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第9話『柴犬と石橋』

 蟲葬の横を過ぎ去ると、目の前には一本の石橋が現れた。


 崖下はむき出しの岩肌の奥が白んでいて、底がどうなっているのか見えない。


「こりゃあ落ちたら助からないな。ミリル、慎重に行ってくれよ」


「お任せください! 自分の命にかえてもツカサ様はお守りいたします!」


「ツカサだけかよ……」


 石橋の横幅はそこまで広くはなかったため、何台か連なって進んでいた馬車は速度を落とし、一列になって進み始めた。


 石橋の中央に差し掛かった時、《超嗅覚》を持つ俺の鼻は、その異変を誰よりも早く感じ取った。


 それは崖下から一気にこちらへ接近してくる、激しい悪意の臭いだった。



「おい! 馬車を止めろ、ミリル!」



「はい?」


 俺の言葉に首を傾げるミリルの向こう、馬車の列の前方から、ドゴンッ! と何かが爆発するような鈍い音が響く。


 それは谷底に反響するなり、砂煙の柱を高々と舞い上がらせた。


 何が起こったのかと注視すると、前方を進んでいる馬車の列が、石橋ごと、まるで下から突き上げられたように散り散りになり、そこに乗っていた冒険者共々空高く舞い上がっていた。


 そしてその中央、砂煙をまとうように、青々とした鉱石を体にまとった、とてつもなく巨大な、四足歩行のトカゲに似たモンスターが弧を描くように体をしならせている。


 おそらく、このモンスターが下から飛んできて、石橋ごと馬車の列に突っ込んだのだろう。


 トカゲのようなモンスターを視界に捉えた瞬間、《超嗅覚》の効果で、目の前に名前が表示される。



◇◆◆◇◆◆◇◆◆◇◆◆◇◆◆◇◆◆◇◆◆◇◆◆◇


鉱殻蜥蜴(ラピス・リザード)

   体力:5000

   筋力:4300

   耐久:12000

   俊敏:1100

   魔力:500


◇◆◆◇◆◆◇◆◆◇◆◆◇◆◆◇◆◆◇◆◆◇◆◆◇



 唯一神候補……じゃない。


 全身を覆った鉱石の外皮……。


 間違いない! 報告にあった新種のうちの一体だ!


 だが何故だ……何故奴がここにいる。目撃証言があった森はまだ先だぞ……。



 まさか、待ち伏せされてた……?



 考えが定まらないまま、大トカゲによって破壊された橋は前方からものすごい速さで崩壊していく。


「ツカサ! ソフィアを頼む! 俺はエマを!」


「わかった!」


 グラリ、と馬車全体が沈み込むように揺れる。


 荷台の後方に乗っていたソフィアはツカサに抱きかかえられ、なんとか外へ飛び出した。


 俺もそれに続き、荷台の中央付近で目を丸くしていたエマを咥えて外へ飛び出そうとするが、運悪く、積んであった木箱が倒れてきて、それからエマを守るために体当たりし、いらぬ時間を浪費してしまった。


 その一瞬の行動が命取りとなってしまい、馬車はすでに石橋とともに地上から離れた地点まで落下してしまっていた。



 くっ! この距離じゃ、エマを咥えたままだと届かない!



 目の前には何台もの馬車や荷物が等間隔に落下し、岩肌の方へと続いている。


 だがそれも、落下するごとに段々と距離が生まれてしまっていた。



 考えている暇はない! エマを咥えたまま、あの岩肌を滑って衝撃を和らげる! それしかない!



 馬車から飛び出そうとした時、ミリルの存在を忘れていたことを思い出し、馬車の前方を一瞥する。


 しかし、そこには無情に落下する馬が二頭いるだけで、ミリルの影はすでになかった。


 ミリル……? 脱出できたのか? それとも、もう……。


 くそっ! 考えてる暇はない!


「エマ! しっかり歯食いしばっとけよ!」


「え? え? タ、タロウ、まさか……」


「飛ぶぞ!」


「ひっ――」


 顔を青ざめさせ、息を呑むエマに気をつかっている余裕はなく、俺はエマの襟首を咥えると、馬車を蹴り、他の馬車や荷物を飛び渡り、岩肌へと爪を立てた。


 無論、すでに落下していたエネルギーが完全に相殺されるわけもなく、俺の爪はガリガリと岩肌に削られながら、崖下へと突き進む。


 ほぼ九十度にそそり立つ崖。だが、ここで少しでも速度を殺さないと、俺もエマも地面に直撃し、死ぬ!


「ちっ! 勢いが殺せねぇ! 速すぎる!」


 なんとかバランスを保ちつつ、岩肌に爪を食いこませ、体が離れてしまわないように注意するが、思ったように速度は落ちなかった。


 そうだ! 上に向かって《瞬光》を使えば、勢いが相殺できるんじゃ――って、だめだ! 《瞬光》は勢いがありすぎる! それだとエマの体への負担が大きい!


