17 宴のあとに
あけましておめでとうございます。
本年もご覧いただきありがとうございます。
〈雄将祭〉も残すところあと僅か。
学園の中心部に位置するオペラホールの舞台の上では、高等部の演劇部による『回帰王の復活』の演目が上演されていた。
私とオリバーはユーフェミア殿下の計らいもあって、個室のバルコニー席でそれを鑑賞している。
(あっ、ヒルデ様だわ!)
物語の中盤。
主人公のフィギュスタリス扮する黒衣の騎士が、かつて遣えていた自国の王を救出すべく、囚われているという敵城へ単身乗り込む場面。
そこで舞台の裾から、衣裳を纏ったヒルデ様が現れた。
ヒルデ様が演じているのは、主人公に想いを寄せる敵国の姫シュテファーニエ。
以前ユーフェミア殿下が仰っていた通り、この舞台のシナリオにはラブロマンスの要素が取り入れられていた。
劇中に登場するこの〝シュテファーニエ〞という姫は殿下オリジナルの人物で、主人公に想いを寄せる敵国の姫という立場だった。
大本の原本の展開はそのままに、この姫とフィギュスタリスの出会いや反目し合う立場への葛藤を上手く盛り込んだ設定となっていた。
(なるほど……殿下はあの場面をこうアレンジしたのね)
シュテファーニエの手引きによって、密かに城内へ侵入したフィギュスタリスが彼女と何度目かの邂逅を果たす。
しかし二人は互いに密かな想いを寄せつつも、彼は忠誠を誓ったかつての王の許へ、そして彼女は自分を呼ぶ父王の許へと向かっていった。
今後を予測させるような展開に胸が踊る。
そして舞台もいよいよ最高潮の場面となった。
簡単には結ばれないという現実を突きつけられた二人が、共に同じ道をいくか別離かの選択を迫られる。
そこで告げられた、主人公の台詞。
『貴女は私にとって光でもあり闇でもあるのです。貴女がいるからこそ、この世界は光に包まれ、闇に呑まれてしまう。
ですからどうか、変わらず私の世界にその恩恵をお与えください』
そう。これは原作にもあった台詞。
その、はずなのに。
「……」
思い出されるのはあの日の舞踏会だった。
まるで、あの時と同じものを見ているようで――
『姫よ。私は貴女を愛しています』
そしてフィギュスタリスが姫の手を取ってそっと口付ける。
「……!?」
まさか。
――『〝ヴェロニカ。私は貴女を、愛しています〞』
あの時とまったく同じ状況に、私の頭の中は真っ白になった。
一瞬にして顔が熱くなるのがわかる。
オペラホールが暗くてよかった。
今は絶対に顔が赤くなっているはずだもの。
火照る頬に手を当て、私は左隣にいるオリバーに恐る恐る視線を向けた。
(これは私の勘違いではない、わよね……?)
すると不意に、それまで舞台を観ていたはずの彼の視線が動き、目が合ってしまう。
「……ねえ、あの台詞、って……」
私は言葉を選びながら、必死に顔の熱がオリバーに悟られないよう振る舞った。
「……ユーフェミア殿下だろうな」
演目のパンフレットを見たオリバーが、苦笑にも似た溜め息を漏らした。
そう言えば確かに、この演劇の脚本を書いたのは殿下だ。
「殿下なら、あの時あの場にいても不思議じゃないだろう」
さもありあんとばかりな言葉を口にする彼の表情は何一つ変わってなどいなかった。
(もしかして、気にしているのは私だけなの……!?)
もはや、劇の展開はどうやっても頭に入りそうになかった。
むしろ舞台を視界に入れているはずのに、役者の台詞も舞台の音もなにも届いてこない。
ただ、あの時のこととが思い出されて、再び加速する心音を、隣にいるオリバーに聞かれないよう必死だった。
その時。
左手に彼の手が触れる。
優しく触れてくるその手が一瞬熱いと感じたけれど、それが私のものか彼のものなのか結局最後までわからなかった。
◆
「あらあら~」
ユーフェミア=アイリス・クウェリアはバルコニー席の手摺に寄りかかり、オペラグラスを覗き込みながらその口許に微笑みを浮かべていた。
しかしそのオペラグラスの視線の先は、自身が脚本を手掛けた舞台ではなく、向かいの壁のバルコニー席へと向けられている。
「だから言ったじゃありませんか。
あなたが心配しているよりも、あのお二人、なかなかどうして良い感じの仲ですわよ?
