事件解決?
当然、エバの言葉はウィルの耳に届いていた。
返事をするように小さく頷くと、非常階段から中へと滑り込んだ。 部屋の前には数人の若い部下たちがうろうろしていた。 見たところ、マスターシェージではないようだった。
ウィルは自己判断として、自分と同じ匂いを感じなければ、相手は人間だと認識するようにしていた。
そうして仕事をしてきたが、今まで外れたことはない。
ウィルは無防備な姿で、スタスタと彼らに向かって歩き始めた。 それに気付いた部下たちは、怪訝な顔でウィルを呼び止めた。
「おい、お嬢ちゃん、こんな所で何をやってるんだい? ここはあんたのような子供が来る所じゃないぜ?」
明らかに迷子の子供に対する口調で見下ろした男をゆっくりと見上げたウィルは、そっと呟いた。
「掃除」
「はあっ? ……ぐ……」
男の喉元にウィルの手が伸び、次の瞬間には男の体がふわりと浮いた。
「な、なんだ、おま……ぐあっ!」
ウィルは、驚く別の男の上に勢いよく投げ捨て、銀色の瞳になったかと思うと、他の数人も次々に気絶させた。 あっという間に静かになった廊下で部屋の扉に這い寄ると、耳を澄ませた。
『はい、確かに……ではこれを……』
小さく聞こえる声を頼りにタイミングを図ったウィルは、扉をノックした。 中の空気が緊迫したのが伝わり、やがて一人のマスターシェージが扉を開けた。
「誰だ?」
怪訝な顔で回りを見、廊下に転がる部下たちに気付くと表情がわずかに変わった。
「はっ!」
気合いの入った声とともに、銀色の瞳のウィルの膝がマスターシェージの頭上に落ちてきて、床に叩きつけられた頭部は、一瞬で中身が飛び散り、無残に破壊された。
異常に気付いたもう一人のマスターシェージが、風のようにウィルに近づいて攻撃を仕掛けてきた。 ウィルは巧みにその懐を擦り抜けると、素早く部屋の中に入った。
社長と青年が驚愕の眼差しでウィルを見つめる中、ぐるりと視線を泳がせてマイクロチップを探した。 だが誰かの懐に入っているのか何かの影になっているのか、すぐに見つけられなかったウィルは、窓際に駆け寄るとブラインドに手を掛け、一気に引きちぎった。 そして回し蹴りの要領で窓ガラスを思い切り蹴り割った。
ウィルが部屋に突入してから、一秒九九後のことだった。
二百メートル離れたビルの屋上からスコープを覗いて監視していたエバは、窓ガラスが割られ、あらわになった部屋に改めて照準を合わせた。
「よくやった!」
エバは舌で唇を舐め、眼光鋭く部屋の中の様子を伺った。
ウィルは襲ってきたマスターシェージの攻撃をかわしながら、次第に追い詰められていく。 エバはスコープでマイクロチップを探すが、散乱した部屋の中で探すのは困難を極めた。 部屋の壁に張りついて震えている社長が持っているのかも判断できず、ましてや青年の姿はいつの間にか消えていた。
エバは、まずはウィルが苦戦しているマスターシェージを仕留めることにした。 相手は武道に長けているらしく、ウィルは素早く伸びる手足を受けるのに精一杯だった。
「ウィル、マスターシェージの動きを止めろ。 俺が仕留める」
ウィルはそれを耳に受け、しばらくマスターシェージの攻撃を受けながら機会を伺った。 そして少しの距離が出来た瞬間、ウィルはマスターシェージの頭に飛び付き、その勢いで体をその背中側へとぐるりと回転させると、体重を掛け、その後頭部を床に打ち付けた。 それでもフラフラと立ち上がろうとするマスターシェージの頭部を、エバはしっかりと狙い定めていた。
ウィルの目の前で、マスターシェージの頭は赤黒い飛沫をあげて破裂し、身体は力なく崩れ落ちた。
ウィルは息を整えながら、ゆっくりと社長の方へ向いた。 イモリのように壁に張りついて逃げようとしていたが、ウィルの視線に気付くと、その場にへたへたと座り込んだ。
「ま、待て。 命だけは! 望みなら叶えてやるぞ。 何が欲しいんだ? 金か、服か、宝石か?」
たるんだ頬の肉を揺らしながら震えている社長に近づいたウィルは、無表情に手を差し出した。
「マイクロチップを」
銀色の瞳が光を反射して異様に輝いている。 社長はその瞳から目を逸らせずに、ゆっくりと懐から小さな箱を取り出すと、震える手を懸命に伸ばしてウィルの手の上へ乗せた。 ウィルはその箱の中身を確かめると、窓の外をちらりと見て、その箱を放った。
次の瞬間、パンッという破裂音と共に、箱は粉々になった。
「任務完了!」
ビルの屋上で、エバは銃を肩に掛けて満足気に微笑んだ。
「エバ! キミは!」
