第10話『柴犬と鉱殻蜥蜴(ラピス・リザード)』
どこかで聞いたことのある、女の声だ。
霧をかき分けて姿を現した女は、ボロボロの姿になっているが、カルシュと一緒にいた、Aランクパーティー『夕暮れの盃』のメンバーの一人に違いなかった。
「お前『夕暮れの盃』の……たしかリッケ、だったか……?」
うろ覚えな相手の名前を告げると、冒険者ギルドでは散々俺たちのことを見下していたリッケは、地面に膝をつけ、乞うように両手を組んだ。
「お願い! 助けて! このままじゃ、私も殺される!」
「お、落ち着け。何があったかきちんと話せ」
リッケは懐から一冊の魔導書を取り出すと、それを無理やり押し付けてきた。
「あっ! そ、そうだ! ここ、これ! あげるから! だ、だからぁ! お願い! 助けてぇ!」
「いや、今はそれどころじゃ……」
と、押し付けられた魔導書を無視しようとしたが、それを背中に座っているエマがひょいっと受け取ると、そのままリュックの中にそそくさとしまい込んだ。
「もらえるものはもらっておく。それがボクの流儀」
あ、そうですか……。
こんな状況でも自分の流儀を崩さないエマに若干呆れていたが、そんなことよりも、リッケが来た方角から悪意の臭いが強く漂ってくることに気づいた。
「ちっ。さっきの地響きは、あいつが飛んできた音だったってわけか……」
霧をかき分け、目の前に現れたのは、俺たちをこんな崖下に突き落とした張本人、『鉱殻蜥蜴』であった。
四足歩行の大トカゲ。鼻先から尻尾の先までを、びっしりと美しい青色の結晶体で覆っている。
ギョロリと見開かれた両目は、まるでカメレオンのようにそれぞれ別方向を捉えていた。
のっぺりとした大きな口には、爬虫類のような体躯とは似ても似つかない、鋭い牙が何本も生えそろい、あろうことか、そこには下半身を口内に収められたジグルが苦しそうな表情を浮かべ、口からだらだらと血を垂れ流していた。
俺たちに気づいたジグルは、子供のように大粒の涙を流しながら、こちらに向かって手を伸ばし、助けを懇願する。
「た、助けてくれぇ……。お願いだぁ……。俺が……。俺たちが悪かったぁ……」
その壮絶な光景に、俺もエマも、仲間であるはずのリッケさえ、完全に言葉を失ってしまった。
「もう、手柄を横取りしたり……悪いことしないからぁ……。だからぁ、お願い……。助けてぇ……」
バクンッ。
と、ジグルが大トカゲに飲み込まれると、リッケはその場に力なくへたり込み、その足元には生暖かい水たまりが広がっていった。
まずいな……。見た目からしてリッケは魔術師だろうけど、この様子じゃ戦力にはならない。
今最優先すべきなのはエマだ。
……だが、だからと言ってリッケをここに残せば殺されるのは確実。
一瞬、ここに来るまでに、馬車から放り投げられ、俺が助けられなかった冒険者たちの顔が脳裏を過った。
くそっ! どうすれば!
ぐっと歯を食いしばり、エマを連れてその場を離れる決心をつけようとしていた時、不意に、俺の視界の奥でゴソゴソと何かが動いているのが目に留まった。
それは、すでに絶命したと思っていた冒険者たちだった。
まだ生きてる奴がいたのか……?
エマの命を最優先にするなら、ここは見ず知らずの冒険者は見捨てるべきだ。
そんなことはわかってる。
わかってるが……。
無理だ。俺にはここにいる奴らを見捨てるなんてできない。
今の俺がやらなければいけないことは、一刻も早く大トカゲを討伐し、ここへ救助隊を連れてきて、生き残った他の冒険者たちもまとめて救い出すこと!
それだけだ!
