第1話「洗濯屋のエルフ」
鑑定士であるはずの僕は、なぜか今、剣を構え、地響きのような低い唸り声をあげ、いつ炎を吐き出してもおかしくない面構えでこちらを凝視するレッドドラゴンと対峙している。
「エフィ!! まだ??」
「もうちょっと! もうちょっとだから、耐えて!」
耐えてって言われても、この距離でレッドドラゴンに炎を吐かれたら、さすがにヤバイ!
ほんの少しの隙が死に直結する状況の中、地面についたレッドドラゴンの血を這いつくばりながら必死にかき集めているのは、僕をこんな超絶危険な目に遭わせた元凶、洗濯士を名乗る銀髪のエルフ、エフィ・ランドローネだ。
彼女との出会いは、忘れもしない3日前のこと。
それは、僕が路銀を稼ぐためにテムリドの街に立ち寄った時のことだった。
「レント・ライゼルさん、ご職業は鑑定士でいらっしゃいますね。会員証のご提示、ありがとうございます。では、こちらの書類に必要事項をご記入の上、サインをお願いします」
旅商人は、立ち寄った街で商売をする場合、その街の商人ギルドを通して手続きを行う。僕もまた、ここテムリドで屋台を出すため、商人ギルドのカウンターを訪れていた。
「ご記入ありがとうございます。ご滞在は、7日間のご予定でお間違いありませんか?」
「はい」
「かしこまりました。出店費用は旅商協会認定会員でいらっしゃいますので、免除となります」
受付のお姉さんが言った旅商協会認定会員というのは、僕のような旅商人が任意で加入している全国的な旅商人の組合組織の会員のことで、会費を納める代わりに、窓口で出店費用を支払う必要がなくなる。
そのうえ、出店場所や宿を確保してくれたり、屋台の貸し出しまでしてくれるから、手荷物がぐんと減る。
僕みたいな現物を売らない商売人は、カバン一つくらいになるのだから、本当に有難い。
「お手続きは以上となりますが、何か聞いておきたいことはございませんか?」
「いいえ。ありません」
「では、こちらが出店許可証と宿の紹介状、それと貸し出しの屋台になります」
僕は、受付のお姉さんから受け取った出店許可証と宿の紹介状をカバンにしまうと、貸し出しの屋台を抱え、さっそく出店場所である広場へ向かった。
「おぉ! さすがはテムリドだ。やっぱり大きな街は凄いな!」
昼過ぎの広場には、既にたくさんの屋台が所狭しと立ち並び、集まった人々で賑わっていた。
さてと、僕の出店場所は……ここだな。
僕は、貸し出しの屋台を組み上げ、短いカウンターに鑑定屋の文字が刺繍された垂れ幕を取り付けた後、小さなラグを石畳みの上に広げ、その上に座った。
よし! 始めますか! さぁ! 何でも鑑定するよ!
「……ふぁ。暇だな」
屋台を出してから、かれこれ二時間は経っただろうか。
辺りを見渡せば、他の屋台はそれなりに繁盛しているというのに、僕の屋台にはまだ一人も客が来ていない。
「はいはーい。きれいになりましたよぉ」
「ありがとね。この天気だと、明日はきっと雨だろうから、魔法の洗濯屋さんがいて、本当助かったわ」
ふと視界に入った真向かいの屋台から、店主の女性と客の女性の会話が聞こえてきた。
(明日、雨なんだ)
見上げた空に太陽の姿はなく、どんよりと黒い雲が広がっていた。
(これは、明日も開店休業かもな)
雲行きがさらに怪しくなり、周りの屋台が早々に撤収していく中、日が暮れるまではと粘ってみたものの、結局初日の客足はゼロだった。
「はぁー疲れた。何にもしてないのに、それでも体はしっかり疲れるし、腹も減る。なんだかな」
そんなことをぼやきながら後片付けを始めた僕の背中を、誰かが、ぽんぽんと叩いた。
振り向くと、そこには、真向かいで洗濯屋を出店していた店主の女の子が立っていた。
「キミ、鑑定士さんなんでしょ?」
「ええ」
僕の返事を聞いた女性がニヤリと笑う。
なんだろうこのひと。なんで笑ってるんだろ。なんか、ちょっと怖い。
辺りを見れば、既に他の屋台は片付けが終わり、広場には、僕とこの女の子しかいなくなっていた。
(マズイ! これは、アレか!?)
僕の経験則からすると、こういう時ってのは、大抵良くない事が起こるんだよな。例えば、この女の子と話をしていると、どこからともなく現れた数人の強面な輩に因縁をふっかけられて身ぐるみ剥がされる、とかね。
どうする? 今ならまだ逃げられるか?
「キミ、逃げようとしてない?」
な! なに!? バレただと!? なんて勘の鋭いひとなんだ。これは、もう、覚悟するしかないか!?
