二十九話
体を包む魔力の粒子は、ラゼルに抱きしめられたときと同じ暖かみがあった。
魔力の粒子に導かれるように、暗闇の中、頭上にある光を目指す。光に辿りつくと、強い光が目を覆う。思わず目をつぶった。トウィンカの体のそばを春風のように優しい風が通りすぎる。草木が揺れる音が耳に届き、目をそっと開けた。
「集落の近くにある草原?」
生まれ育った場所の近くにある草原によく似ていた。似ているだけでここはあの草原ではない。風も草花もあるのに、虫などの生き物がいないからだ。
甘い花の蜜の香りを胸いっぱいに吸う。とても懐かしい野花の匂いだ。
何かに惹かれるように、トウィンカはまっすぐ草原を歩いた。数分ほど歩いたところで目的の場所に辿りつく。
そこには、ドラゴンがいた。
目の色は閉じていて分からないが、赤で間違いないだろう。純白の羽毛に包まれた体を丸めて、一匹草原の真ん中で眠っている。すぐに分かった。
これが、自分のドラゴンの姿であると。
トウィンカは近寄って、ドラゴンの鼻をそっと撫でる。
「私ってこんな姿してるんだ」
客観的に見れる今だからこその言葉だ。
「さあ、目を開けて。現実へ戻らないと」
どう戻ればいいのかは、本能が教えてくれる。
自身の鼻ともう一つの姿のドラゴンの鼻をくっつける。感覚が一つになっていく不思議な感触がした。手足が大きくなり、鼻が引っ張られるように口と一緒に伸びる。口はそれに合わせて裂けていった。背中とお尻のあたりに翼と尾が生えてくる。痛くはない。ただ変な感じがするだけだ。聴覚が鋭くなり、翼も尾も自由に動かせる。目を開けると視界が人間のときに比べてとても綺麗で鮮明に世界が映っているように感じた。
背の翼を動かして地面から離れる。目指す場所はこの体になってから聞こえてきた声のする方だ。この声は知っている。憎んでいる、といってもトウィンカを助けようとしてくれた彼、ホープの声だ。
「ホープが私を呼んでくれてる」
帰る道を違わないように。
糸を手繰り寄せるように、それを辿っていく。
辿りついた先は、意識を飛ばした場所だった。
「ホープ」
目の前にいる赤いドラゴンの名を呼ぶ。綺麗な銀の瞳に赤の体躯。この姿を見るのは初めてだが、ホープであると一目見てわかった。
「トウィンカ、なのか?」
「変なこと聞かないでよ。私は私に決まってるでしょ?」
ホープがそう尋ねる理由は分かってる。ここに意識を戻す前にすべてを知ったからだ。もちろん、自分がしでかしてしまったことも覚えている。ホープはそのことを知っているのか強く聞いてはこなかった。
「そう、だよな。すまん」
しかし、様子がおかしいと感じた。苦笑いの中に時折痛みに耐える表情が現れていたからだ。以前より鋭くなった嗅覚が異変を告げてくる。この瓦礫や死体、重傷者の中で一番近くにいるホープ。その彼から鉄の嫌な匂いが気持ち悪くなるほどにするのだ。
赤い目を細めて、ホープの体をよく見る。赤い体だから気づかなかったが、ホープは大怪我と言っても過言ではないほどの傷をお腹に受けていた。そしてはっと思い出す。
なぜトウィンカは意識を闇に落としたのか。その衝撃的な場面はどういうときだったのか。普通に話していたから思い出すのに時間がかかってしまった。
「ホープ、ごめん」
トウィンカは謝りながら、羽毛で包まれた己の手をホープのお腹に当てる。
「トウィンカ、何をやって……!?」
ホープが驚くのを一瞥し、お腹に集中をする。傷が完全に消えたことを確認すると、途端に体が重くなるのを感じた。魔力を消費しためである。
「これは……」
ホープが驚きに目を見開ける。ぺたぺたと傷があった部分を両手で触っていた。
「もう痛くないでしょ?」
「あぁ。でも、驚いた。本当に傷が無くなってる」
「それが私の力だから」
トウィンカはまだ残っている魔力を確認すると、ラゼルに背を向けた。
目をしっかりと開いて、現状をしっかりと把握する。捕まっていた実験室とはかけ離れた光景に胸がずきりと痛む。壁はほとんど無くなり、からっと晴れた空と自然が視界に広がっている。太陽の位置と周りが自然ということから、今は昼をちょうど過ぎたところで、ヴァラーズ国ではあるが国の中心部ではないことがわかった。
瓦礫の下や辺りに倒れている人々から、呻き声や恨み声が聞こえてくる。
(目を瞑っちゃいけない。受け止めないと)
目の前に広がる光景はすべてトウィンカがやったことだ。