 考えろ! 考えろ! 考えろ!


 そしてたいして速度も殺せぬまま、地面が目の前に迫った時、俺はエマを守るように体を丸めると、咄嗟に大声で叫んだ。



「《影箱》!」



 落下する俺たちの間に出現する《影箱》の黒い渦。


 その渦から、落下する俺たちに向かって勢いよく大量の水が噴き出した。


 以前、霊泉の水を持ち運んでも効果があるかどうか、こっそり試していた時の残りだ。


 勢いよく噴き出した水は、エマを抱えて丸くなっている俺の背中にぶつかり、その落下速度を大幅に軽減させる。


 直後、ドンッ、という鈍い音と、視界が歪むほどの衝撃と共に、俺の全身は乱暴に地面にぶつかった。


 ゴロゴロとそのまま横へ転がると、慌てて起き上がり、エマの無事を確かめる。


「エマ! 大丈夫か!」


「ふにゃあ~。ボ、ボクは、らいじょうぶ~」


 目を回してはいるが、怪我をしている様子はなかった。


「はぁ……。よかった……。霊泉の水には助けられてばかりだな。また帰ったら補充させてもらおう」


 と、安心したのも束の間、ズキリと激しく右足が痛むのがわかった。


 見ると、右前足が赤黒く変色している。


 まずい……。これ、完全に折れてるぞ……。地面に落ちた時、打ちどころが悪かったのか……。


 ようやく回っていた目も治まったのか、ひょいっと立ち上がったエマは心配そうに俺を見下ろした。


「タロウ? どうかしたの?」


「ん? い、いや、なんでもない」


 とにかく今はこれ以上エマを不安にさせないように黙って――ん?


 ふと薄い霧が立ち込める周囲に視線を移した時、思わず言葉を呑み込んでしまった。


「エマ、目を瞑れ。周りを見るな」


 周囲に広がった地獄のような光景を見せたくなくてそう言ったが、エマは俺の予想に反し、静かに首を横に振った。


「ううん。ボクは平気。……ボクだって、冒険者。みんなの、仲間だから」


「そうか……」


 エマの意思を尊重し、俺はそれ以上は何も言わなかった。


 ただ、視界いっぱいに広がる、壊れた馬車や冒険者たちの死体を見たエマの手は、かすかに震えていた。


 だがそれでも、エマは目を背けようとはしなかった。


 いつの間にか強くなったな、エマ……。


 改めて周囲に転がっている死体に目を向ける。


 ツカサとソフィアはいないな……。ツカサが安全地帯まで運んでくれたんだろう。


 よかった……。


 霧で周囲はよく見えないが、例の大トカゲが俺たちを狙ってるような気配はしない。臭いは……血の臭いが充満しててわかりづらいが、近くにいないことは確かだ。


 ミリル……はいないみたいだな。ということは、ツカサたちと一緒に逃げられたのか?


 元々馬車の外にいたし、一人で逃げる分には問題なかったのかもな。


 ともかく今最優先すべきなのは、エマの安全だ。


 できればツカサたちと合流したいが、怪我をした状態でこの岩肌をのぼるのは不可能だ。

《瞬光》を使えば上まで行けるかもしれないが、《瞬光》はエマを背負ったままでは衝撃が強すぎて使えない。


 であればここは、大人しく崖下をまっすぐ、平坦な場所にたどり着くことを信じて進みつつ、登れそうな場所があればそこからエマを連れて上へを目指す。


 うん。これが一番生存率が高そうだな。


「よし、エマ。さっきのモンスターに見つかる前に、さっさとここから離れるぞ。俺の上に乗れ」


「うん。わかった」


 普段は重さなんてほとんど感じないエマの体でも、折れた足にはさすがに響いた。


「タロウ? どうかした?」


 一瞬あまりの痛みに顔を歪めてしまったせいで、エマが心配そうに眉をひそめる。


 今、俺の足の怪我をエマに知られてしまうと、優しいエマのことだ、きっとそんな状態の俺に乗ろうとはしないだろう。


 だが、いくら足が折れたからといって、エマの徒歩よりも俺の方がまだ遥かに速い。


 つまり、この方法が少しでもエマの生存確率を上げる最善手なわけだ。


「よし! 振り落とされるなよ!」


「うんっ!」


 と、走り出そうとした時、後方の霧の中から、ドォォォンッ、という地響きが聞こえてきて、咄嗟に足を止めてしまった。


 そして続けざまに地響きがした方向から、焦りに満ちた声が飛んでくる。



「だ、誰かぁ! 助けてぇぇぇぇ!」


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