聖典の秘密と痕跡
「お兄様、あの商店街で変なものを見つけました」
翌朝、リシアが興奮気味に報告した。兎の耳がぴくぴく動いている。
「変なもの?」レンが首をかしげた。
「はい。魔族の書店で、妙に見覚えのある本がありました」
エレノアが興味深そうに身を乗り出した。
「どんな本ですか?」
「えーっと、『清潔な暮らしの知恵』とか『作物を豊かにする方法』とか...何というか、すごく実用的で現実的な題名でした」
準備をするレンの手が止まった。その題名に、何か既視感があった。
「そういえば」
カティアが思い出したように言った。
「昨日の夕食、変わった味付けでしたよね。醤油という調味料を使ってて、パンではなく穀物を炊いたものでしたし…」
「醤油?」
昨夜、情報収集がてら街を散策していて宿の食事に間に合わなかったレンは驚いて聞き返した。
「はい。『ショーユ』って呼んでました。あと、『ミソ』とかいう発酵食品も」
レンの心臓が跳ね上がった。
(醤油に味噌?まさか...いや…、やはりここには『いる』な…
いや、それより昨日はどんな料理だったんだろう?早く帰っておけば良かった…)
「今日の献立は…いや、それって、どこで作られてるんだ?」
レンの食いつきぶりにカティアは驚く。
「ま、魔族領域の特産品だそうです。聖典に作り方が書いてあるとか」
「おお、そういえば俺も見たぞ」
セレスティアが竜人族の角を撫でながら言った。
「街の職人たちが変わった作業をしてた。『タタミ』とかいう敷物を作ってるらしい」
「畳も?」
レンが思わず大きな声を上げそうになった。
「も?」
一瞬、不思議そうな顔をしたのち、セレスティアが続ける。
「そうそう、それだ。あと、『フロシキ』っていう布で物を包んでる人もいた」
風呂敷まで?レンは内心で震撼した。
イリヤが美しい精霊族の顔で頷いた。
「街の神殿では『オボン』という行事があるそうです。ご先祖様を迎える祭りとか」
「お盆まで?」
「レナード様、ご存知ですか?」
ついに、エレノアが鋭い視線を向けた。
「い、いや...なんとなく聞いたことがあるような」
レンは慌ててごまかした。しかし、これは偶然ではない。明らかに日本文化が根付いている。
「そういえば」
リシアが思い出した。
「街の子供たちが変わった遊びをしてました。『オテダマ』とか『ケンダマ』とか」
お手玉に剣玉?レンはもう驚きを隠せなかった。
ただ、少し古いな…。
「とりあえず、今日この後その書店に行ってみよう」
今日の予定が決まった。
そのあとレンは今日いち真剣な顔でリシアにきいた。
「それでだ、今日の朝メシは何時からだ?」
この後…、久しぶりに食べる和食に感動し、そっと涙を流すレンを見ることになるのだった。
朝食の後、一行は魔族の多い商店街に向かった。
「お兄様は、こちらの料理が随分とお気に召したようですね?」
リシアが不思議そうに問いかける。
「ああ、当たり前だ。俺は、王国で名をあげ、領地を復興させ、帝国と神聖王国を倒してやっと食べれたんだ、他のやつならもう少し早くたどり着いてる」
レンが答える。
「???、そ、そうなんですか?とりあえず良かったです。」
リシアは戸惑いながら答え、これ以上は聞かないことにした。
「あ、お兄様!」
リシアが話を変えようと指差す。
「あの店、『ザブトン』って看板が出てます」
座布団屋?レンが見ると、確かに座布団のような敷物を売る店があった。
「こっちは『ゲタ』の店ね」
カティアが別の店を指した。
下駄屋まである。レンはめまいを覚えた。
書店『知恵の館』に着くと、店主は角の生えた知的そうな魔族だった。
「いらっしゃいませ。何かお探しですか?」
「聖典について書かれた本はありますか?」
エレノアが丁寧に尋ねた。
店主の表情が急に警戒的になった。
「聖典は魔王陛下の神聖な秘宝です。一般人が読めるものではありません」
「でも、聖典の知恵を元にした本はあるでしょう?」
「...まあ、それなら」
店主が奥から数冊の本を持ってきた。『醤油と味噌の作り方』『畳職人の技術』『お盆の正しい迎え方』...
