砂漠への帰還
ストームウイングは高度を上げ、順調に飛行を続けていた。眼下に見える景色が、アークライト王国の緑豊かな森から草原へと変わり、やがて遠くに広がる砂漠が見えてきた。風が機体を揺らし、エンジンの低い唸り声が心地よく響く。
この時代の移動手段――馬車とラクダを乗り継ぐ旅だと二週間はかかる距離を、たった数時間で移動できてしまうのだから、その価値は計り知れない。
俺は操縦席から外を見つめながら、ストームウイングの存在がもたらす意味について考えていた。
経済的に見ても軍事的に見ても、各国が喉から手が出るほど欲しがるものに違いない。迂闊に秘密が漏れれば、命を狙われる可能性は十分にある。
実際には量産できず、この一機しかないのだから戦術的な価値はあっても戦略的な価値は低いかもしれない。
だからレオンハルトは自分の物にしようとはしなかったのだ。決して友情だけの話ではない。そこには王としての冷静な判断がある。だが、その事実を知らない他国は当然脅威と見るだろうから、慎重に行動しなければならない。
そんなことを考えていると、後ろに座っているセリナが全く喋らないことに気づいた。
いつもなら、何かしら文句を言ったり、戦術について議論を吹っかけてきたりするのに、今日は妙に静かだ。
「セリナ、どうした?気分でも悪いのか?」
俺が振り返って声をかけると、リシアも気にしていたのか、心配そうな表情でセリナに声をかける。
「体調がすぐれないようでしたら、回復魔法をかけることもできますが……」
その申し出に、セリナはうつむいたままで小さく答えた。
「いや、大丈夫だ」
彼女の声は、いつもより少し弱々しい。
「こんな金属の塊が空に浮くのが不思議なだけだ……」
「それって……もしかして……」
俺は少し考えてから、思わず笑みを浮かべた。
「怖いのか?」
「う、うるさい!」
セリナが顔を上げた。その顔は、少し青ざめている。
「初めてだから慣れてないだけだ!帝国騎士が怖がるなんてあるはずがない!」
セレスティアが、一瞬驚いたあと、ニヤニヤしながらセリナに問いかける。
「へえ、あの炎の姫騎士様が、高いところが苦手だなんてねえ」
「違う!ただ慣れてないだけだと言っている!」
セリナが必死に否定した、まさにその瞬間。
俺は、ほんの少しのイタズラ心で、操縦桿を引いた。
機体は即座に反応し、一回転。ストームウイングが軽やかに宙返りをする。
「きゃっ!」
セリナは、俺たちが今まで聞いたこともないような声で悲鳴を上げた。
その声を聞いて、俺は思わず笑いを堪えきれなくなった。
「あのセリナにも苦手なものがあったんだなぁ」
俺が茶化していうと、セリナは顔を真っ赤にしながら睨みつけてくる。
「レナード!」
彼女の声は、怒りと恐怖が入り混じっていた。
「地上に降りたら勝負しろ!絶対にボロボロにしてや……やめて!」
俺は再度、操縦桿を捻った。今度は、緩やかなバレルロール。
セリナは咄嗟に前の席を羽交い締めにし、必死にしがみついた。その手が、ぎゅっと俺の席の背もたれを掴む。
「うー、レナード、覚えてろよ」
セリナは身体を硬くし、席にしっかりと捕まりながら、なんとかこちらを向き、涙目で睨んでくる。
「絶対にこの借りは返すからな」
その様子を見ていたリシアが、俺の腕に触れ、たしなめにきた。
「お兄様」
リシアの声は、優しく、でも少し咎めるようなトーンだった。
「あまりその様なことをされるのは良くないと思います。セリナさんは『怖い』のですから、優しく操縦して下さい」
リシアに全く悪気はないのだが、そのトドメの一言に、セリナは半泣きになってうつむいた。肩が小刻みに震えている。
「リシア……」
俺は苦笑した。
「それはなかなかに厳しいぞ」
俺の言葉に、リシアはキョトンとした表情を浮かべた。何が悪かったのか、全く分かっていないようだ。
エレノアとセレスティアは、笑いを堪えるのに必死な様子だった。
そんな、久しぶりに緊張感の和らいだひとときの空の旅も、終わりが近づいてきた。副操縦席に座るエレノアが、計器を確認しながら全員に声をかける。
「前方10キロ地点に熱源反応」
彼女の声は、いつもの冷静さを取り戻していた。
「アークヴァルドの部隊が指定したオアシスに間違いありません」
「よし」
俺は操縦桿を握りしめた。
「ここは砂漠連合にも近い。まずは少し離れた所に着陸しよう。エレノア、良い場所はあるか?」
「あそこに岩山があります」
エレノアが指を差す。確かに、大きな岩山が見える。
「近くに着陸して、間に隠すのはどうでしょう?」
「そうしよう」
俺は頷いた。
「全員、着陸態勢に。捕まってろよ、セリナ!」
「うるさい、バカ!」
セリナが叫ぶ。その声は、いつもの強気さを取り戻しつつも、まだ少し震えていた。
「早く着陸しろ!」
そこには、騎士の威厳を思い出す余裕のない、ただの女の子がいた。
(こんなに可愛いところがあるなんて……)
俺は心の中でそう思いながら、操縦に集中する。
ストームウイングは旋回して高度を下げ、そして鳥が着地するかの如く優雅に着陸した。
エンジンの音が静まり、機体が完全に停止する。
俺はハッチを開けた。
瞬間、熱風が機内を満たしていく。砂漠からの照り返しと砂風に、一瞬目を細めた。空気が乾いていて、肌に刺さるような暑さだ。
タラップを降りると、砂漠の砂が足にまとわりついてくる。サラサラとした感触。そして、熱を含んだ砂の温度が、靴越しにも伝わってくる。
「ふう……」
セリナが、タラップを降りた瞬間、膝から崩れ落ちそうになった。
「大丈夫か?」
俺が手を差し伸べると、セリナは顔を真っ赤にしながら、その手を払った。
「大丈夫だ!誰も心配など……」
だが、その足は、まだ少しふらついている。
俺はセリナの身体を支える。セリナは一瞬驚いたようだったが素直に身体をあずける。
「あ、ありがとう、レナード」
セリナが小さな声で感謝を伝えてくる。
周囲を見回す。岩山の影に隠れるように、ストームウイングは完璧に着陸していた。遠くには、砂漠が果てしなく広がっている。
たった二週間程だったのに、随分と長く離れていたような気になり、懐かしさが込み上げてきた。
「帰ってきたぞ!」
俺は、仲間たちを振り返った。
「いよいよ砂漠連合だ!」
セリナ、リシア、エレノア、セレスティア。みんなが、俺を見つめている。俺は、あらためて黒幕と決着をつける覚悟を胸に刻み、砂漠を踏み締めた。
砂が、靴の下で軋む。
遠くで、風が砂を巻き上げている。
この先に、何が待っているのか分からない。だが、俺たちには、守るべきものがある。この世界を、仲間たちを、そして未来を。
「行こう」
俺は、一歩を踏み出した。
仲間たちも、その後に続く。
砂漠の風が、俺たちを迎え入れるように吹き抜けていった。