狙撃したビルから駆け下り、やっと標的だったビルに着いたエバに、下で待機していたレンドが声をかけた。 彼の後ろを、逃げるのに失敗して取り押さえられたさっきの青年が、両腕をつかまれて連行されていく。 その様子を、騒ぎに気付いた一般人たちが遠く囲んで見つめ、ざわついている。
「おう、レンド! お疲れっ!」
さっぱりした表情で、明るく手を挙げるエバに、レンドはこわばった笑顔で足早に近づいた。
「お疲れっ! じゃないよ! もうちょっとおとなしく仕事できないのかよ?」
と言いながら、レンドはすぐ前の地面を指差した。 そこに視線をやると、地面いっぱいには割れたガラスの破片が散乱していた。
「あーー」
「いきなり空からガラスの雨が降ってきたんだ! ヘルメットしてなかったら、死んでたところだった! ウィルが潜入してるっていうなら、一報くらいしろよ!」
「わははは! 忘れてた!」
「笑い事じゃないっ! こら、エバ、聞いてんのかっ?」
ごまかすように高らかに笑いながらエレベーターに乗り込むエバに、レンドはガミガミと怒りながら追い掛けた。 やがて十階の部屋の前に着いたエレベーターの扉が開くと、両耳を塞ぎながらそっぽを向くエバと、その肩口に怒り心頭のレンドが出てきた。
「キミはもう少しだな、近隣の安全を気にしてだな――」
「おー、ウィル!」
レンドを無視したエバが名前を呼ぶと、ウィルはすぐに駆け寄ってきた。 その瞳は、すっかり漆黒に落ち着いていた。
「ウィル、よくやったな!」
エバはウィルの頭にポンと手を置いてすぐ、はっと離した。
「あ、悪い!」
ウィルの漆黒の瞳が、以前飼っていたウィルに重なって見え、思わず昔そうしていたように、頭を撫でようとしてしまったのだった。 ところがウィルはじっとエバを見上げ、少し視線をそらせた。
「いえ、構いません」
きょとんとして見つめるエバに、ウィルは小さく呟いた。
「嫌ではありません」
「ん?」
レンドとエバは顔を合わせて首をかしげ、肩をすくめた。
「しかし、ひどいなぁ」
エバは破壊し尽くされた部屋の中を眺めながら、少し吹き出した。
家具はほとんど倒れて原形もとどめることなく、マスターシェージの血液らしい赤黒い液体があちこちに飛び散っていた。 ガラスが大きく割れた窓からはビル風が勢いよく流れ込んできて、部屋の異臭を消し去っていく。
「報告によれば、死亡したのはマスターシェージ二体だけだそうだ。 あとは、骨折や打撲などの怪我はしたが、命に別状はないらしい」
レンドは、ウィルは本当にたいした奴だよ、と小さく笑った。 エバは
「当たり前だろ、俺のパートナーだからな!」
と自慢げに言いながら、散らばった破片を避けながら窓際に近寄ると、額に手をかざして遠方を見た。 そこには、さっきまで自分がいたビルの屋上だけがちょこんと頭を出している。
エバは一人笑いをした。
「我ながら、よくやったと思うよ」
後ろでは、レンドが部下たちに手際よく指示をしていた。 これでもレンドは機密処理特殊部隊のリーダーだ。
機密処理特殊部隊とは、すなわち【人間の手には負えない事件】を処理する部署で、最近は特にその可能性がある事件が増えてきていると、レンドが以前愚痴を垂れていた。
「このマスターシェージはどういたしましょうか?」
一応青いビニールシートを被せて人間の死体処置のように見せてはいるが、中身は頭の砕かれたマスターシェージだ。
レンドは冷ややかにソレを見下ろすと
「こいつからは証拠も何も出ないだろうからな。 焼却だ」
「はい!」
部下たちは手際よく、シートに包まれたマスターシェージ二体を外に運びだしていった。 それをじっと見送るウィル。 微動だにせず、全く無表情な仮面の下で何を考えているか分からない。
だが、エバは何だかいたたまれなくなってウィルの肩に手を置いた。
「帰るぞ。 俺たちの仕事は終わった」
ウィルはエバを見上げると、素直に
「はい」
と返事をした。
その夜遅く、水を飲みに起きたエバは、リビングの窓際に座ってじっと外を見つめているウィルに気が付いた。 月明かりに照らされて、少し開けた窓から入ってくる夜風に髪の毛が揺れている。 エバに気付いていない様子だったので
「寝付けないのか?」
とそっと声をかけると、ウィルは静かに顔を向けた。 そしておもむろに立ち上がると
「私はいつも任務を遂行するだけです。 例え同じ種族だとしても、彼らを仲間だとは思いません」
と静かに言った。
「何を言っているんだ?」
首をかしげるエバに、ウィルはスタスタとすれ違っていった。
「ウィル?」
「おやすみなさい」
そう告げると、ウィルは自分の部屋へと入っていった。
エバはその背中を見送りながら、何か考えるように視線を泳がせた。
翌日エバは、セブンスヘブンにレンドを呼び出した。