55 想定外の出来事
<この回の登場人物>
西園寺海斗
この物語の主人公(33歳)、兄と父が持っているクローンの情報を取得するため、奔走している。
美桜
海斗の元妻(29歳)クローンの問題に巻き込まれないように離婚して関係を絶った。
<今までお話(要約)>
二年前に命を失ったはずの友人たちが生きていた。
クローンとして生まれた友人の一人である光は、そのクローン研究を実施していた海斗の父の元にある研究の全てを回収してほしいと海斗に頼む。
海斗はクローン研究の実担当だった兄に接触し、病院の研究室にあるクローン研究情報を取得した。そして次は政治家の父の議員会館にある研究資料を奪取した。その直後に父が乗った車に自分がみつかりそうになって…。
俺は驚いて固まった。
このままでは父に俺はみつかる、そう思った時だった。
ふわっと大柄のストールをかけられて、声をかけられた。
「海斗さん?誰かわかりますか?」
さわやかな香りとすぐ前に美桜さんの顔がある。
どういうことだ?
でも考えている暇はない。
「美桜さん、ごめん…」
俺はそのまま美桜さんを引き寄せて抱きしめた。
ストールで美桜さんと顔と顔が触れるぐらい近すぎて、俺は動揺した。
その近さに、美桜さんは目を閉じた。
長いまつ毛と寒くてほんのり赤くなっている頬、微かな息遣いに一瞬で俺の凍りついた気持ちは溶かされた上に、もう会えないと思っていた感情を思い出した。
俺はこの場を凌ぐという理由を咄嗟に頭に浮かばせて、「ごめん…」ともう一度、言い、吸い込まれるように、そのまま美桜さんにキスをした。
車が横をすれ違った時、少し開いた窓から「こんな所でカップルでいちゃいちゃするな!」と陸斗らしい声が聞こえた。
時間にすればたった数分、でもその時間はすごく長く感じた。
唇と身体をお互い離して、ストールをするすると外し、美桜さんは紅潮させた顔を手で押さえながら言った。
「あ…急に、ごめんなさい…。海斗さん…どうして…こちらにいらっしゃったのですか?」
その言葉を聞いて、ここが彼女の会社の最寄りであることを俺は思い出した。
ただ、俺はとにかくここから離れたかった。
美桜さんの質問に答えずに、俺は「これからタクシーで帰ろうかと思っているのですが、美桜さんはどうされます?」と聞いた。
****
美桜さんも帰宅するというので、一緒にタクシーに乗り込み、俺は美桜さんの…かつて俺と住んでいた自宅まで送った。
タクシーに乗っている間、俺も美桜さんも何も話さなかった。
直前の携帯の着信は恐らく、ナリだろう。
あの場に美桜さんが現れなかったら、そう思うと俺はゾッとした。
俺は家の玄関まで美桜さんを送り、帰ろうとした時、美桜さんにコートを掴んで引っ張られた。
「今日のこと、聞いていいですか?」
俺は頷いた。
美桜さんは俺の足元を見て、ゆっくりと確認するように話した。
「…スーツ、濡れてますよね…スプリンクラーの故障の時…海斗さんは、議員会館にいました、よね?」
俺は頷くしかなく、それを見た美桜さんは「もう一度、聞いてもいいですか?」と確認した。
「それは…議員会館にいた理由のこと?」と自分から発した。
美桜さんは俺を一瞬見て視線を外して頷いた。
俺は…美桜さんにもう隠し事をしたくない。
全ては言えない、けど…と考えて、胸が痛くなった。
そして俺は言葉を選んだ。
抽象的だが、きっとこれが本音。
「友人との約束を守るため、そして俺自身が西園寺という看板に向き合うため、どうしても行く必要があった」
美桜さんは一気に落胆した表情になり、さらに聞いた。
「…そうだったのですね…あの、それは…ご自身を犠牲にしたとしても…海斗さんにとって大事なこと…なのでしょうか?」
この質問は恐らく、父の元に一切、出向くことがなかった俺が議員会館に行くことを指している。
結婚している時には極端に父との面会を減らし、美桜さんに任せきりだったにも関わらず、この選択をしている自分を信じられないのだろう。
俺は目を閉じて小さく頷いた。
今にも泣きそうな顔して美桜さんはさらに聞く。
「……それは……離婚に関係しています…か?」
そうして美桜さんは俺をじっと見た。
俺はもう一度、小さく頷き、「でも…それは…」と声を出した。
美桜さんは俺の言葉を繰り返して聞く。
「でも?それは?」
「…君をこの問題に巻き込みたくない」
俺は一言、そう答えた。
美桜さんは目を伏せた。
そして数十秒開いて、彼女は息を吸い、言った。
「…海斗さんは…私を守ろうと…した判断の結果なのかもしれないですけど、離婚する前に話してほしかった…」
俺は「うん…」と言うしかなかった。
美桜さんの目から一筋の涙が流れた。
その涙を手で拭い彼女は「ごめん、なさい。終わった、こと、ですよね。…最後に、1つだけ、お願い、してもいい、ですか?」と聞いた。
「俺にできることであれば…」
泣いた顔で美桜さんは少し微笑んで「じゃあ、さよならの、キスをください」と頼んだ。
"さよならのキス"
美桜さんの真意を測りかねた俺は返事を迷ったが、そもそも父にみつからないようにあの場から立ち去るために、俺は美桜さんにキスしているわけで…自分の行動の矛盾に、今更、論理的に考えようとすること自体が無駄なことに気が付いた。
美桜さんをしっかりと見て、俺は頷いた。
自分のふがいなさを感じ、そしてこんな俺を受け入れてくれてありがとうと感情がこみ上げてくる中、美桜さんをそっと抱きしめた。
そして俺は美桜さんの顔を手で包み、上にあげた。
美桜さんは悲しげな表情のまま、目を閉じた。
また目の端から涙がすぅと流れる。
俺はそのまま、彼女の柔らかい唇に自分の唇を重ねた。
これが…最後。
それこそ、永遠に続くのではないかというほどの苦しさを、そして今までの感謝…寂しさといったごちゃまぜになった感情の全てをキスに閉じ込めた。
見に来てくださって、ありがとうございます。




