第39話 柴犬は作戦を考える
木を足場にバルバとエマの間に飛び込むと、そのままエマの襟首を咥えてその場から離れようとした。
だが、俺がエマの襟首を咥えようと口を開けたところで、バルバがにたっと歪な笑みを浮かべたのがわかった。
背筋に寒気を感じた直後、真下の地面が爆発するように弾けると、そこから赤色の槍のようなものが飛び出し、そのまま俺の腹を深々と突き刺した。
「ぐはっ!?」
目の前で串刺しになった俺を見て、エマが「ひっ」と小さな悲鳴を漏らし、危険を感じたエリザがエマを抱え、そのまま数歩後方へ飛び退いた。
く、くそ……。またさっきの土の棘か……? あれは地面を殴らないと使えないんじゃなかったのか……?
ギリギリと腹が痛むのをこらえ、視線を下に落とすと、俺の腹を突き刺していたのはさっきの土の棘ではなく、バルバから生えた尻尾が地面を潜り、俺へ攻撃してきたのだということがわかった。
「尻尾だと!?」
「くくく。俺がこの姿になった時、お前は考えるべきだった。まだ俺が、変身を残している可能性を」
「ちっ……」
油断したこともあるが、この尻尾……攻撃速度が異様に速い……。おそらく、全体的に動きの遅いバルバの攻撃速度を、この尻尾がカバーしているんだ……。
バルバは、尻尾に突き刺さった俺を手で引き抜くと、そのままギリギリと拳に力を込め、俺の体を圧迫した。
「ぐ……あ……」
全身の骨が軋み、口から血液が溢れてくる。
「くくく。このまま動けなくなるまで全身の骨を粉々にしてやる。なぁに。少しくらいやりすぎたって、お前もそれなりの治癒力は持ってんだろ? なら心配ねぇよなぁ? がははははは!」
「か……《影箱》!」
「――!?」
頭上に黒い渦が出現すると、そこから三本のナイフが飛び出し、そのうち二本は正確にバルバの両目を捉えた。
「ぐわぁぁぁぁぁ!?」
「セバルティアンからの置き土産だ。たっぷり味わえ」
目を潰された痛みで、俺は手から解放されたが、すでにダメージは限界近くまで蓄積されており、動けなくなるのもそう遠くはなかった。
バルバは太い指を器用に使い、二本のナイフを眼球から抜き取ると、しばらく悶絶していたが、その傷は右足の傷同様ほんの一瞬で回復してしまった。
また超速自己再生か……。あの能力をどうにかしない限り、俺に勝ち目はないぞ……。
バルバは反撃を受けたことがよほど気に入らなかったのか、激高して唾を飛ばした。
「ちくしょう! ちくしょうぉぉぉぉぉぉぉ! ぶち殺してやる! お前ら全員、ぶち殺してやるぅぅぅぅぅぅぅ! エリザァァァァァァ! 今すぐその女を殺せぇぇぇぇ!」
そう叫んでエリザの方を振り返ったバルバは、エリザが血を吐き、片膝を地面についている姿に驚愕した。
「何!? エリザ、誰にやられた!? それにあの女はどこだ!?」
「も、申し訳ありません、さっきのナイフのうちの一本がこちらに……。そ、そのタイミングで別の女があいつを連れて逃げました……」
その腹には、さっき俺が《影箱》で呼び出した三本のナイフのうちの一本が、ずっぷりと突き刺さっていた。
まんまとしてやられたバルバは怒気を込め、
「今すぐ追いかけろ!」
「は、はい……」
ナイフを抜き、腹を押さえながら林へと姿を消すエリザ。
残ったバルバは俺に向かって拳を振り下ろし、
「貴様ぁぁぁぁ! やってくれたなぁぁぁぁぁ!」
「そんな大振り、当たるわけねぇだろ」
傷ついた体で地面を蹴り、敵の攻撃を紙一重でかわすと、そのままバルバの顔に飛びついて鼻を食いちぎった。
「ぐあぁぁぁぁぁぁぁ! て、てめぇ! 俺の鼻を……俺の鼻をぉぉぉ!」
「ぺっ。どうせすぐ回復すんだろ。ガタガタ騒ぐな」
「殺す! 絶対殺す!」
今はできるだけ相手を挑発し、少しでもエマたちが逃げる時間を稼ぐ。
「《狼の大口》!」
フェンリルの大口が出現し、バルバの全身を丸のみにしようとする。だが同時に、俺のすぐ真横までバルバの尻尾の先端が迫ってきていた。
――まずい! 尻尾の攻撃がさっきよりも速い!
やられる、そう思い、咄嗟に体に力が入ったが、バルバは《狼の大口》を避けることを優先し、もう少しで俺の腹に突き刺さっていた尻尾の攻撃を途中で引っ込めた。
なんだ、今の動きは……?
どうして超速自己再生能力を持っている奴が、わざわざ攻撃をやめて回避を選ぶんだ?
