第40話 柴犬は神に近づく
木から木へ飛び回る俺を警戒してか、バルバは手当たり次第に木を引っこ抜いては俺の足場を減らしていった。
そして足場がなくなって地面へ降り立つと、そこを狙って尻尾による連続攻撃が来る。
次第に尻尾の動きにも慣れ、避けること自体は問題なくできるようになってきたが、俺とバルバでは負っているダメージが違いすぎる。
くそ……。目がかすんできやがった……。
「おいおい! どうしたぁぁ! 動きが悪くなってんぞぉぉ!」
ズザッ、と尻尾の先が俺の脇腹をかすめると、一瞬動きに乱れが生じ、そこへすかさず全力投球された拳大の石が飛んできた。
体をひねり、顔面に当たりそうだった石をすんでのところでかわすが、思うように足に力が入らなくなってきて、地面に踏ん張った際にふらついてしまった。
そこへムチのようにしならせて軌道を読まれないようにした尻尾が襲い掛かり、後頭部を激しく殴打した。
地面に顔を叩きつけられ、慌てて体勢を整えるが、視界が歪んで足元も覚束なくなっている。
「あははは! もうてめぇも終わりだなぁ!」
「……はぁはぁ。くそ……。まだか……」
その時だった。
バルバの後ろに見える崖の上で、小さな光が点滅したのは。
あれは、準備が整った合図……。
ようやく、か……。
今にも倒れそうな俺に余裕を感じたのか、あれだけ激昂していたバルバはいつの間にか冷静さを取り戻し、油断しきって口角を上げている。
「くくく。お前に最後のチャンスをやる。俺に服従しろ」
「なんだ……。随分優しいんだな……」
「あぁ、そうだ。なんたって俺は、この世界を支配する神になるんだからな。ちったぁ懐の深いところも見せてやるぜ」
「だったら俺も、最後に教えてやる」
「ほぉ。瀕死の犬如きが、俺に何を教えてくれるって?」
「お前の敗因だよ」
「……は?」
「まずお前は、超速自己再生能力があるにもかかわらず、二度も俺の《狼の大口》を避けた。しかも二回目は、わざわざ俺への攻撃をやめてまで回避に専念した。あれはどう考えてもおかしい」
「くくく……。ほぉ。犬のクセに意外と目ざといじゃねぇか」
「そしてその二回の攻撃にはそれぞれ共通点があった。それは、どちらもお前に致命傷を与えかねない攻撃だったということだ。つまりお前の超速自己再生能力は、『一定以下のダメージを瞬時に回復させる』スキルであり、『すべてのダメージを瞬時に回復させる』スキルではない。そうだろう?」
「くくく……。がはははは! ご名答! すげぇぜ! さすが同じ唯一神候補だ! まさか戦いながら俺のスキルの正体を見破る奴がいるとはなぁ! だがそれがどうした! お前は《狼の大口》を自分の影からしか出現させられねぇし、いざとなれば腕なり足なりを犠牲にして回避できる程度の攻撃速度だ! つまり、お前が俺に致命傷を与えるなんざ不可能なんだよ!」
「……そう言えばもう一つ、セバルティアンからの置き土産があったんだ。ちゃんと渡しておかなくちゃな」
「……なんだと?」
「《瞬光》!」
スキルを発動した直後、弾丸のように打ち出された体が炎の膜に包まれ、目にも留まらぬ速さでバルバの腹部へと激突する。
避けることはおろか、まともに反応することさえできなかったバルバは驚愕の表情を浮かべて体を硬直させた。
「なんだこの速さは!?」
バルバは腹部にめり込んだ俺をガシッと両手で掴むが、勢いは一切殺せず、そのまま俺と一緒に後方へ飛び、森を抜けたところにあった崖に思いきり激突した。
「ぐぅぅぅ! く、くそがっ!」
俺の後方へと炎が噴射する勢いでバルバを崖に押し付けるも、殺すには至らない。
