第1話 違和感
ゴブリンを斬った瞬間、世界が揺れた。
「……なんだ?」
視界がぶれている。どう説明すればいいのか、言葉にし辛い違和感だった。白銀の翼——僕が剣士を務める冒険者パーティーは、まだ戦闘の只中にある。それなのに、この違和感のせいで動作が少しずつ遅れていく。
僕の異変に気づいたか、リーダーのアルドから指示があった。
「アルス、何をしている。対応が遅れているぞ。アルマが危険になっているじゃないか、どうしたんだ、右のゴブリンが出てきている、早く対応しろ」
群れの中から、魔法使いであるアルマを狙うようにゴブリンが何匹か出て来ていた。
「分かっている。何か、おかしいんだ。ちょっと待ってくれ」
目の前で、ゴブリンの輪郭が崩れ始めた。それでも、アルマの前に出て、ゴブリンに対して剣を構えた。
見えない。
勘だけを頼りに剣を振る。
刃は一匹の肩を裂いたが、致命傷にはならない。
ゴブリンが牙を剥いた。
次の瞬間、横からどんという衝撃を受け、僕は地面に転がった。倒れたまま視線を向けると、歪んだ空間に人影が見えた。僕が立っていた場所にアルドがいるらしく、ゴブリンを斬り裂く姿があった。僕が顔にゴブリンの血しぶきを何度か浴びているうちに戦闘は終わった。
「アルス、しっかりしろ。どうしたんだ、今日は。怯む敵でもないぞ。何回も戦った相手じゃないか」
アルドが地面に転がっている僕に声をかけてきた。僕は答えた。
「急に目がおかしくなった。今もおかしいが、皆がぼやけて見える。良く見えないんだ」
アルドが僕に近づいて来て、しゃがみ込み、僕を見つめて言った。
「おい、アルス、アルドだ。見えるか?」
「ぼんやりとしか見えない」
「立てるか?」
「立てるとは思うが、歩けそうにない」
僕がそう言うと、アルドは仲間を呼んだ。
「そうか、重症だなぁ。クロエ、アルマ、来てくれ。アルスが変だ。何か、魔物に悪い薬でも撒かれたのかもしれない。目が見えないようだ」
「何があったの?」
「どうした?」
魔法使いのアルマと狩人のクロエがやって来た。
「アルス、俺の肩につかまれ。立てるか?おい、クロエ、アルスの反対側を支えてくれ。アルマはアルスのリュックを持て」
クロエが僕の体の片側を支えて立たせ、重たい僕のリュックをアルマが担ぐと、僕を引きずるように白銀の翼の冒険者パーティーは冒険者ギルドのあるボーンの街までゆっくりと歩き出した。
不思議なことに、目が利かない代わりに匂いだけは妙にはっきり感じ、隣で支えるクロエの、若い女性らしい甘い汗の香りまで分かった。
良い匂いだなんて、場違いな事を考えていた。
白銀の翼の冒険者パーティーは、同じ村出身の仲間で組んだパーティーだ。リーダーのアルドが17歳、狩人のクロエが16歳、僕とアルマが15歳で、アルマはアルドの妹だ。
冒険者は上位クラスのSからA、B、C、D、見習い級となっており、白銀の翼は先日、見習いからD級に昇格し、D級の依頼であるゴブリン退治を連日行っていたのだ。順調だった依頼の対応も、本日、僕の体調不良で危うくなりそうだったのをアルドの頑張りでなんとかこなせたのだ。感謝しかなかった。
僕らは常宿となった食事付きの簡易宿泊所で四人暮らしをしていた。
僕は、いつもクロエとアルマが使っているベッドに寝かされた。
アルマが言った。
「アルス、大丈夫?」
「うん、少し、休めば何とかなると思う」
僕は気休めを言った。
「そう、ご飯は食べられそう?」
心配そうなアルマの言葉に、クロエが容赦しなかった。
「アルマ、そんな優しくすると、アルスがつけあがる。アルスは厳しくしないと、いつも泣いて、お前を頼ってしまうぞ。気を付けろ」
「クロエは何て事を言うの。アルスは泣き虫なんかじゃない。小さい頃から、お父さんもお母さんもいないから、寂しがり屋なの」
「また、そんなに甘やかす。だから、アルスはまだ泣き虫なんだ」
「泣き虫じゃない」
アルマが言うと、クロエは笑った。
