ドラゴンの鏡像実験
人間界に戻ると、早速実験に取り掛かる…訳にもいかなかった。さすがに未開の地からこれほどの距離を離れ、ドラゴン園には仲の良いドラゴンもいたのかもしれないし、とにかく不慣れな環境に慣れさせるのが第一優先である。我々だって海外で薬品の治験を受けるのは怖いに決まっているし、そうなるとストレスで正しい結果も得られない可能性だってある。今回の彼らはその比ではない。ドラゴン園にはいつ頃返すかは伝えてあるので確かに時間は有限なのだが、ゆっくり進めようと考えていた。
また、職員に教えてもらった、必要なものも用意した。簡易的な大型ケージの作り方、食事、睡眠場所の用意等。アカウロコヒリュウは身に相当な危険が起こらない限り火を吹かないし、クサガクレチリュウもピカリュウも何かを吐き出したり飛ばしてきたりはしない。なので金属製の頑強な檻や網で充分らしい。食事は虫、草、魚、肉を一通り用意すれば事足りると説明を受けた。最初の内は警戒して与えた食事も摂っていなかったが、少し時間が経ち目を離しているとその間に食べてくれていた。水も檻から大きめのタライを入れて、そこに水を入れる形にした。アカウロコヒリュウとクサガクレチリュウはそこからただ水を飲むだけだったのだが、ピカリュウは時々傷ついた手足を水に浸けたり手を濡らして腹や背中の傷口を流しており、おそらく冷やして痛みを和らげようとしていたのかもしれない。寝床に関しては、アカウロコヒリュウは大量の枯葉を用意するとそこに体を乗せ、クサガクレチリュウは大量の土を盛るとそこに穴を掘った。ピカリュウは、ある時職員の白衣に噛み付いて離さなかったので諦めて渡してしまうと、その上で寝るようになった。
10日ほど経って、すっかり問題なく生活をしてくれるようになったので、いよいよ実験を開始。ついに檻の中に鏡を置いた。
復習なのだが、このルージュテストは三つの段階に分かれると再度説明しておこう。まず鏡を見てもらって、自分の姿を見てもらう。次に寝ている間等の気付かれないタイミングで、鏡でしか確認出来ない位置にマークを付ける。そして再び鏡を見てもらい、その後マークを気にするのかを観察する。こういった流れである。
全ての準備は整った。が、ここでも幾つかの問題が発生した。
まずそれぞれのドラゴンが、鏡を見ないのだ。正確には、見るには見るのだが、実験で求められるように「まじまじと」は見てくれていない。そもそも彼らはナワバリ意識を持つ生物なのだろう、他の個体と深く関わろうとしない。おそらく鏡像を一瞬横目で見るだけでは、別の個体が近くにいる、ぐらいに思ってしまう。
では、どうするか。取り急ぎ幾つかの対策を練った。
一つは、とりあえず鏡を置き続ける事。結論からすると、これは意味がなかった。まじまじと見ない限りは結局状況が何も変化しないのだ。ルージュテストの猿も、最初は別の個体と勘違いしてはいたのだが、鏡像に向かって威嚇は続けていた。これが大きな違いである。威嚇を続ける中で、自らの動きと一致していると気づき、そこからその鏡像が自分であると気づく。なのでそもそも見ないからには話が始まらない。
二つ目の策として、鏡の裏側に食料を置いたのだ。これは最初、鏡の方向を見る頻度が増えていたので上手く行くかと思っただ、おそらく匂いのもとの位置から鏡像内の個体が確保している食料と勘違いしたのであろう、時間が経つとそちらを見なくなってしまった。
なかなか上手くいかなかったのだが、研究チームの一人があるシンプルな解決策を提案した。それは、檻の一辺の面全体を鏡にするという方法だ。そしてこれは、上手くいった。今までは姿見のようなものを置いていたので、正面に来た時にしか映らない。しかしこの方法のように丸ごと鏡にすると、常に個体が映っている。すると嫌でも鏡像が視界に入り続ける。そうなると、「他の個体が自分の周りをずっとウロチョロしている」と思い始める。そして威嚇を開始、継続する。こんな流れである。