「エマ。悪い。少し、付き合ってくれるか?」
「うんっ!」
俺は、大トカゲに向かって高らかに宣言する。
「来い! トカゲ野郎! 俺がお前を食ってやる!」
◇ ◇ ◇
俺の首にエマが手を回し、振り落とされないようにがっしりと力を込めた。
問題は……。
横には力なく座り込み、瞳孔が開いたまま虚空を見つめるリッケの姿がある。
「おい! リッケ! お前も俺につかまれ!」
リッケは一人、誰に言うでもなくぶつぶつとささやき声を漏らしている。
「……こんなの嘘……ありえない……私たちはAランクで……こんなこと……」
ちっ。今はショックで正気を失ってる。この状態ではエマのように背中に乗せて行動することはできない。
ならば……。
ズオォ、と、大トカゲの尻尾が霧を舞い上げるように高々と持ち上げられると、それはまるでしならせた腕のように弧を描き、横一線に俺たちへ襲い掛かってきた。
すぐにリッケの襟首を咥え、上へ飛び上がり、その攻撃を回避する。
横一線の薙ぎ払い……。動きはとろいが、少し違えば倒れている周りの冒険者ごと巻き込みかねない攻撃だ。敵の狙いが俺たちに集中してて助かった……。
大トカゲによる尻尾の薙ぎ払い攻撃を避け、地面に降り立つと同時に、魔力を振り絞る。
「《狼の大口》!」
俺の足元の影から出現する、巨大で真っ黒なフェンリルの頭部。
それがあんぐりと大口を開け、大トカゲの横っ腹に牙を突き立てた。
直後、俺自身の歯にガリッと鈍い感触が広がり、咥えていたリッケを思わず放して叫んでしまった。
「硬ってぇぇぇ! マジで硬すぎだろ! どうなってんだその体! つーかこのスキル、味覚だけじゃないくてこういうのも伝わってくんのかよ!」
痛みや食感、というわけではないが、大トカゲを噛んだ瞬間、まるで味噌汁に入ったシジミの殻を噛んでしまった時のような不快感に似た感覚に襲われた。
今まで《狼の大口》を使用して、歯ごたえらしきものを実際に感じたことはなかったが、それだけこの大トカゲの皮膚が硬いということだろう。
それでも、大トカゲの硬さが生み出す不快感を必死で我慢しながら、顎にありったけの力を込め、《狼の大口》で敵の肉を食い破ろうと試みた。
だが結局、《狼の大口》の牙が鉱石でできた大トカゲの皮膚を貫くことはできず、そのまま霧散するように消えてしまった。
くっ! 耐久特化型ってわけか……。
《狼の大口》は俺が持ってるスキルの中で最も破壊力に長けた攻撃……。それを真っ向から防がれたとなれば……これはちょっと、マズイかもな。
【『鉱殻蜥蜴』から、《ケダモノの咆哮》を複製しました】
あ、今の攻撃でも一応スキルは複製できるのか……。
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〈新スキル詳細〉
《ケダモノの咆哮》:咆哮を周囲に拡散して攻撃する。
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範囲攻撃スキルか……。
エマがいるこの状況では使えないな……。
次の手を考えあぐねている俺に、背中にしがみ付いているエマがボソリと呟く。
「あの大トカゲ……ちょっとおかしい」
思いもしなかったエマの言葉に、俺は眉をひそめた。
「おかしい?」
「……けど、気のせい……かも」
「なにか気づいたのか? 教えてくれ、エマ」
そう催促すると、エマは自信なさげに大トカゲを指さし、ぽつりぽつりと言葉を紡いだ。
「まず、大トカゲの骨格。あれは上半身と下半身の連動がうまく噛み合ってない。上半身は筋肉質で歯ごたえのある肉質をしてるけど、下半身は脂だらけで、とてもじゃないけど上半身の動きを支えることはできない。そのせいで、尻尾を振ったあと、後ろ足でうまく踏ん張れなくて、少しよろけてた」
「よろけてた?」
反撃することに気を取られてて気づかなかった……。
だが言われてみるとたしかに、大トカゲの足元に若干滑ったような跡がある。
つーか……肉質? 脂?
エマは続ける。
「……あと、あの鉱石で出来た皮膚。あれは《エメラルド・スネーク》っていうモンスターの鱗にとてもよく似てる。《エメラルド・スネーク》を調理する時は、まずその鱗を剥ぐんだけど、包丁が入る隙間がほとんどなくて大変。だけど、それは鉱石の鱗が、蛇のまっすぐ伸びた体を覆っているからであって、あの大トカゲみたいに手足が生えてると、その限りじゃない」
エマ、お前まさか――
「つまり、あの鉱石でできた皮膚の弱点は、大トカゲの手足の付け根。そこならきっと、難なく包丁が入るはず」
――料理人目線で大トカゲ(あいつ)を見てるのか!?




