第30話 帰路
竜が去ってから、七日が過ぎた。
王都は、まるで何事もなかったかのように、いつもの賑わいを取り戻していた。崩れた大聖堂のバルコニーには足場が組まれ、職人たちが朝から槌を振るっている。広場では、竜を追い払った「風の双星」の話が、もう吟遊詩人の歌になっていた。
「風の魔女と黒髪の剣士、嵐を呼んで竜を討つ、だとよ」
宿の食堂で、アルドが吊った腕を揺らしながら笑った。
「討ってないのにな。それに、俺たちのことが一言も出てこない。いち、にの、さんの合わせ技も、喉元を見抜いた俺の目も」
「お兄ちゃん、歌にしてほしいの?」
「当たり前だ。伝説のパーティー、白銀の翼のリーダーだぞ」
「伝説になるには、まず、その腕を治せ」
クロエが、アルドの皿から肉を一切れ奪いながら言った。
この七日の間に、いろいろなことが片付いた。
宰相府からの要請書は、ギルド本部長の引き出しの中から、そのまま暖炉に放り込まれた。白銀の翼のC級は、正式に認められた。それどころか、ドルガン本部長は、竜退治の功で、すぐにでもB級の昇格試験を受けさせると言い出した。アルドは喜んだが、ギルド長が「早すぎる」と一蹴した。
陛下からは、山のような褒美が届いた。アルドは金貨の袋を前にして、しばらく口がきけなかった。
ヴァルロアさんの名誉を回復する書状も、陛下の封蝋を押されて、僕の手元に届いた。レオンさんに渡す日が、待ち遠しかった。
そして、昨日の夕方、宰相の屋敷から、一通の手紙が届いた。
中には、北の領地の地図が一枚。山あいの修道院の場所に、小さく印がつけてあった。添えられていたのは、短い一行だけだった。
『娘に、すまなかったと』
差出人の名は、なかった。
旅立ちの朝、城の西の小門の前で、王女が待っていた。
フードを目深にかぶった、初めて街で会った時と同じ格好だった。その後ろに、困り顔の衛兵が二人立っていた。
「お見送りに来ました。今日は、ちゃんと父上の許しをもらっています」
王女は、胸を張った。それから、僕の前に、小さな包みを差し出した。
開けると、中には、細い銀の短剣が入っていた。柄には、王家の紋章が刻まれていた。
「王家の者が、信を置く者に与える短剣です。これを見せれば、国中どこの関所も、どこの領主の館も、通してもらえます」
王女は、少しだけ声を落とした。
「北の修道院も。宰相家の領地は、宰相がいなくなっても、家の者たちがまだ固く守っていますから」
「シア……ありがとう」
「お礼は要りません」
王女は、にっこりと笑った。
「次に会う時は、私から会いに行きますから。覚悟しておいてくださいね」
その言葉が、どういう意味なのか、僕にはよく分からなかった。けれど、隣で聞いていたアルマは、分かったようだった。
「アルスに会いに来るなら、私にも挨拶してよね」
「ええ、もちろん。アルマさんには、まだ、小川を跳んだ話の続きを聞いていませんもの」
「……教えてあげない」
「では、アルスに聞きます」
「アルス!」
アルマに睨まれて、僕は何も言えなかった。王女は、楽しそうに笑っていた。アルマも、つられて、少しだけ笑った。
二人は、どちらからともなく、手を握り合った。
「元気でね、シア」
「アルマさんも」
ギルド長は、見送りに来なかった。
朝、宿を出る時に部屋を覗くと、ギルド長はもういなかった。寝台の上に、走り書きの紙が一枚、置いてあった。
『片付けることがある。先に行け』
「先に行けって……ギルド長、一緒に来るんじゃなかったのか」
僕が呟くと、アルドが紙を覗き込んで、肩をすくめた。
「本部長に、退任届を突き返されたままだからな。後任が見つかるまで、ボーンのギルド長のままだ。まあ、ボーンに帰れば、また会えるさ」
そう言いながら、アルドも少し寂しそうだった。
王都の北門を抜けて、僕らは乗合馬車に乗った。行き先は、ハルンの街。そこから先は、自分たちの足で行く。
これからの道のりは、アルドがリーダーとして決めた。
「まず、ハルンだ。レオンに陛下の書状を届ける。それから、俺たちの村に寄って、村長のところの毛布を見せてもらう。それから、北の修道院だ。アルスの、母さんに会いに行く」
アルドは、指を折りながら言った。
「その先は、その時に考える。竜の巣に話を聞きに行くのもいいし、B級の試験を受けるのもいい。白銀の翼は、自由な冒険者だからな」
自由な冒険者。父さんの、口癖だった言葉だ。
馬車が、がたごとと揺れた。僕は、腰の剣の柄に手を置いた。剣は、静かに温かかった。
ふと思い立って、僕は呟いた。
「ステータス」
NAME : アルス
AGE : 15
JOB : 魔法剣士(白銀の翼・C級)
LV : 13
HP : 180/180
MP : 210/210
【能力値】
STR(筋力): 41
VIT(耐久): 37
DEX(器用): 40
AGI(敏捷): 45
INT(知力): 48
LUK(幸運): 44
魔法:
風魔法
ウインド(ボール、ランス、カッター、ウエーブ、ムーブ、テンペスト)
「あっ」
思わず、声が出た。
「どうした、アルス」
アルドが覗き込んできた。見えないと分かっているのに。
