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終章「アリスの宮殿」

「これから、どうしようかな」


 エントランスホールの扉を押し開き、階段を下り、石畳を歩いて、金属の門が近付いてくる。私は誰にともなく、呟いた。


 クァーラトはなにも答えてくれない。もしかしたら、とっくにどこかのネットへ遊びに行っているのかもしれなかった。私はもう一度、『宮殿(パレス)』の方を振り返った。ガラスのように透き通り、氷のように冷徹に、そして飴のようにてらてらと、やわらかくそこに佇む大理石で囲まれた城。アリスを封じ込め、クァーラトを封印し、ソニアが迷い込んだ場所。


 現在時刻を確認。これから二十三時間三十六分後、『宮殿(パレス)』は物理的に焼失する。アリスの義体に、命令(コマンド)を残してきた。指定した時刻に内部の空気供給管にガスを充満させ、電気回路をショートさせた火花によって発火させる。スプリンクラーや消火装置、防犯セキュリティは破壊済み――


 私の電脳には、『宮殿(パレス)』内部のデータと、保存されていた資料がすべて入っている。


「クァーラト。戻っておいで」


 彼は私に、何も言わなかった。やはり彼は勝手に私の制御下を離れ、赤道直上の静止衛星のネットに侵入していたようだ。面白い情報がたくさんあると言いながら、また彼は笑いながら、どこかへ飛び去って行った。


 空を見上げる。雲は白く、吹き抜けていく風は暖かい――ただ感じるままに世界を知覚することができた。そこには、余計な誤読(ノイズ)妨害(エラー)は存在しない。ただ、そこにあるだけの世界――

 でも、この風は少しだけ、赤みがかって見えた。


「なんでだろう……?」


「それは、あなたが肉体を喪失したからよ、ソニア」


 振り返った。そこには、アリスの形をした何かが、うすらぼんやりと佇んでいた。


「私は、ソニアじゃない――アリス」


「意地を張らなくてもいい。あなたはソニアで、私はアリス。既にお互いの電脳体は融合し、ひとつの義体に同居している。記憶も混じり合って、ネットが接続を始めている。けれど、その一点だけは変わらない――あなたはソニア。そして、私はあなた。けれど、私はソニアじゃない」


「草の匂いがする――」


「ね。懐かしい感触。私が覚醒したときには、既に失われていたモノ」


 そうだ。

 私にはもう、血の通った肉体が無い。この義体は、私が物理現実で活動するための方舟にすぎないのだ。アリスはくすっと微笑んだ。


「ありがとう。私を、解放してくれて」


「解放?」


「もう疲れたの。作り物の身体でも、肉体でも関係ない――女であることに、疲れた。ありもしない苦しみと、訪れない痛み――それでも心のどこかで空虚を抱えていた。自分の身体が作り物だということに、だから男に抱かれていたの。そうすることで、自分が人間であるような気がしていたから。でも、そんなことはなかった。どんどん実感が薄くなっていくばかりで――」


「もう、いいのよ。アリス」


「なにもなかった。それが一番つらかった。なにもないことをつらいと感じることも、私には忘れられていた。だから、こうしてソニアに寄り添うことができるいまは、それだけで充足を感じるの。あなたとぴったり重なり合って、同一のネットを持つことが」


「……、でも、この義体(わたし)はアリス・アドミラル。それは変わらないことよ。ソニア・シャオリンという人間は、最初からこの世に存在しなかったのだから」


「うん……」


「だから、あなたが私をソニアと呼ぶときは――その時はまた、ソニア・シャオリンになってあげる。今は、アリスとして生きていくの。ようやく、あるべき存在として確立できたのだから」


 遠くで、鳥の鳴く声が聞こえる。

 もうアリスの姿は消えていた。


 私は黒い門を押し開けて、元々歩いてきたような、歩いたことのあるような道を歩き始めた。これからどうしようか、まずどこへ行こうか――


 アリス(ソニア)は私の中からぽっかりと穴を空けて消えた。右手にかすかに残った熱と感触だけが、記録(ログ)に残らない、魂の記憶として残っていた。


「私はアリス」


 そして、あなたがソニア。

 二度と忘れない。

完結です。

短期集中連載のつもりが、かなり長期になってしまいました。短編として書き始めたはずなのに、気付けばなんと8万文字を越えて……

お付き合いいただきまして、本当にありがとうございます。


いろいろ謎を残して終わりましたが、どこかで、この伏線を回収する作品も作りたいなあ、とぼんやり。

〈暗号屋ソニア〉シリーズ、とか言って。

というわけで、また機会があればお会い出来ればと思います。その際はぜひ、ご一読ください。


この作品を読んだ人に、少しでも心地よい感覚がありますように……

王生らてぃ

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