第28話 勉強と再会とケーキの約束
かと言ってすぐに、やった〜!夏休みだ〜!とはならないところが、学生の辛いところである。
端的に言うと、期末テストだ。
私は勉強道具を抱え、部室棟へつながる外廊下を歩いていた。外はすっかり夏の気配だが、石の回廊はひんやりとしていて、涼しさが心地よい。テスト前期間で部活動が停止中のため生徒も少なく、回廊には自分一人分の足音だけが響いている。
「またテストなんて受ける羽目になるとは……」
私は肩を落としてため息をついた。転生前はもうすっかり社会人だったため、学生時代のテストからは解放されて久しい。ストイックに学力を積み上げていくことは、業務の荒波を乗り切っていく社会人の日々とはまた違ったキツさがあった。
とはいえ、そこは社会人チートとでも言おうか、国語や数学などの基本的な教科はそれなりにどうにかなっていた。特別教科の魔法はもちろん大得意だ。ここは特待生のプライドとしても落とすわけにはいかない。問題は、前世にはなかった教科……
その時、ふと視界の端に金色が横切った。
ほとんど反射のようにそちらを見ると、中庭を挟んだ対面の回廊にしばらく見かけていなかった金色の髪が揺れている。ロイアスだ。
思わず立ち止まる。あちらは私に気がついていないようだった。
ロイアスを見かけるのはあのガーゴイル襲撃以来だ。挨拶くらいはしに行くべきか、いやわざわざ挨拶のために中庭を横断して行くのも……などと逡巡して足踏みをしていると、ロイアスが視線に気がついたようにこちらを見た。
目が合った瞬間にはもう、彼は中庭へ足を踏み出していた。中庭に降り注ぐ夏の日差しが、彼の金の髪に透けて光っている。
ロイアスは大股で中庭を横断すると、私の前に立った。
「アイリス、ちょうど良かった」
「殿下。お久しぶりです」
今日のロイアスは制服だった。夏服ではあるが、マントが少し暑そうだ。
「そうだな、事後処理でなかなか学園に来られなかった。その後、問題はないか?」
「はい。なんともないです」
ロイアスはそうか、と言って少し微笑んだ。
「シリルから襲撃事件の聞き取りは受けたか?」
「はい、師団の方とも一緒に。現場検証もしました」
「そうか。ご苦労だったな」
急に歩き寄ってきたので少しだけ驚いたが、ガーゴイル襲撃の事後処理について聞きたかったようだ。本当に真面目というか、仕事人間というか……などと考えているとロイアスが私の持つ勉強道具へ視線を向けた。
「部室へ行くところか?」
「あ、はい」
「そうか、では行こう」
そう言ってさっさと部室棟へ向かって歩き出した。今の会話で用事は済んだように思えたが、なんだか聞くのはためらわれて私はそのまま彼について歩いた。
魔法戦術部の部室に着くと、当然ながら誰もいなかった。ほぼ住み着いているエドガーすらもいない。部室に来ると勉強そっちのけになるため、レンフィールド先生からテスト期間は部室禁止令が出されているなどという噂を聞いたが、本当かもしれない。
私はいつも座っている窓際の対戦テーブルに勉強道具を置いた。いつもは出しっぱなしのマギアボードも流石に片付けてある。
「いつもここで勉強を?」
ロイアスは私に話しかけながらマントを脱いで手近なソファに軽く投げた。夏服の首元をくつろげ、白いシャツ姿になっている。いつも過剰なくらいにかっちり着込んでいるイメージがあるので、少し意外な姿だ。
私はちょっとジロジロと見すぎてしまった気がして勉強道具へ視線を移した。
「図書館はこの時期ちょっと混むので。自室はついだらけちゃいますし……」
ロイアスはそのまま私の向かいの席へ座った。
「テスト勉強は順調か?魔法の成績は良いと聞いたが」
王太子ともなると一生徒の成績も把握しているのか。せめて把握しているのが魔法の教科だけである事を祈りつつ、私は歯切れ悪く答えた。
「まあ、あの……それなりに、というか」
「?」
ロイアスが怪訝な顔をする。黙っているのは許されなさそうで、私は早めに白状した。
「……教養がちょっと苦戦してます」
「教養……」
苦笑いする私に、ロイアスはなぜか思案するような顔をした。
「そうか、君は叙爵したばかりだったな。気が回らなくてすまない」
「え!?なんで殿下が謝るんです?」
「爵位を与えたのは俺だ」
「ま、まあ、それはそうかもしれませんけど……」
私が苦戦している教科は「教養」だった。
学園での教養の科目は貴族と平民で内容が変わる。貴族の場合は礼儀作法やマナーなどの基礎的な内容から、国内貴族の構成や歴史などまで幅広い。とはいえ一般的な貴族子息であれば子供の頃から家で教わる内容のため、そこまで苦戦する事もない。だが、私はついこの間まで平民だったのだ。ほとんどが一から覚える内容ばかりでかなりの苦戦を強いられていた。
「どこが分からない?」
そう言ってロイアスは教本を覗き込んだ。
金色の前髪がさらりと額にかかる。
「だ、大丈夫ですよ。自分でできます」
「ん……まあ、少しくらいは手助けさせてくれ」
ロイアスは向かい側から教本をめくりながら目だけでこちらを見た。
「たまには俺も役に立ちたいからな」
「たまにはって……」
たまにはも何も、そもそも私が彼の役に立った覚えなどない。何か思い違いをしているのではないだろうか。
ロイアスが何を言っているのか正直まったく分からなかったが、目の前で頬杖をつきながらゆるく微笑んでいる彼に、何も言うことができなかった。
「ええと……貴族の世襲ルールとか」
「ああ、確かに少し複雑だな。ここは例えば……」
そう言ってロイアスは淀みなく解説を始めた。抑えた声量なのに聞き取りやすい、低くよく通る声だ。王太子たるものボイストレーニングも受けたりするものなのだろうか。
「……!なるほど!つまりこの場合はこうなると……!」
「そうだ。法則さえ覚えてしまえば後はそう難しいものではない」
「法則と思えば覚えられそうな気がしてきました」
「君ならそうだろうな」
単語の羅列にしか見えていなかった教本に法則性が見えてきて、私は急にやる気が出てきていた。ノートに理解した事柄を書き込んでいく。
しばらく黙ってそれを見ていた様子のロイアスが口を開いた。
「褒賞を断ったそうだな」
「そんな大した事、してませんし」
私の返答にロイアスは片眉を上げた。
「君はたまに、俺がどういう人間なのか忘れているのかと思う事があるな」
「王太子殿下です」
「大したことだろう」
「それはそうなんですけど」
「まあ、無理に貰えとは言わないが」
ロイアスは小さく息を吐いた。開いた窓からの風が髪を揺らしている。ロイアスは窓の外を眺めながらポツリと言った。
「少しくらいは礼をしたいと思ってな」
私もつられて窓の外を見る。視界の中に学食の建物が見えた。そういえば勉強で疲れた脳が糖分を欲している気がする。
「ケーキ……」
「ん?」
つい思ったことがそのまま口から出てしまい、私は慌てた。
「あ、いやあの、じゃあケーキを奢って頂くというのは、どうでしょう」
「そんな事でいいのか?」
「ケーキは“そんな事”じゃありません!やる気を出すために、教養で平均点以上を取れたらでどうですか?」
「ああ、分かった」
フィオラのおやつ半年分もまだまだ残っていたが、甘い物はいくらあっても困らない。
私は降って湧いたケーキのチャンスを現実のものとするべく、教本に向き直った。