「JOBが、変わってる。剣士じゃなくなってる」
「何になった」
「……魔法剣士」
アルドは、一瞬きょとんとした。それから、満面の笑みを浮かべて、無事な方の手で僕の背中をばんばんと叩いた。
「ほら見ろ! 俺が言った通りだ! 俺が与えた称号だぞ、アルス! 伝説のパーティー、白銀の翼のリーダー様がな!」
「アルド、酔っぱらいの戯言だったって、クロエが」
「うるさい、結果がすべてだ」
クロエが、呆れたように笑った。
「まったく、とんでもない奴が仲間になったもんだ、だったか?」
「それは、俺の台詞だ」
アルドが言うと、アルマがくすくす笑った。その髪で、赤い石の髪飾りが揺れていた。
馬車が、街道の最初の丘にさしかかった時だった。
後ろの方から、何か叫ぶ声が聞こえてきた。
「……待て! その馬車、待てと言っている!」
振り返ると、街道の土埃の中を、誰かが走ってくるのが見えた。いや、走っているのではなかった。地面から少しだけ浮いて、風に乗って、ものすごい速さで滑ってくる。
背中に、自分の体よりも大きな荷物を背負っていた。
「ギルド長!?」
馬車の御者が慌てて手綱を引いた。馬車が止まると、ギルド長は風を解いて、地面に降り立った。息を切らしていた。長い髪は風でぼさぼさになり、外套は土埃で真っ白だった。
「……間に、合った」
ギルド長は、荷物を馬車の荷台に放り込み、自分もよじ登ってきた。そして、僕らの真ん中に、どかりと腰を下ろした。
「辞めてきた!」
ギルド長は、高らかに言った。
「後任は、トーリに押し付けた!」
一瞬、馬車の中が静まり返った。
「トーリさんに!?」
僕とアルドの声が揃った。
「ああ。今朝、晴天の導きの宿に乗り込んで、寝ぼけているトーリの首根っこを掴んで、ギルド本部まで引きずっていった。本部長の前で、こいつがボーンの新しいギルド長だと言ったら、本部長は大喜びで判を押した。トーリは泣いていたが、まあ、あいつなら何とかなる」
「何とかなるって、トーリさん、婚礼の警備の依頼を」
「それも終わった。あいつはもう、ボーンのギルド長だ。私よりよほど真面目に茶を飲むだろう」
ギルド長は、悪びれもせずに言った。アルドが頭を抱えた。
「婆さん……宿代は、どうするんだよ」
「リーダー殿の稼ぎに期待している」
「やっぱりか!」
クロエが、腹を抱えて笑い出した。アルマも、口元を押さえて肩を震わせていた。
ギルド長は、ふん、と鼻を鳴らすと、荷物の中から、見覚えのある布包みを取り出した。中から出てきたのは、ボーンのギルド長室で、いつも使っていた茶器だった。
「これだけは、置いてこられなかった」
そう言って、ギルド長は、馬車の揺れの中で器用に茶を淹れ始めた。
御者が、呆れたように首を振って、手綱を振った。馬車が、再び動き出した。
日が傾き始めた頃、馬車の中は、静かになっていた。
アルドは腕を吊ったまま、口を開けて眠っていた。その肩に、クロエが頭をもたせかけて、うとうとしていた。クロエの手が、腰の小袋を握っていた。あの、すり切れた誓約書が入っている小袋だ。
眠っているはずのアルドが、目を閉じたまま、ぼそりと呟いた。
「……クロエ。その紙、まだ持ってるのか」
クロエの肩が、びくりと動いた。
「……期限は、書いてないからな」
「そうか」
アルドは、しばらく黙っていた。それから、目を閉じたまま、言った。
「そのうち、書き直してやる。ちゃんと、大人の字でな」
クロエは、何も答えなかった。ただ、アルドの肩に頭を押し付けたまま、動かなくなった。夕陽のせいか、その頬が、赤く見えた。
僕は、見なかったことにした。
膝の上で、宰相から託された木箱を開けた。
三角形の、白い布の切れ端。銀の百合の刺繍。そして、細い絹紐で結ばれた、一房の黒い髪。
父さんの髪。
母さんが、肌身離さず持っていたもの。
「アルス」
隣に座ったアルマが、僕の手元を覗き込んだ。
「会えるといいね、お母さんに」
「うん」
「きっと、すごく優しい人だよ。アルスのお母さんだもん」
アルマは、僕の肩に、こつんと頭を乗せた。
「私も、一緒に行くからね。どこまでも」
向かいの席で、ギルド長が茶を啜りながら、窓の外を眺めていた。北の空を。
「北の修道院までは、遠いぞ」
ギルド長は、窓の外を見たまま言った。
「山を三つ越える。冬が来る前に着きたければ、のんびりしている暇はない。明日から、また稽古だ。テンペストを、一人で撃てるようになってもらう」
「一人で、ですか」
「当たり前だ。いつまでも、私の風に乗っていられると思うな」
ギルド長は、そう言ってから、少しだけ口元を緩めた。
「……まあ、しばらくは、乗せてやってもいいが」
馬車は、夕陽の中を、北へ向かって走っていった。
僕は、木箱の蓋をそっと閉じ、胸に抱いた。
僕の名前は、アルス。
古い言葉で、夜明けという意味だそうだ。
母さんが付けてくれて、父さんが守ってくれた名前だ。
剣を握れば、風が応えてくれる。隣には、泣き虫の僕の手を引いてくれる仲間がいる。
僕は、魔法剣士だ。
まだ見ぬ母さんに、早く、そう伝えたかった。
第二章 完




