盤上の駒、盤外の神(前編)
絶望
それは、西門の城壁に背を預けたエレノアの心を冷たい霧のように支配していた。
門を打ち破ろうとする破城槌の轟音が、腹の底に響く。
味方の兵士たちの悲鳴が耳を劈く。
自らの肩に突き刺さった矢が、焼けるような痛みを主張している。
視界が霞んでいく。
(…ここまで、ですか、レナード様…)
朦朧とする意識の中、エレノアは遠い王都にいる主君の顔を思い浮かべた。
『この計画には、笑顔というデータが抜けている』
そう言って、完璧なデータだけが全てではないと自分に教えてくれた人。
彼の愛したこの場所を、彼の帰るべきこの故郷を守り切れなかった。
無力感とどうしようもない悔しさが、血の味のする唾液と共に、喉の奥から込み上げてくる。
「エレノア様! お下がりください! ここは、我々が!」
年若い兵士が彼女を庇うように前に立つ。
だが、その兵士も次の瞬間には城壁を乗り越えてきた帝国兵の刃に、胸を貫かれて崩れ落ちた。
「あ…」
エレノアの瞳から、一筋の涙が溢れた。
それは、恐怖からではない。自らの無力さと守るべき命をまた一つ失ったことへの、痛恨の涙だった。
もう、ダメだ…、終わってしまう…そう思った、その時。
ドォォォォォン!!
天を引き裂くような、耳をつんざく轟音が響き渡った。
それは、雷鳴とは明らかに異質の指向性を持った爆発音。
エレノアが顔を上げると、城門を打ち破ろうとしていた巨大な破城槌が、まるで神の怒りに触れたかのように巨大な火球に包まれて木っ端微塵に吹き飛んでいた。
「な、なんだ!? いったい、何が起きた!」
城壁の内外で、敵も味方も誰もが呆然と空を見上げた。
混乱する帝国兵たちの頭上から場違いなほどに、しかし、どこか聞き覚えのある、苛立ちを含んだ少女の声が響き渡った。
「―――俺の芸術に、汚い手で触れるんじゃないよ、この下衆どもが!」
声の主は、西門に隣接する最も高い監視塔の屋上に仁王立ちになっていた。
夕陽を背にそのシルエットが黒く浮かび上がる。
天才鍛冶師、セレスティア・ドレイク
その手には、巨大な弩とも複雑な機械ともつかない見たこともない形状の異様な武器が握られていた。
それは、彼女が工房に籠りレンのFPS知識――固定砲台である『タレット』や、自動迎撃システムである『セントリーガン』の概念を元に、この世界の魔法技術と融合させて開発した、自動迎撃型魔導兵器『天の火』の試作一号機だった。
「セレスティア…さん!?」
エレノアが信じられないという顔で叫ぶ
なぜ、彼女がここに?
彼女は領地の外れにある工房に引きこもっているはずではなかったのか。
「エレノア! あんたこそ、そんなところで何寝ぼけたツラしてるんだい!」
セレスティアは、眼下の惨状に顔を顰めながら叫び返すと、手にした魔導兵器の台座を塔の床に固定した。
「レンから伝言だ! 『盤上のルールがクソなら、盤ごとひっくり返せばいい』、だそうだよ! あいつ、たまには良いこと言うじゃないか!」
その言葉は数日前の夜、レンの密使がセレスティアの工房を訪れた時の記憶を、鮮やかに蘇らせた。
—— 数日前 ——
「はぁ? 俺に、武器を作れ、だと?」
セレスティアは、工房を訪れたフード姿の騎士を心底迷惑そうな顔で見上げた。
彼女はレンのために「軌跡の刃」を打ち上げて以来、再び自らの研究に没頭していた。
「レナード様からの、極秘のご命令です」
騎士はレンの親書を差し出した。
「アルバート領が危機に陥る、その際にあなたの力が必要になると」
セレスティアは、渋々その親書に目を通した。
そこにはレンの独特な、しかし、どこか丁寧な筆跡で
彼の予測する未来と、セレスティアに託したい役割が、詳細に記されていた。
『―――セレスティア。君の才能を、またしても、俺の都合で利用することを許してほしい。だが、君にしか頼めないんだ。
宰相は必ず、俺の故郷を正面からではなく、もっと陰湿なやり方で攻撃してくる。
毒や偽情報を使って、内側から崩壊させようとするだろう。
エレノアたちだけでは、対処しきれないかもしれない』