バルバの口から血液が飛び散るが、バルバはグッと歯を食いしばり、俺を何とかしようと何度も殴打を繰り返した。
《瞬光》の際に生じる高温の炎が、ジュウと、バルバの拳を焼く音が続き、肉の焦げた臭いが辺りに充満した。
が、やはり《瞬光》ではバルバを殺せず、その勢いも次第に衰えてきてしまった。
この技は高速移動スキルであって攻撃特化のスキルじゃない。やはり決めきれないか。
やがて、俺の全身を包んでいた炎は消え、前方への勢いも失われてしまった。周囲には《瞬光》によって生じた炎が飛び散っていて、チラチラとくすぶっている。
それまで焦りの表情を浮かべていたバルバは、勢いをなくした俺を見ると勝ち誇ったように高笑いをした。
「ふ……。がはははは! 残念だったな! てめぇの隠し玉でも俺を殺すことはできなかった! ざまぁ見ろ!」
「《瞬光》は、俺の隠し玉をお前に食らわせるための準備に過ぎない」
「この状況で負け惜しみか!」
「《狼の大口》!」
俺の影からフェンリルの大口が生じるが、バルバはそれを前もって警戒していたのか、すぐに体を翻し、横へ飛び退いた。
「バァァァカ! そんな攻撃、警戒してれば当たらねぇん……だ……よ…………。……? お前、何を……」
バルバが言葉を失ったのは、俺の影から飛び出したフェンリルの大口が、バルバではなく、俺自身を呑み込むように出現したからだ。
俺の全身がフェンリルの大口の中にすっぽりと呑み込まれる直前、ポカンと口を開けているバルバと目が合った。
「上を見ろ」
「上……だと……?」
そそり立った崖の上から、ヒモで繋がれた樽が次々と落下してくる。
その樽は、以前、ゴブリンが巣くっていた洞窟を爆破して塞ぐため、カフ村の住人たちが苦労して集めたものだった。
つまり、中にはぎっしりと爆薬が詰まっている。
そのことを前もって《念話》で、護衛任務から帰ってきたツカサに伝え、ここにセットしてくれるように頼んでおいた。
崖の上には、たった今樽を蹴り落としたであろうツカサと、それを運ぶために使ったと思われるリヤカーが鎮座している。
空中で樽の蓋が開き、そこに爆薬が詰め込まれていると知ったバルバは、ただただ呆然とその光景を眺めた後、今まさにフェンリルの大口の中に閉じこもろうとしている俺を睨みつけた。
「まさか……。その《狼の大口》は……爆風を防御するために――」
「お前とは、積み重ねてきた信仰心の重さが違うんだよ」
ガチンッ、と出現させたフェンリルの大口が閉じると、外から派手な爆発音が聞こえてきた。きっと樽の爆薬が《瞬光》で飛び散った炎に引火し、大爆発を起こしているに違いない。
爆音はしばらく聞こえていたが、それに伴い、バルバの悲鳴はか細くなっていった。
やがて完全に爆音が聞こえなくなると、俺はフェンリルの大口を解除し、すっかり地形が変わり果てた外へと戻ってきた。
その中に、小さな黒炭になったバルバの姿を見つけた。
ぷすぷすと焼けこげており、すでに絶命している。
神も焼けばただの炭だな。
トン、と軽やかな音がして、後ろを見ると、崖の上にいたはずのツカサがどこか興奮したように近寄ってきた。
「いやぁ、すまない。少し遅れた。それで? 他の敵はどこだ? あとはあたしが全部引き受けよう!」
「いや、たった今全部終わったから……」
「なんだと!? それじゃああたしは樽を蹴落としただけじゃないか!」
「……あ、けど、そう言えば森の中にまだ一人残ってたっけな。片腕もいじゃったけど……」
「そんな瀕死の奴とどうやって戦えと言うんだ!」
「はは……。まったく、ツカサは頼りになる……な……」
「タロウ? おい、タロウ――」
あぁ……。またか……。
そう言えば前もこんなことあったっけな……。




