19 花が綻ぶその理由【2】
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二分割したうちの後編です。次回で第二部はラストとなります。
「それじゃあ、後はこちらで上手く進めておくから」
「追って連絡を待つように」とレティシアはキースから指示を受ける。
「何かあれば、私か彼女を頼ると良い」
「ありがとうございます」
そして去り際に、二人の連絡先を貰った。
(私も退出した方がいいのよね……?)
学園長へ退出を口にしようとしたその時。
先程マリアンナたちが出ていった扉から、ノックの音と共にひとつの声が落とされた。
「失礼いたします」
凛とした声。
扉が開き学園長室に入ってきたのは、大公国の令嬢ヒルデだった。
優雅に歩く姿。そしてその所作一つ一つが精錬されていて、同性でも見惚れてしまう。
(……?)
そんな彼女と、一瞬だげ視線が合った気がした。
けれどすぐにそれはヒルデの方から外され、彼女は学園長の前へと進み出る。
退出するタイミングを逃してしまったレティシアは、扉と学園長へ対するヒルデの背へ交互に視線を投げた。
「えっと……」
辛うじて出た声の続きを紡ぐ前に、ヒルデがレティシアの方を振り向いて告げる。
「別に、貴女がいらしても構わないわ」
その口調と凛々しい面立ちのせいもあって一瞬睨まれているのでは、と誤解しそうになるものの、ヒルデの菫色の眼差しはどこか優しさを含んでいるような気がした。
「学園長。
先日報告いただきました件ですが、確認したところ〝報告のあった行為を行っていた〞と本人たちから供述が取れました」
しかし、学園長の方へ向き直ってから告げられるヒルデの言葉は、業務連絡のような淡々とした報告だった。
「そのため、彼女たちには交換留学における資格が不十分と判断しましたので、私の権限において本学期をもって公国への退去処分を命じました。現在は各々部屋にて待機させております。
今後に関する方針は後日、本国の者が参りますので、到着次第お話しさせていただきたく思います」
「……ふむ。ならば致し方あるまい」
学園長は長い髭をさわりながら溜め息を溢し、椅子に腰を掛けた。
「それでは、失礼いたします」
終始口調から情が漏れることはなく、ヒルデは学園長へ一礼し部屋を去っていく。
「ああ。君ももう戻ってくれて構わないよ」
学園長にそう言われ、レティシアも部屋を後にする。
「は、はい。失礼いたします」
学園長室から高等部の宿舎へと戻る最中の廊下で、ヒルデのがこちらを向いて立っていた。
彼女の長い黒髪が、初夏の風に揺られて優しく揺らいでいる。
「貴女が、レティシア=サルテジットね?」
あろうことか、彼女の口から紡がれたのはレティシアの名前だった。
「は、はい。公女様」
彼女がこの学園へと留学してから数ヵ月が経っていたものの、会話したことはほとんどない。
そんな公女様がなぜ、自分の名を確認するためだけに待っていたのか。
レティシアがそう不思議に思っていると、公女ヒルデは静かに微笑みながら口を開いた。
「〝ヒルデ〞で構いません。貴女は公国の者ではないのですから」
その口調は、先程学園長へと話していたような淡々としたものではなく、表情も和らいでいる。
「――もう、安心して。ハンナたちは公国へ返します」
「えっ!?」
突然のことに話がついていけなかったレティシアだったが、続くヒルデの言葉でその内容を理解した。
「先程学園長へお話しした通り、彼女たちは本国に帰国させます。だから、もうあなたについて謂われない噂や中傷する者はいないでしょう」
「どうしてそれを……」
留学中の身とは言え、わざわざ一国の公女であるヒルデに自身の取り巻きであった少女たちの行動を密告した者がいるというのか。
そんな恐れ多いことを、一体誰が……?