手紙にはレンがFPSで経験した様々な妨害工作のパターンと、それに対するカウンター戦術が、びっしりと書き込まれていた。
そして、そのカウンター戦術の中核として、レンはセレスティアに一つの無理難題を提示していた。
『君に、作ってほしいものがある。それは、剣でも鎧でもない。「戦場のルール」そのものを支配するための兵器だ。
特定のエリアに侵入した敵を、自動でかつ正確に迎撃するシステム。
俺の世界では、「セントリーガン」と呼ばれていた…』
セレスティアは初め、その内容を読んで鼻で笑った。
自動で敵を認識し攻撃する? そんな魔法聞いたこともない。
まるで、おとぎ話だ。
だが、読み進めるうちに、彼女の目は次第に輝きを増していった。
レンが書き記したその兵器の設計思想は、彼女の創造意欲を激しく刺激した。
敵味方を識別する魔力探知の術式、魔力を弾丸として射出する変換効率、そして複数の砲台を連動させる制御システム…。
それは、彼女が今まで誰も理解してくれなかった、自らの理論を、証明するための、最高の舞台に思えた。
『…君の作るものは、ただの「道具」じゃない。「芸術」だ。俺はそう信じている。
君の芸術で、俺の故郷を俺の大切な人たちを守ってはくれないだろうか』
手紙の最後はそんな言葉で締めくくられていた。
セレスティアは、顔を真っ赤にして手紙を握りしめた。
「…な、なによ、あいつ…。人をおだてやがって…!
べ、べ、別に、あんたに頼まれたから作るんじゃないんだからね!
私の、私の芸術的探求心のためなんだから!」
あまりにも王道なツンデレ言葉とともに、ツンと顔をそむけながらも彼女の口元は嬉しそうに綻んでいた。
その日からセレスティアは、寝食も忘れ工房の炉に火を入れ続けた。そして、レンの予測通り領内に異変が起きたその日、彼女は完成したばかりの『天の火』を荷車に積み、たった一人で戦場へと向かったのだ……。
「さあ、ショータイムの始まりだよ!」
セレスティアは、魔導兵器の起動スイッチを入れた。
塔の屋上に設置された、五基の『天の火』が一斉に唸りを上げる。
その砲身に取り付けられた魔晶石が、不気味な蒼い光を放ち始めた。
「目標、敵兵士の魔力パターンをロックオン!
味方の識別コード、除外! 殲滅開始!」
セレスティアの号令と共に、五基の砲台から魔力の弾丸が雨のように降り注いだ。
その一発一発が、驚くべき精度で城壁に取り付こうとする帝国兵たちを的確に撃ち抜いていく。
それは、もはや戦闘ではなく一方的な蹂躙だった。
「うわあああ!」
「な、なんだ、この魔法は!?」
「空から、攻撃が…!」
帝国兵たちは大混乱に陥った。
彼らはどこから攻撃されているのかさえ理解できなかった。
西門で指揮を執っていたギュンターは、その信じがたい光景に歯噛みしていた。
「ええい! あの忌々しい女はなんだ! どこから現れた!
魔法兵、あの塔を破壊しろ!」
しかし、ギュンターの命令が届くよりも早く、セレスティアの次なる一手が放たれる。
「第二射、準備完了! 今度はとっておきだよ!
レンが言ってた、『フラッシュバン』ってやつ
再現してみたんだ!」
『天の火』の一基が、天に向かって特殊な魔力弾を射出した。
それは、上空で炸裂すると太陽が地上に落ちてきたかと錯覚するほどの、強烈な光と鼓膜を破るような衝撃波をあたり一面に撒き散らした。
視覚と聴覚を完全に奪われた帝国兵たちは、なす術もなくその場に蹲る。
その隙を、エレノアが見逃すはずがなかった。
「今です! 全員、反撃に転じなさい! 敵を一人残らず城壁から叩き落とすのです!」
最後の力を振り絞ったエレノアの号令に、味方の兵士たちが雄叫びを上げて応える。
形勢は完全に逆転した。
アルバート領で奇跡的な反撃の狼煙が上がった。
それは、レンが王都という盤上から故郷という、もう一つの盤へと放った起死回生の一手。
そして、その手はセレスティアという誰にも予測できなかった「盤外の神」によって具現化されたのだった。
戦場は、絶望の淵から輝かしい逆転劇へと、その第一歩を力強く踏み出した。