「アルマ、お前がいくらアルスが好きでも、アルスはお前を捨てて、別の所へ行ってしまうかもしれないぞ」
「アルスはそんなことはしない」
アルマは僕の寝ているベッドに座り、僕の頭を撫で始めた。その心地よさに僕は眠りに誘われた。そして、アルマは僕に子守歌のように何度も同じ言葉を語りかけた。
「アルスは私の傍から離れないよね」
僕が目覚めると部屋には誰も居なかった。開け放たれた窓の外は暗く、完全に夜になっていたようだ。霞んで見えていた視界ははっきりしているように見えるが、暗さのためか定かではない。
僕は起き上がり、温もりが残るベッドから降りると大きく背伸びをした。部屋の扉の隙間から漏れる光が見える。近づき、扉を開けると、うす暗い廊下の蝋燭の光が目に飛び込んできた。
見える。だが安心したのも束の間だった。一歩踏み出した瞬間、身体が思った以上に前へ出る。
「……なんだ、これ」
階下の食堂へ向かおうと階段に足をかけたが、例の違和感のせいで手すりにしがみつくようにして一段ずつ進んだ。
灯りの広がる食堂が見えてきた頃には、視界の違和感はすっかり消えていた。完全に降りきり、食堂を見回すと、その一角にアルドたちがいた。
目敏いアルマが僕に気づき、声をかけてきた。
「アルス、こっち、こっち」
僕が真っ直ぐそのテーブルに近づき、何もなかったかのように椅子に座ると、アルドが話し出した。
「アルス、加減は良いのか?」
「うん、問題ない。目も見えるようになっている。でも……」
と、僕が言い淀むと、アルドが言葉をつないだ。
「でも、何だ?」
「まだ、体の感覚がおかしいんだ。体が思うより速く動くような気がする」
「ふーん、そんなもんか、治っているようだが、一応、俺は物知りの婆さんを知っている。明日でも聞いてみよう。でも、期待するな、気休めだ。気休め。それより、腹が減っただろう。いつもので良いか?」
アルドは僕の答えなど気にせず、いつも食べているオーク肉の定食を頼んだ。待たされることなく、食事が提供されたが、上手くフォークで口に運べなかった。口を開くタイミングと口までもってくる動作が合わず、肉は口元をかすめ、肉汁だけが頬を伝った。それを見ていたクロエは言った。
「おい、アルス、いつから赤ちゃんになったのだ」
アルマの反応は違った。
「アルス、食べさせてあげるよ」
アルマは肉を小さく切り分け、一切れずつ僕の口へ運んだ。
次はパン。
最後は温かなスープ。
僕は言われるまま口を開けるしかなかった。
アルドはそのアルマの態度を微笑ましく見ていた。
「アルマはいい奥さんになるな。それに比べてこっちはどうだ?」
その顔をクロエに向けた。
「ふん、誰からも好きになってもらわなくても良いぞ。私は自由だ」
クロエはワインをあおった。クロエの口からワインがこぼれた。
「アルマ、クロエの面倒も見てやれ、ワインをこぼしているぞ」
その声にクロエがアルドに食ってかかった。
「妹がアルスに盗られそうだからって、私に注意を向けさせなくてもいいんだよ」
「クロエ、可愛げがないな。嫁の貰い手がいなくなるぞ」
「その時はそれでもいいんだよ。私には、私のお願いを断れないこの男がいるんだよ。ねー、アルス」
クロエが酔っているのか、ふざけて、僕に抱き着き、胸をくっつけてきた。それを見ていたアルマが頬を膨らませた。
「クロエ、ダメだよ。アルスはまだ病人。優しくしてあげなきゃ」
「だから、こうやって優しくしているんじゃないか?」
そういって、クロエは自分の頬を僕の頬に擦り付けてきた。
「アルスの頬はすべすべで柔らかいね」
クロエがそう言うと、それを見ていたアルマが泣き出した。みかねてアルドが助け舟を出した。
「アルマ、泣いていたら、酔っ払いのクロエに盗られるぞ。早く、盗られないようにアルスにしがみつけば良いじゃないか?」
アルマは泣き顔で僕を見て言った。
「アルス良いの?」
僕が頷くと、アルマは笑顔になって僕に抱き着いてきた。それを見ていたアルドは一気にグラスのワインを飲み干した。