……そうだ。そう言えば、最初に《狼の大口》を使った時も、奴は慌てて逃げ出していた。
もしかして……。
俺の考えが正しいのかどうか、それはわからない。
だが、今の俺にはそれにかけてみる他、方法が残されていなかった。
確実に作戦を成功させるためには協力が必要だ。
頭の中の声に集中する。
『おい。聞こえるか――』
◇ ◇ ◇
時刻は少しだけ戻り、タロウが《影箱》を出現させた瞬間。
まっすぐ飛び出した三本のナイフのうちの一本が、エリザの腹部に突き刺さると、エリザに拘束されていたエマはようやく自由を取り戻した。
(逃げなくちゃ……。けど、あ、足が動かない……)
カタカタと震えているエマの目の前に、急に一本の手が差し出される。ふと視線を上げると、そこにはソフィアが立っていた。
「ソ、ソフィアちゃん……?」
「さぁ、立ってください!」
「け、けど……足が……」
「早く!」
ソフィアに手を掴まれ、無理やり引っ張られるエマ。
だが、足にうまく力が入らないため、何度ももつれては転びを繰り返してしまう。
「ソ、ソフィアちゃん! もうボクは置いていって! そうじゃないと、ソフィアちゃんまで捕まる!」
「それはできません」
「ど、どうして、そんな……」
「私たちの目的は、最初からあなた一人です。タロウ様がなんとか隙をつくり、事前に茂みに隠れていた私がエマさんを連れて逃げる。それが今回の作戦です」
「そんな……。そ、それだとタロウは!? ま、まだタロウは、あの鬼と一緒!」
「大丈夫です。だって、タロウ様は誰にも負けたりしませんから」
ザザザ、と草木をかき分ける音が後方から聞こえると、ソフィアは両手でエマを横へと突き飛ばした。
「エマさん! 危ない!」
「きゃ!」
どん、としりもちをついたエマの横を、ひゅん、と風切り音が通り過ぎる。そして、目の前にいるソフィアの太ももに、トス、と一本のナイフが突き刺さった。
「ぐっ!」
苦痛で顔を歪め、その場に座り込むソフィア。
ナイフを抜き取り、治癒魔法で傷を治そうと両手で覆うと、またも、トトン、と小気味よい音が響いた。
今度はソフィアの肩と、もう一方の足にナイフが突き刺さり、その衝撃でソフィアは後方に倒れ込んでしまった。
「ソフィアちゃん!」
「うぅ……」
やがて、ナイフが飛んできた方向から、血だらけの腹を抱えたエリザが姿を現した。
「ったく……。手間取らせるんじゃないわよ……。はぁはぁ……」
エマの心臓が、どくんと音を立てる。
(どうしよう! 殺される! 怖い! 怖い! 怖い!)
ゆっくりと近づいてくるエリザの険しい顔に、エマは怯える他なかった。
(ボクがどう頑張っても勝負にすらならない……。そんなのわかりきってる……。けど……。ボクを認めてくれた仲間を見捨てるなんて……そんなのできない!)
エマは立ち上がり、両手を広げてエリザの前に立ちふさがった。
「こ……来ないで……」
怯えきっていて、足元すらおぼつかないエマをエリザが睨む。
「あら? あなた、もしかして戦うつもり?」
「ボ、ボクだって、『フェンリル教団』の仲間なんだ!」
「仲間……ねぇ」
エリザは何を思ったのか、林の中を指差すと、
「いいわ。あなたは見逃してあげる。人質は一人でいいしね」
「え……?」
「……子どもはできるだけ殺したくないのよ。ほら、さっさと行きなさい。私の気が変わらないうちに」
「ソ、ソフィアちゃんは、連れて行っちゃだめなの?」
「その倒れてる子? それはだめ。一人は連れて行かなくちゃ、私があいつに殺されるもの」
「じゃ、じゃあ……できない……」
「そう……」
エリザはどこか悲しそうに目を伏せると、今度は殺気のこもった瞳をエマに向けた。
「今すぐそこを退きなさい。でないと本当に殺すわよ」
「い……い……いやだ! ボクは……ボクは――」
膝は笑い。声は震え。鼻水も涙も次々と溢れてくる。
それはとてもかっこいいものではなかったが、それでも、エマは大声で叫んだ。
「――大切な友達を見捨てるなんてできない!」
「あっそう……。じゃあもういいわ。あなたもここで死になさい。大丈夫。苦しまないように一息で殺してあげるから」
エリザの右手が、ゆっくりとエマの首へと伸びる。
だが、その手がエマの首に届くことは、永遠になかった。
「よくがんばったな、エマ」
何故なら、横から飛び込んできたタロウが、エリザの右腕を根元から噛み千切ったからだ。
「あぁぁぁぁぁぁ! 腕がぁぁぁぁぁ! 私の腕がぁぁぁぁぁ!」
噴水のように飛び散る血液の中。食いちぎった右腕を吐き捨てたタロウがエマに言う。
「あとは俺に任せろ」
「タロウ……」
ふっと気を失ったエマの体を、こっそり自分の傷を治していたソフィアが受け止めた。
「ソフィア、体の調子はどうだ?」
「エマさんが時間を稼いでくれたおかげで絶好調です! タロウ様も治しますか!?」
「その時間はない。ソフィアはエマを担いで安全圏まで全力で走れ!」
「了解です!」
エマを背負い、遠ざかるソフィアを見送ると、森の木々をなぎ倒し、怒気にまみれたバルバがすぐそこまで近づいてきた。
「逃げるなぁぁぁぁぁ! 俺に殺されろぉぉぉぉぉぉ!」
逃げる?
馬鹿言うな。
準備はすべて整った。
ここから、一発逆転決めてやるよ。