まあ、あんな台詞を大勢の前で堂々と言えるくらいですもの。軽い風程度ではお二人の熱々な炎は消せませんわよね」
そこに映っているのは、バルコニー席で仲睦まじく手を繋いでいる友人夫婦。
バルコニー席はこちらの方が少しあちらよりも高くなっているため、向こうからはこちらのことはほぼ見えていないはずだ。
「……でも確かに、もし自分があの二人の仲を悪くさせた原因だったら、ばつが悪すぎですものね」
ユーフェミアは振り向いて、そう気にしていた本人へと言ってみる。
まあ、あの二人に限って、万が一にもそんなことになるとは思えないのだけれど。
それでもここ一年、手紙ひとつろくに寄越さなかった知己をからかわずにはいられなかった。
今日だって、来るか来ないかギリギリまでわからなかったのだ。これくらいの嫌みを言っても構うまい。
「ね、レオ先輩?」
「……ユーフェミア、うるさい」
ユーフェミアにとって演劇部の先輩でもあるレナードは、椅子の肘掛けに頬杖をつきながら、拗ねた子供のようにそっぽを向いていた。
「ふふ、先輩は昔から素直じゃないです。周りに対しても、自分に対しても」
「大体、お前が二人のことを『仲が悪い』って書いたのが原因なんだからな」
舞台が上演中のためそこまで声は大きくないものの、レナードが顔だけこちらに向けて口を尖らせる。
「あら、先輩? 責任転嫁はよろしくありませんわ。
わたくしはただ『思っていたよりも仲がよろしくないのかも?』と手紙に認めただけですもの」
「……」
一番初めにヴェロニカと出会った時、元気が無さそうな彼女を見てそう感じたのは確かだった。
その後日、あの舞踏会でそれが杞憂であったと知ることになるのだけれど。
舞踏会が始まる前にレナードへと手紙を書いて出してしまったものだから、若干印象のズレがあったのは否めなかった。
「それで。今回は兄夫婦に会うためだけに帰国されたんですか?」
レナードからユーフェミアに宛てられた手紙には、帰国する旨の他には特段何も書かれていなかった。
「なんだよ。それだけじゃ不満か?」
「いいえ」
ユーフェミアは溜め息を堪えつつ、首を横に振る。
幼馴染みとは言え、彼が外交官となって共和国へと経ってからは今日が久しぶりの再会だった。
それなのに、会って早々柄にもなく〝兄夫婦の関係が本当に良好か知りたい〞なんて相談事をしてくるものだから、この個室席を用意したのだけれど。
「ただ、せっかく共和国の土産話のひとつやふたつ聞けると思いましたのに、と」
「いくらお前相手でも、仕事内容をペラペラと喋るわけがないだろう?」
「まあ。何も外交官のことまでお聞きするつもりはありませんわ」
「……どうだかな」
口は相変わらず悪いものの、以前のレナードとは少し違った、否、変わったところがあることにユーフェミアは内心嬉しく感じていた。
以前の彼はは何にしても兄の存在を避けるように行動していたのに。
それが今では彼らを気遣うようなことを言ってくるようになるなんて。
(これは、やっぱりあの人のおかげなのかしら?)
ユーフェミアは心当たりのある人物を思い浮かべ、その口許を緩めた。
彼女には不思議と人を惹き付ける魅力のようなものと、その人自身を変えてしまう何かがあるような気がするのだ。
だからこそ、もしこの先困難なことがあの二人に起こったとしても、きっと最後には自分たちの力に変えて乗り越えてしまえる。
そんな風にさえ思ってしまうのだ。
(まあ、現実なんて舞台の脚本のように紆余曲折あるわけではないのだけれど、ね?)
ユーフェミアは微笑んで自らが手掛けた舞台の終盤に目を向けた。