「い、いえ。そんな逃げようだなんて。なぜ僕がそんなことを?」
「だって、明らかに不自然な体勢になってるし」
言われてみれば、たしかに僕の体は女の子と反対側の方を向いているし、手足だって、今にも走り出しそうな格好になっていた。
「大丈夫よ。逃げなくたって。別にキミを取って食おうなんて考えてないから」
「うぇ!?」
取って食う!? もっとヤバイでしょそれ!
いや待て待て。焦るな。落ち着け。彼女は、そうは考えてないと言ったよな? ということは……どういうことだ?
「あ、あの。僕に何か用でも?」
「うん」
「えっと、どんな?」
「どんなって、キミ、鑑定士さんなんでしょ?」
それは間違いない。自分で言うのもなんだけど、これでも僕は、王都ではそこそこ名の通った鑑定士のひとりだし、なんなら僕の家系を知っている人だったら、それなりの接し方をしてくる。
まぁ、家系のことは、他人にあえて言うようなことじゃないから、今は伏せておくけどね。
「ということは、何か鑑定のご依頼ということでしょうか?」
「うん!」
なんだ。普通にお客さんだったのか。いろいろ詮索した自分が恥ずかしい。
「それで、何を鑑定いたしましょう?」
「私!」
「へ?」
「だから、私! 私の種族を当ててみて! はい、コレ。それじゃ、お願い!」
女の子はそういうと、僕の手に一枚の銀貨を握らせた。
何言ってるんだこのひとは。もちろん僕の鑑定レベルなら、彼女がどんな種族であるか見極めることができるだろう。
だけど、なんで? 他人を調べるならともかく、自分でわかっているはずのことをなんでわざわざ? まったく意図が読めない。
なんか、さらに怖くなってきたぞ。そして、悪い予感がしてきた。こういう時の商売人の勘ってのは当たるもんなんだよな。
もうここは、素直にサクッと鑑定を終わらせて、さっさと宿に行って休もう。
「わかりました。それでは失礼します」
パッと見は人間。だけど、あのフードの下に獣耳や角なんかが隠れてるとしたら、獣人や亜人の可能性もあるか。
「……ん!? んんん!?」
えぇ? ちょっと待て、ウソだろ? このひと……エルフだ。見誤ったか? いや、そんなハズはない。僕の鑑定結果が間違うことなんて、よっぽどのことがない限りありえない。
「どう? わかった?」
「にわかに信じ難いですが……あなたは、エルフ、ですよね?」
彼女は、ニンマリと頬をピンク色に染め笑うと、僕の両手を握り言う。
「大正解!」
驚いたな。本物のエルフを目にするのは初めてだ。もちろんその存在は知っていたけれど、個体数が激減していて、滅多に人目に触れることはないと聞いていたし、文献にもそう書いてあった。なのに、まさか旅商人をやっているエルフがいただなんて。
「キミ、凄いね! 本物の本物だ! 私は、エフィ。洗濯士のエフィ・ランドローネ。キミは?」
「え、えっと、僕は、レント……ただのレントです」
すみません。エフィ・ランドローネさん。本当は、僕の名前はレント・ライゼルっていいます。
けど、今は、あえてライゼルの家名は伏せさせてもらいます。この家名が商売を含め、いろいろと邪魔になる事があるのでね。
「レント! いい名前ね! それじゃレント、私の旅について来て!」
は? 私の旅について来て? って、どういうこと? 洗濯士ってなに? 洗濯屋と何が違うの? それにいきなりタメ口って!? ツッコミ所が多すぎて頭の整理が追いつかない。
「あの、旅について来いとか、いろいろと状況がわからないのですが」
「ごめん! そうだよね。えっと、簡単に言うと、私はこれを作ってるの。で、レントの力が必要ってわけ」
そう言ってエフィさんが見せてきた分厚い本の表紙には『洗濯の極意』と書かれていた。
「えぇ!? あの、まさかとは思うのですが、これはもしかして、英知の書ですか?」
英知の書、それは魔法研究に余念が無いエルフ族が、自身が選んだ分類の魔法を探求し、生涯をかけて創り上げるとされる伝説級の書物であり、現存するものだと、大賢者フィンテの回復魔法が記された『癒やしの書』がある。
それは、フィンテからその書を託された初代聖王から現聖王まで脈々と受け継がれ、不治とされた病を回復させるなど様々な奇跡を起こしてきた。
また、かつて魔王を倒した勇者一行がひとり、大魔法使いアルバが創り上げたとされる『究極魔法全書』は、無類のダンジョン好きであった彼女自らが創造したという伝説が残る未踏破のダンジョン、戦神の回廊に今も眠っているとされ、1000年以上が経った今も、その力や一攫千金を求める挑戦者が後を絶たない。
その他にも、各地に英智の書に関する様々な伝承はあるもの、いまだその真偽は明らかになっていない。
「そう、そう! 英知の書だよ! 私は洗濯魔法を研究してるから、名前は洗濯の極意にしたの」
信じられない。エルフに会えただけでも奇跡的なことだというのに、伝説級の書物まで目にすることができるだなんて。
「なんだ、知ってたなら話は早いね。それじゃ、出発は明日ね」
いやいや待ってくれ。話が早いって、僕は何ひとつあなたの話を飲み込めていませんが?
