を踏み歩いていると、これまで嗅いだことのないとてつもない生臭さが鼻についた。
「うっ! な、なんだこの臭い!」
「臭い、ですか……?」
鼻につく生臭さと同時に、何故だか猛烈に身の危険を感じ、全身の毛が逆立った。
「あぁ。すごい生臭さだ……。わからないのか?」
「生臭さ……?」
ソフィアはスンスンと周囲の臭いに気を配るが、この生臭さを感じないらしく、小首を傾げている。
ソフィアにはわからない臭い……。そうか。たしか俺、《超嗅覚》っていうスキルを最初から持ってるんだったな。
だったらこの臭いも、そのスキルで感じ取ってるってわけか。
……にしてもこの危険な気配。これはただごとじゃないぞ……。
「ソフィア。周囲を警戒しろ。なにかいるぞ」
「は、はい……」
と、その時、背後の茂みから、ズズズ、となにかを引きずるような音が、猛スピードで近づいてくるのがわかった。
慌ててそちらを見やると、長くのびた雑草の陰からこちらに向かって巨大な何かが飛び出してきた。
「危ない!」
慌ててソフィアの襟首を咥え、前方へ引っ張るように回避した。
ソフィアが、けほけほと喉を押さえて咳をする。
「と、突然なんなんですか! 首がしまって死んだらどうするんですか!」
さっきまで俺に食われようとしてたくせに……。
「気をつけろ。やっぱり何かいるぞ」
「何かってなんですか?」
「わからん。一瞬でよく見えなかった。……けど、異様に長い影……おそらく生き物だ」
ほんのりとそよぐ風に逆らうように、ズズズ、とさっき聞こえてきた音が周囲を高速で動き回る。れいの生臭さは、どうやらその音の発信源からしているようだ。
ようやくソフィアも相手の存在に気付いたのか、顔を青ざめさせて不安そうにきょろきょろと辺りを見渡した。
「な、な、なんですか、この音!」
「さぁな。……けど、俺たちに敵意を向けていることだけはたしかだ。さっきも回避しなければ確実にやられていた」
「私まだ死にたくありません! どうにかしてください!」
そんなに命が大事なくせに、よく俺に食われようとしてたな……。
目を凝らし、周囲の雑草をかき分ける音と、鼻をつく生臭さに集中する。
音源は一つ。ということは、敵は一体か。だが、地面を蹴るような足音は聞こえない……。
足音を立てず、自由に動き回れる体の長い生き物と言えば……。
一匹の生物が脳裏を過るが、俺が知っているその生物にしては、さっきチラッと目撃した影の大きさが一致しなかった。
とにかく、このまま視界の悪い雑草の中にいるのは得策ではないな。
「おい、ソフィア! そこの瓦礫の上にのぼれ!」
「は、はい!」
近くにあった石壁の残骸にソフィアを登らせるが、力が足りないのか、ソフィアはなかなか上へと登れない。
「急げ、ソフィア!」
「うぅ! 頑張ってるんだから急かさないでくださいよぉ!」
仕方なくソフィアの尻を鼻先で押し上げると、「ひゃん!」とか細い声が返ってきた。
「ちょ、ちょっとタロウ様! どこに顔突っ込んでるんですか!」
「そんなこと言ってる場合か! 早く登れ!」
「うぅ……。どうしてこんな辱めを……」
恥ずかしそうに顔を赤らめるソフィアを無理やり瓦礫の上へ押し上げ、俺もそのあとに続こうとした時、脇腹に激痛が走った。
直後、視界が猛スピードで横へと流れ始めた。
「タロウ様!」
さっきまですぐそこにいたはずのソフィアの声が、遠ざかりながら聞こえてくる。
脇腹の痛みに耐えながら、首を反らして自分の体に何が起こっているのかを確認した。
するとそこには、てらてらとした緑色の鱗を全身に纏い、長い二本の牙を俺の横腹に突き立てている蛇の姿があった。
蛇の姿を認識した瞬間、その頭上に文字が浮かぶ。
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『忍び寄る大蛇』
体力:1500
筋力:1000
耐久:2500
俊敏:3000
魔力:1500
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