ただ、この時の威嚇行為によって鏡を何枚も割られてしまった。アカウロコヒリュウとクサガクレチリュウに使ったものは、何度か置き換えるハメになってしまった。ピカリュウに関しては、やはり体の不調が続いているのか鏡を何度か見たあと体を休めたり、水で傷口を流したりしていた。
威嚇行為が継続した数日後、ついにそれをやらなくなった。鏡像=自分だと気付いたのかもしれない。当初の予定通り、寝ている間に鏡でしか確認出来ない位置、今回は額にマークをつけた。それぞれ目立ちやすいように、アカウロコヒリュウは青、クサガクレチリュウは白、ピカリュウは黒。そして翌日、彼らはどのような行動を起こすのか。果たしてマークを気にするのだろうか。
・・・
翌日、全個体が鏡を何度か見ていたが、マークを気にする素振りを見せなかった。これではルージュテストは失敗である。ただ、見る限り威嚇行為をやめている以上鏡像が自分であると気付いている可能性は非常に高い。ではなぜマークを気にしないのか。私は個人的に、これまでルージュテストが失敗してきた動物の例を見てみた。すると一つの答えがすぐに浮かび上がった。ただ単に、そのマークがその動物にとって『気にする必要がない』と判断したのかもしれないのだ。たとえばライオンが自身の口の横に血がついていて、それをまじまじと気にするのだろうか。ゴリラが自身のおでこに土がついていてじっくりとそれを観察するのだろうか。確かに人間ならばそれを拭い去ろうと考えるだろう。しかし野生動物は人間のような清潔への高い意識を持っている訳ではないので、たとえそのマークに気付いたとしても、色によっては全く意に介さないかもしれないのだ。今回、同じ事が5匹のドラゴンに起きたのかもしれない。
取り急ぎ、寝る度に色を変えて見たのだがどれも反応はなかった。
色が問題なのだろうか。それとも、そもそも鏡像を自分だと思っていないのだろうか。上手く行きかけた研究が、大詰めで止まってしまっている。私は深く眠れておらず、鏡で自身の顔を見ると、目の下にクマが出来ていた。そこで気付いたのだ。「マークを気にしてもらうには、体の異常が発生している」と勘違いさせれば良いのではないだろうか? 結局人間も、シワやシミよりもクマやニキビの方がまだ気になる。確かに目立ち具合が違うという点もあるが、後者の場合体調の変化も考えられるので、より敏感に気付いているのかもしれない。ライオンでも、立髪の一部がごっそり抜けて禿げていたら? ゴリラの顔に、蜂などの虫がとまっていたら? きっと早急に対処しようとするのではないか。
ただ、こうして私が導き出した解決方法は一匹にしか適応できない。ピカリュウである。ピカリュウは、手足の傷、腹や背中の傷を水で流していた。そこで額に他の傷のようなマークを付けてみる。実際には傷つけていないので、痛みによっては確認が出来ず、鏡でしかそれを認知出来ない。その日の夜、ピカリュウの額に傷に似た形と色のマークをつけ、目を覚ますのを待った。翌朝、ピカリュウは鏡を確認する。そして暫くすると、額を水で流したのだ。確かに背中も自分では見えず鏡でしか確認出来ないかもしれないが、おそらく痛みを触覚的に感じ、背中の傷の存在を知っていたのだろう。しかし額のものは痛みはないし、その上鏡でしか確認出来ない。そうなると、額を触ったというこの事実は、ピカリュウが鏡に映ったそれが自身の体であると認識していたという証明になるのである。
一つの成功例しか示せなかったが、これは幻獣目研究における大きな発見である。すぐに論文を取りまとめ、発表の場を構えた。