「あの、僕はその旅にはついていきませんからね」
「なんで?」
「なんでって。そんなこといきなり言われても、はい! 行きます! とは普通ならないですよ?」
「そう、なの?」
なんで、そんな悲しそうな顔するのさ。なんかいろいろおかしくなってきたぞ……ほらね、悪い予感がするっていう僕の勘は当たったでしょ?
そんな話を交わしているうちに、雨が降り始めた。
「それはそうと、お腹空いてない?」
えぇ!? 急に!? もうこのエルフ、何考えてるのかさっぱりわからなくて本当に怖いです!
とはいえたしかに、今日この街に到着してからまだ何も口にしていないのは事実なんだよな。
「す、空いてますけど」
「だよね! 雨降ってきちゃったし、ご飯食べ行こ! 私奢るから!」
「いいですよ」
「いいんだね!」
「いや、そう言う意味じゃ、あぁ!」
エフィさんは、僕の腕を勢いよく引き寄せると、雨など構うことなく走り出した。
「ちょっ! エフィさん! 雨! 雨!」
「へーき! へーき!」
「そうじゃなくて! そりゃエフィさんは、そのフードがあるから平気でしょうけど、僕はずぶ濡れになっちゃいますよ!」
って、聞いてないな。もう、どうにでもなれ!
「到着〜って、レント、大丈夫!? ずぶ濡れじゃない!」
「だから、さっきからそうなるって言ってたじゃないですか」
「そうだっけ?」
そうだっけ? じゃないだろ! こっちは下着までびしょびしょなんだよ。こんなんで食事なんてできるか!
「僕は、宿に戻ります」
「ちょっと待って。今きれいにしてあげるから」
きれいにする? って、何? 何? なんで僕に向かって魔法陣を展開してるの? え? 殺られる? 何で? 僕、なんかしました?
いや、思い当たる節はない。ここは深呼吸をして、一旦落ち着こう。深く息をすって、吐いて。よし。鑑定!
……あの青い魔法陣は、水属性……ということは、水もしくは氷の魔法を使うつもりか。
「水の魔法!」
エフィさんが、何かの魔法を唱えると、魔法陣から無数の雫が飛び出し、僕の頭上に集まったかと思うと、あっという間に一つの大きな水玉となった。
見たことのない水魔法だ。けど、粗方予想はつく。きっと、この巨大な水玉で僕を包み込み、窒息させるつもりだろう。
「それ!」
エフィさんの掛け声で、水玉が僕めがけて落下。
やっぱり。予想通りだ。
僕は、気休め程度だが、少しは耐えられるだろうと、水玉に飲まれる寸前で息を目一杯吸い込み止めた。
ジャブっと水玉が僕の頭から足の先まで、全身を隈なく包み込む。
(うわ! つ、冷た!)
ゴボボボボ。
水の冷たさに驚いた僕は、虚しくも止めていた息を全部吐いてしまった。
あぁ……これまでか。
そっと目をつむり死を覚悟した瞬間、僕の頭が水玉からスポッと抜け出た。
あ、あれ?
「泡の魔法!」
エフィさんが、また何かの魔法を唱える声が聞こえた。
すると、今度は魔法陣が白色に変わり、首から下を包み込む水玉の中がきめ細やかな泡で満たされた。
うわ! なんだこれ。泡? なんか、回り出したぞ。
服を着ているというのに、まるで直に体を洗っているかのような不思議な感覚だ。
気持ちいい。すごく気持ちいいんだけど、なんて言うか……あ! そうか! これは、洗濯だ! 僕は今、洗濯物になっているんだ!
「水の魔法!」
再び水の魔法を唱えたエフィさん。
魔法陣から水玉に向かって無数の雫が放たれると、流入した雫によって泡が消えていく。
すすぎだね。うう。やっぱり水は冷たい。
「温風の魔法!」
エフィさんがまた別の魔法を唱えると、今度は、魔法陣が赤色に変わり、心地良い温風が全身を包み込んだ。
ほわぁ。これは、すごく気持ちいい。
「はい。きれいになった」
「す、凄いです! 服も体も綺麗になってる! しかも、あれだけずぶ濡れだったのに、下着まで全部乾いてる!」
「ふふん!」
正直エフィさんの洗濯魔法には驚かされた。洗濯魔法って、服の汚れを落とすだけの生活魔法だとばかり思っていたけど、こんなにも進化していたなんて。エフィさんがドヤ顔するのもわかる気がする。
「それじゃ、晩ごはん、食べよっか」
「は、はい」
にっこりと微笑むエフィさん。
その笑顔を見た僕は、なぜか食事の誘いを断る気になれなかった。