レンは目を疑った。完全に日本の文化指南書だった。
一冊手に取って開いてみる。
「病気を防ぐには手を洗え...お箸は正しく持て...風呂に入って身を清めよ...」
もはや疑いようがなかった。これは日本人が書いた本だ。
「これ、とても合理的な内容ですね」
レンが平静を装って言った。
「レナード様なら、こういう発想も理解できそうですね」
エレノアが視線を向けた。
本を購入して宿に戻る途中、街の広場で祭りの準備をしている人たちを見かけた。
「あれは何の祭りですか?」
イリヤが通りがかりの獣人族に尋ねた。
「ああ、来週『タナバタ』の祭りがあるんです。短冊に願いを書いて笹に飾るんですよ」
七夕まで?レンはもう言葉が出なかった。
「『タナバタ』?」
カティアが首をかしげた。
「聖典に書かれた美しい祭りです。織姫と彦星の物語があるんですよ」
織姫と彦星の物語まで伝わっている。レンは混乱した。
宿に戻ると、主人が嬉しそうに言った。
「お客さん方、今夜は『スキヤキ』を作りますよ。聖典の料理法です」
「すき焼き?」
レンが思わず声を上げた。
「ご存知ですか?牛肉を甘辛く煮る料理です」
この魔族領域には、間違いなく日本人の転生者がいる。しかも、日本文化を体系的に伝えている。
(そして、今日はすき焼きが食える、これってボーナスステージなのか?)
すき焼きにまたしても涙を流したレンは、部屋で本を詳しく調べてみた。
内容はさらに衝撃的だった。
「見てください」エレノアが本を広げた。「この医学の記述、『うがい』『手洗い』『マスク』という予防法が書かれています」
「こっちの農業技術も、『輪作』『堆肥』『品種改良』という王国にはない、かなり未来的な発想だ」
セレスティアが感心した。
イリヤが別の本をめくっていた。
「この『礼儀作法』の本、『お辞儀』『正座』『茶の作法』が詳しく書かれています」
レンは思った。この国を作った転生者は、日本文化を完全に再現しようとしている。
その時、宿の主人が部屋をノックした。
「すみません、お客さん方に来客です」
下に降りると、一人の獣人族の少女が待っていた。狐の耳と尻尾を持つ、可愛らしい少女だった。
「あの、旅の商人さんですよね?」
少女が緊張気味に言った。
「私、ユキといいます」
「どうしたんだ?」
レンが優しく尋ねた。
「実は、先程皆さんが書店で聖典に関する本を沢山買われているのを見てもしかして『ニホン』をご存知なのかと思って...」
「日本?」
レンが目を見開く。
「おじいちゃんが言ってたんです。聖典を残した救世主様は『ニホン』という遠い国から来たって。そして、その国の素晴らしい文化を教えてくれたって」
レンは言葉を失った。ついに核心に触れる情報が出てきた。
「その救世主について、他に何か知ってることは?」
エレノアが興味深そうに尋ねた。
「おじいちゃんの話では、その人は『醤油』『味噌』『畳』『七夕』『すき焼き』...たくさんの素晴らしいものを教えてくれたそうです」
ユキが目を輝かせて続けた。
「でも、今の魔王様はそれらを独占して、本当の『ニホンの心』を伝えていません。だから、もし皆さんが『ニホン』のことを知ってるなら、お願いがあります」
「どんな?」
「聖典の真実を調べて、本当の『ニホンの文化』を取り戻してもらえませんか?」
レンが仲間たちと目を合わせた。
「分かった。協力しよう」
こうして、日本文化の痕跡が色濃く残る魔族領域で、レンは同じ転生者の足跡を追うことになった。