驚くレティシアを尻目に、ヒルデは靡く髪を耳にかけながら言葉を続ける。
「〝郷に入れば郷に従え〞……異国の言葉になりますが、この国で箝口令がしかれたのであれば、私たちもそれを遵守する義務があります。
彼女たちはそれを守れなかった、ただそれだけのことです」
「ヒルデ様、ありがとうございます」
お礼以外の言葉が思い付かなかった。
しかし、視界が徐々に潤んでいくレティシアに対して、ヒルデは首を横に振う。
「貴女、感謝する相手が違っていてよ?」
「え?」
首を傾げるレティシアの耳に次に聞こえたのは、思いもしない相手の名前だった。
「お礼ならば私ではなく、ジュード殿下へ仰ってください」
「……ジュード殿下に?」
「表向きには〝匿名〞ということになっていますが、私に彼女たちの行為を教えてくださったのは、他ならぬあの方ですわ」
「口止めされていたのに、言ってしまったわ」と微笑むヒルデに、戸惑うレティシア。
(どうして、殿下がそんなことを?)
いくら考えても検討がつかない。
そんなレティシアへ、ヒルデが思い出したように告げた。
「そう言えば、学園長室へお邪魔する前に貴女を探して温室まで行ったのですけれど、そこにジュード殿下もいらっしゃいましたわね」
「……ヒルデ様、ありがとうございます」
レティシアは彼女へともう一度礼を述べ、一礼する。
その脇を通って先を急ぐレティシアの背中に「だから、感謝を言う相手が違いますわ」と小さく呟かれた気がした。
それでも、そう言わずにはいられなかったのだ。
レティシアは温室までの最短の道のりを頭の中に描きつつ、走った。
廊下を走るなんて、普段では絶対にしない。
けれど今はどうしてもそうしたかった。
今日は予期せぬ良いことばかりが次々に起こっていた。
だからと言って、いつまでも良いことばかりが起こるとは限らない。
急がなければ、ジュードはもう他のところへ移動しているかもしれないのだ。
その予感は当たっていた。
昼の鐘が鳴る最中に辿り着いた温室には誰の影もなく、周囲にも気配は感じられない。
(なら……っ)
考えられるのは、高等部の校舎か食堂、宿舎のどれか。
今はちょうど正午にあたるから、食堂へと向かうことにする。
そして。
温室から校舎へと移動し、食堂へと向かう廊下の途中。
レティシアは、ついに探していた人物の後ろ姿を見つけた。
短く整えられた金色の髪。
「待ってください、ジュード殿下っ!」
息が上がっていたために、声が上ずってしまう。
けれど、先を歩く足が止まり、ジュードが振り向いた。
「……どうか、したのかな?」
「私、お礼を、言いたくて……」
まだ少し弾む胸を抑えがなら、レティシアは口を開く。
「ああ……〈雄将祭〉でのことなら、僕は何も――」
本当ならそれについても感謝すべきなのだけれど。
レティシアは今は違うと首を振って口を開いた。
「ヒルデ様にお伝えしていただいた件です」
その時。
一瞬だけジュードの目が見開かれた。
そしてすべてを悟ったのか、彼は「はあ」と溜め息をひとつ吐いて苦笑をこぼす。
「お礼を言われるようなことは何もしていません。第一僕だけでは、彼女たちを止めることは出来なかった」
「そんなことありません。殿下は何度も私を庇って――助けてくださいました」
今回のことだけではない。
食堂でヒルデの取り巻きだったハンナたちに囲まれていた時も。
男女合同で行われた体育の授業の時も。
そして、この前の〈雄将祭〉の時も。
レティシアは何度もジュードに助けられていたのだ。
「ジュード殿下やヴェロニカさんがいてくれたから、私は逃げないと決めることが出来たんです。
――だから、ありがとうございました!」
レティシアはずっと言いたかったことを、言いたかった一人に伝えることができた。
ジュードの口許が緩み、表情も微笑みに変わる。
「……そう、か。なら良かった」




