二十八話
トウィンカを呼ぶ声が聞こえた。
(ここにはなにもない。聞こえないはずなのに、なんで)
本能がそう知っていた。この暗闇はトウィンカの中に住まう闇。トウィンカ以外が入ってこられる場所ではない。それなのに、声が聞こえてきた。その声ははじめて聞く声なのになぜか暖かくて、優しくて。心を閉ざしているはずなのに、どんどんその声は近くなってくる。
「トウィンカ、ウィン」
声の主はトウィンカに声をかけると同時に、大きな体で抱きしめてきた。いつの間にか冷えていたトウィンカの体は、声の主の体温によって少しずつ暖かくなっていく。
「ほら、顔を上げろ。ウィンの顔を俺に見せてくれ」
優しい声。その声になぜか涙がこみあげてくる。
「誰……?」
「誰、か。それもそうか。俺はウィンが生まれる前に死んじまったからな」
「私が生まれる前に……?」
「ああ。アリアとウィンには申し訳ないと思っている」
アリア。それはトウィンカの母の名前だ。それを知っているのはあの村の住人だけだ。ホープたち、城の住人には一切話したことがない。だからこの声の主の選択肢は一つしかない。母とトウィンカを知っていて、聞いたことのない声。
「お父さん、なの?」
声が震える。
「そうだよ、ウィン。だから顔をあげてくれないか。お前の顔を見たいんだ」
肯定の言葉にトウィンカの目から涙が零れ落ちた。とめようと思っても、涙腺が決壊したかのようにとまらない。顔をゆっくりとあげるとそこには優しげな表情をした青年がいた。
いつか母が話してくれた言葉を思い出す。
『お父さんはね、あなたと瞳と同じ真紅の瞳と髪の色をしているの。とっても格好いいけれど、……とってもおばかさんなのよ』
母は笑って、嬉しそうに話していた。おばかさん、のところだけは余分じゃないのかとも思ったが、その部分を言うときだけ悲しく笑う表情をみたら、言うに言えなかった。
「ウィン、やっと会えた」
真紅の瞳と髪。本当に母の言っていたとおりだった。
「お父さん、私、私っ……」
言いたいことはたくさんあるのに、言葉がでてこない。それを察したのか、太陽のような笑みを浮かべながらトウィンカの頭を撫でた。
「落ち着け。そう時間はないが、ウィンの話を聞くぐらいの時間はある」
「うん」
まるで子供をあやすようなしぐさだったが、気にはならなかった。涙がとまり、心が落ち着くまで父はそうやってずっと撫で続けてくれた。
「ありがとう」
「父に礼は不要だ。それよりも、ウィンはどこまで自分のことを知っている?」
「自分のこと……?」
母が死んで、アリエにあってそれから短い間にいろいろなことが起こった。それを思い返してみる。
「実は私は人間じゃなくて、ハーフドラゴンだったこと?」
「そうだ。それともう一つ。ドラゴンにとってウィンはどんな宝よりも大切な存在ってこだとだ」
「私が?」
そういえばサランとレインもそのようなことを言っていた、と思い出す。
「ああ。ウィンは小さいころに使っていた力を覚えているか?」
「力?」
そんなものがあっただろうかと記憶をあさってみる。
しかしそんな力を使った覚えが全くなかった。首を傾げていると、ラゼルはまるで小さい子を見るようにトウィンカを優しい目で見つめていた。ラゼルにしてみれば初めて会った実の子、トウィンカはまだ小さな子どもにしか見えていないのかもしれない。
「お父さん」
少し怒ったように、頬を膨らませてみればラゼルは焦ったように、ごめんと何度も謝ってくる。ホープによれば、ラゼルはドラゴンの王のような存在らしいのだが、そんな威厳を全く感じさせない態度に思わず声を出して笑ってしまった。
「ウィン」
次はラゼルが声を少し低くさせて、すねたようにトウィンカを見る。似たもの親子という言葉がぴったりとトウィンカたちにあてはまる。そんな小さな事だけど、トウィンカは嬉しくてしかたがなかった。
「っと、こんなことをしている場合じゃなかった。話を元に戻すぞ」
「うん、ごめん」
「謝るな」
どうやらラゼルは頭を撫でるのがくせのようだ。トウィンカの頭をぽんぽんと撫でながら話し始めた。
トウィンカは覚えていないが、一度だけアリアの目の前でその力を使ったことがあるらしい。
「どんな能力なの?」
「そうだな。例えばだ」
ラゼルはそう言うなり、自身のとがった爪で皮膚を思いっきり切りつけた。
トウィンカはいきなりのことに驚いて、声を上げてしまう。しかしラゼルは平然としたままだった。
「ウィンはこんな怪我をしている人を見たらどうしたい?」
「それは、もちろん看病する」
「そうだよな。ウィン、お前は魔力が自分の体内にあるのを感じるか?」
唐突すぎる質問に、頭を混乱させながらも頷いてみせる。人間だと思っていたころは感じることもできなかったが、暴走してここにきた今ならそれがわかる。攻撃しようと思えば冷たく変化し、守ろうとすれば暖かくなる不思議な力。
「感じる魔力を俺の傷にあててみろ。治したいという気持ちをこめて」
ドラゴンの属性は四つにわけられる。その中に、治癒というものは存在しないはずだ。けれどもし、ラゼルがさせようとしていることがトウィンカにできるとしたら。半信半疑になりながらも、治したいという気持ちをこめて手を翳した。トウィンカの両手から暖かい光とともに魔力が溢れ、ラゼルに吸収されていく。傷はトウィンカの魔力を吸収するとともに消えていった。自分でやっておいてなんだが、驚きすぎて声がでない。