ドラゴンの姿になってもどういう原理か、紐の部分が伸びて赤い結晶が首から下がっている。今ならこれが何なのかわかる。トウィンカの中のラゼルの魔力と赤い結晶が呼応し、結晶が暖かくなっている。赤い結晶の正体は父の鱗だ。アリアはトウィンカに渡すときにこれは父なのだと言っていた。あのときは冗談だと思っていたが、それは本当だった。
鱗から伝わってくる。トウィンカを愛してる、と。アリアとラゼルの、両親の愛が鱗を通してトウィンカに伝えられる。ラゼルは持てる力すべてを使ってトウィンカたちに残してくれたのだ。トウィンカには魔力と見守れるように自身の意思を。アリアには体の一部を。そして、アリアの想いをのせた鱗はトウィンカの元にある。
「ありがとう、お父さん、お母さん」
トウィンカはドラゴンの握力で割らないようにそっと握る。
「私がんばるよ。だからせめて、これだけでも……」
今の魔力でどれだけ効力があるかはわからない。ドラゴンの本能は魔力をどう使えばいいのか教えてくれた。そのとおりに魔力を手に集める。手は次第に光を灯し、太陽のように直視できなくなる。
「お前、もしかして……やめろっ」
ホープが焦る声がした。
「ごめん、やめられない」
体中の魔力が集まり終わると両手を天へ掲げる。光は手から離れ、両手で持てる大きさの球体となった。ゆっくりと浮上し、太陽と重なる位置でぴたりととまる。
両手を胸あたりまで下ろし、音が鳴るように手を合わせた。
パン、という音とともに、光の球体がはじける。球体は細かな粒子となって大地にいる人間へと降りそそいだ。体の一部がちぎれてしまった人間は、何事もなかったかのように元通り繋がり、出血がひどい人間は、傷が治り、顔色もよくなっていくのが目に見えてわかる。
一人、また一人と怪我が治っていくにつれて体が重くなり、めまいと吐き気が強くなっていった。最後の一人が終わったところで、目の前が真っ白になり、体に力が入らなくなる。トウィンカの体は前へと傾き、地面に衝突する、というところで誰かの腕に支えられているのに気がついた。
「だからやめろって言っただろう!」
「ホープ、うるさい」
ホープの怒鳴り声が頭に響く。心配して言っているには違いないが、もう少しトウィンカの体調を考えてほしいと思ってしまう。
「うるさい、とはなんだ! 魔力が無くなれば、ドラゴンは命を落とす。俺はお前を」
「はい、ストッップ。ホープ」
「んあ……て、サラン様とレイン様!」
目を開ける体力も残っていないので、声で判別しするしかないが、割り込んできた声はレインだ。ホープがサランの名も言っているから、そこにサランもいるのだろう。トウィンカを助けに来た時はホープ一人だった。途中から合流でもしたのだろうか。
そんな誰に伝わらない、心の中での疑問を口に出さずに考えている間に、ホープの腕の中から誰かの腕の中に移動させられる。
「無事で、よかったです」
耳元で囁くサランの声はどこか震えていた。その声で今トウィンカはサランの腕の中にいることが判明する。
「ねぇ、サラン。私ね、お父さんに夢の中であったの」
腕を動かすことも目を開けることもできない。そんなトウィンカにできることはサランに話しかけることだけだ。サランの腕がびくっと反応する。
「サランってお父さんと同じ匂いがする。とっても、……安心する」
「はい」
短い返事。けれどその短い返事には色々な感情がこもっていることがわかる。サランはトウィンカを抱く腕の力を強めた。
「ウィン、今は人の姿に戻って眠りましょう」
サランの言葉で思い出す。今トウィンカはドラゴンの姿のままなのだと。
ということはサランとレインもドラゴンの姿をしているのだろう。こんな状況だというのに、二人のドラゴンの姿を見れないことを残念に思ってしまう自分に少し笑ってしまった。
「誘導します」
サランの声が体中に響き渡る。サランの魔力がトウィンカの体に少しずつ流れ込み、細胞に呼びかけてくる。それはどこか安心を覚え、心地よかった。トウィンカに対する愛情や慈しみが魔力を通して伝わってくるようだった。
トウィンカは自身の体が縮んでいく不思議な感触を味わいながら、ラゼルたちも擬人化を一緒になってとろうとしていることが、伝わってくる魔力でわかった。
全員が擬人化し終わったのか、あたりに散っていた魔力が霧散していく。
「眠りなさい」
サランの声が子守唄のように聴き心地がよく、トウィンカの意識が柔らかな闇に沈んでいくのに時間はかからなかった。