「それは世界の歯車を掛け違えさせたり、戻したりする能力だ。トウィンカだけの能力」
「私だけの……」
「使い方はウィン次第だ。その能力は薬にも毒にもなる。ウィン、今のお前がやることはわかったか?」
「うん。でも、わざわざ自分の腕傷つけなくてもいいのに」
「すまん。癖だ」
「どんな癖なの、それ」
トウィンカとラゼルはそれから短い邂逅の間に色んな話をした。楽しかったこと、つらかったこと、驚いたこと。話す話題は尽きることなく、会話を弾ませる。
そして、刻々と時間が迫る中、一つのことを聞こうか聞くまいか迷っていると、ラゼルが悲しく笑いながらトウィンカに声をかけてきた。
「お前、今変なこと思ってただろう。生まれてきてよかったのかな、とか」
「……っ」
「ウィンが生まれるとき、アリアはドラゴンのメスと違って一切魔力を持たない人間だった。ドラゴンは子を産むのに十年の月日をかけて愛情と魔力を注ぎ込む。けれどウィンは人間と同じ十月十日で生まれてきた。産まれたときは普通のドラゴンの子と同じでドラゴンの形をして産まれてきた。けれど母体にいる間に魔力をもらっていなかったことや、何年も早く産まれてことですでに瀕死の状態だったんだ」
ラゼルは当時の事を思い出しながら、トウィンカの目を見て語る。最後の結末、目の前にいる父、ラゼルが死んでしまう結末がそこの部分あるのだろう。ここでラゼルが何かしら行動していなければ、トウィンカはすでにこの世にいなかったのだから。
「俺はすぐに決めたよ。お前に、ウィンに母の代わりに全ての魔力を渡そうと」
「そんな、全てじゃなくても……」
「全てじゃなきゃいけなかったんだ。十年かけて母が渡す魔力をウィンは一滴ももらわずに産まれてきてしまった。それをカバーするのに、俺の魔力全部を渡したって足りるかどうか分からなかった」
アリアはラゼルを止めなかったのだろうか。そこでラゼルを止めていればラゼルは死なずに済んだはずだ。
トウィンカの表情を読み取ったのか、ラゼルはぽんぽんとトウィンカの頭を軽く叩く。
「アリアは微笑んでいたよ。俺のしようとすることに反対はしなかった。止めても無駄だって分かってたんだろうな。アリアは魔力を受け渡す前、俺に言ったんだ。『この子の名前を決めて』って」
トウィンカ・ミルキークォーツ。この名前をつけてくれたのはラゼルだった。何度も何度も名前を小さく口ずさめば、ラゼルは歯を見せてにっこりと笑った。
「トウィンカとは星の光を、ミルキークオーツは白く色づいた水晶のことを表す。ドラゴンは人間と違って、名字はほとんど受けつかず、その子にあった色の名前をつけるんだ。ウィンにぴったりだろう?」
これほどに親の愛情を受け継いでいた名前だとは知らなかった。それまで普通に名乗ってきたその名前が、今では一番の宝物のように感じられる。
「俺はウィンに魔力を明け渡したことに後悔はしていないし、お母さんもそうだ。決し憎んでなんかいないから、安心しな。ホープのように殺しただなんて思っちゃいないし、むしろ俺の命でウィンを救えたんだ。嬉しいに決まってる。もちろん、外見から治癒の魔法を使うドラゴンだと判断できたから救ったんじゃない、ウィンだから救ったんだ」
「な、んでそう思ってること……」
「分かるに決まってる」
ラゼルが頭を撫でる手の重みに、涙がこみ上げてくる。先程までの感動の涙ではない。胸が苦しく、息が上手くできない。
「わ、たしっ、怖かった」
子どものように泣きじゃくるトウィンカをラゼルは黙って胸元に引き寄せた。
「おかあ、さんも、お父さんも、ホープのようっに私、のこと憎んでいる、んじゃないかって……」
「そんなわけないだろう」
「でもっ……」
「自分の子どもが嫌いな親なんていない。少なくとも俺たちはウィンのことが大好きだ」
「本当に?」
「ああ。一緒にいられなくても、この先ずっとウィンのことが大好きだ。それは変わらない」
ここが現実ではないことはトウィンカもわかっている。それでもラゼルの想い、この抱きしめてくる腕のぬくもりは本物だ。痛いくらいに抱きしめてくるラゼルから、ここが現実ではないからか心の声が聞こえてくる。本当はずっと一緒にいたかった、見守っていたかった。大好きだ、愛してる。
そのたくさんの想いがトウィンカに伝わるたびに涙があふれ出してとまらなくなる。しかし別れのときは刻々とせまってきているのを肌で感じる。
「そろそろお別れだ、行け。……あっちで待ってるやつがいる」
ラゼルも感じていたのか、言葉ではトウィンカの背を押すが、その表情は悲しげだった。別れたくないという気持ちがありありと伝わってくる。
「お父さんってば」
「すまん」
「ねぇ、これが最後じゃないよね? いつか、また」
会えるよね、とつなげようとするトウィンカの口を人差し指でラゼルは抑え、トウィンカが首を傾げればその指をトウィンカの胸元に持ってくる。
そこにはアリアからもらったペンダントがあった。
「アリアと共に」
たった一言。それだけトウィンカに告げるとラゼルがその空間から少しずつ消えていく。それと同時に、トウィンカの体を煌めく光の粒子が包み込んだ。ドラゴンということを受け入れた今ならわかる。これは、ラゼルの魔力の粒子だ。
トウィンカはそっと涙を流し、それを袖で拭う。消えかけているラゼルに呼びかける。
「お父さん、ありがとう。大好き!」
ラゼルはその言葉に歯を見せ笑った。
「俺はずっとウィンを見守ってやるから」
「うん!」




