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最終話 ヒュントヘン家の仔犬姫

「新郎、あなたは、建国王と仔犬姫のように、互いを支え、愛し合うことを誓いますか」

「誓います」

「新婦、あなたは、建国王と仔犬姫のように、互いを支え、愛し合うことを誓いますか」

「誓います」

「それでは、誓いのキスを」


 新国王の戴冠から一年後の今日、この国でもっとも煌びやかな夫婦が誕生したーーすなわち、結婚式である。

 つまりは、先の王の喪が明けてからも一年、その間自粛していた祝い事によって、その分の資金はそっくり結婚式の費用へと変わり、全ての民へ小麦や肉といった褒賞を配ってなお式をきらびやかなものへと変えるだけの余裕すらあった。

 花嫁の後ろについてくる純白のトレーンは、それこそ教会を一周できるのではないかと噂になるほど長く、まさしくこの世の春とうたうべき国の権威を示している。


 ハスキー、マルチーズ、シー・ズー。はたまたウルフドッグ。あまたの犬たちによって咥えて運ばれる長いトレーンには、純白の薔薇「シャルロット」の花びらがまぶされており、透き通るように麗しい花嫁にふさわしく、見ているものに華やかな印象を抱かせるものだった。

 また、いつも黒を好む新郎は、今日は花嫁とそろいの白い礼服を纏って、その青い目と、濡れたような黒髪でもって、整った顔立ちをきわだたせる。


 とはいえ、ヒュントヘン家の一族にはもちろん、母たる王太后にすら直前まで忘れられていた彼の衣装をそろえたのは式直前のたった一か月。……仕立てた人間にはかなり大変な仕事だっただろう。

 結婚式の主役は花嫁!花婿は付け合わせのパセリよ!と言い切ってはばからない女性陣の強さとうっかりを垣間見た瞬間だった。

 まさか式の手配をした大臣の一人に言われるまで誰も気づかないとは思わなかったが。


 しかし自身と唇を合わせて顔を赤くした花嫁を見れば、たしかに、花婿の衣装など忘れてしまうだろうなとも思う。だってアルブレヒトがそうなのだ。


 銀の髪に、少しだけ入ったこげ茶は複雑に結い上げられ、ヴェールにはたくさんの薔薇と、王妃の証たるティアラが配置に細心の注意を払って飾られている。   

銀の睫毛に縁どられたエメラルドグリーンの目は、照れくさそうに細まって、薔薇のように染まった頬が愛らしい。

 華奢で小さな体は、けれど背を伸ばして立つだけで、周囲を清廉な空気に一新するような威力めいた美しさを放っている。


 シャルロットの準備をした侍女たちは、完成したと同時に、そろって建国王と仔犬姫に祈りを捧げ、滂沱の涙を流した。

 このために生きてきました!とシャルロットを困惑させるほどだったらしい。


「国王陛下!おめでとうございます!」

「王妃殿下、万歳!」


 王城の中にある教会で式を終え、バルコニーへと腕を組んで歩いた二人は、微笑んで手を振る。

 祝福された新郎新婦を、誰かが呼ぶ。雪解けの国王夫妻、春の国王夫妻、と。

氷の王太子にからめた言葉だろう。だが、もはやそこに悪意はなかった。


 シャルロットは、手に持つ白薔薇のブーケをそっと放った。

 花嫁のブーケを得たものには幸福が訪れる、という言葉を覚えていたのかもしれない。

 風に乗って、ふわりと放物線を描くように飛んだそれを、国民らはほほえまし気に、あるいは熱意を込めて見つめる。

 ――瞬間、ものすごい勢いで疾走し、高く飛び上がってそのブーケをつかみ取った人影があった。

 その女騎士は、尻尾がついていたら振り回しているくらいに頬を紅潮させてシャルロットを見ている。


「シャルロット様!見てください!とりましたよ!」


 などという声が聞こえてきそうだ。

 シャルロットが笑った。


「マルティーズったら、とってこいではないのだから」

「あ、ヴィルが追いかけて行ったね」

「本当。お兄さま、本当にマルティーズのことが好きなのね」

「あ、あしらわれてる」

「まあ、ふふふ」


 シャルロットは、ふと、アルブレヒトを見上げた。


「アルブレヒトさま。わたし、建国王と仔犬姫に誓ったけれど……あなたに伝えたいことがあるの」

「なんだい?」

「わたし、あなたのことが好き。あなたのすべてに恋をして、あなたのことを、全身全霊で、愛している」

「僕も、君が好きだ。君のすべてに恋をしている。この世のすべてを塗り替えるくらいに、君を愛している」


 アルブレヒトに返されたシャルロットは、一瞬目を丸くした。そして、心からの微笑みをうかべてアルブレヒトの胸に頬を摺り寄せる。


「ねえ、アルブレヒトさま。もう一度言って?」

「もちろん、僕は君を――」


 言いかけたアルブレヒトの唇を、バルコニーの手すりで体を支えたシャルロットが、伸び上がるようにしてふさぐ。

 麗しい国王夫妻の口づけに、民衆はわき立った。

 やられたな。アルブレヒトは、口の端をあげて、好戦的な笑みを浮かべた。シャルロットを抱きしめて、腕の中、微笑む彼女に噛みつくような口づけを返す。

 初夏の緑が萌える。シャルロットは、両腕をアルブレヒトの背に回した。

 いつまでも初々しく、恥ずかしがってアルブレヒトの胸に顔を隠すシャルロットが愛しくてならない。

 告げた言葉はたった三文字。これが、すべてだった。


「――好きだ」









 ラルヴァ―ナ大陸は南、アインヴォルフ王国の歴史に名をのこす、偉大なる名君――アルブレヒト・アインヴォルフ。 かの王は、当時の王族には珍しく、「愛犬」を伴わない王だった。

 かわりに、生涯彼にずっと寄り添った存在――シャルロット・シャロ・ヒュントヘン・アインヴォルフという名が、かの王の在位中の歴史書には多く記述されている。

 国王の最愛の王妃だった彼女は、神話の仔犬の再来とされたが、本当のところはだれもわからない。建国王の再来と呼ばれたアルブレヒト王と同じように。

 シャルロット王妃は、まさしく多産の犬のごとく、4男3女という数の子を産んだ。


「そして、むつまじい王と王妃は、老衰で二人同時期に亡くなるまでずっと隣同士で寄り添っていた……このあとの資料、どこにあるんだろう」

「右上の棚、左から三番目だよ、シャル」

「先輩!」


 先輩と呼んだ青年に駆け寄った少女は、まるで仔犬のように青年に抱き着いた。


「先輩、今日は学会に行ったのでは?」

「君に会いたくて、早く帰ってきてしまったんだ」

「ま、お上手ですねえ」


 あきれながらも嬉しそうにする少女は、ふるふると肩まである銀髪を振りおとし、エメラルドグリーンの目を細めて言った。


「でも、抱きしめてくれたから許してあげます」

「シャルは本当に、僕に抱きしめられるのが好きだね」


 黒髪の青年は少女を抱く腕に力を込めてほのかに笑った。

 少女は、そういえばそうですね、と少し不思議そうに首を傾げて――ややあって、嬉しそうに答えた。


「先輩に抱きしめられてると、なんだか、えっと、息がしやすいんです!」

「――……」


 いつもの質問に返ってきた、初めての答え。

 ふ、と、青年は、その言葉を聞いて腕をこわばらせた。

 背の低い少女の肩口に顔を埋めて、落ち着くようにゆっくりと息をする。


「……先輩?ど、どうしたんですか?どこかけがを?」

「そうだね、シャル」


 青年の、青い目が少しだけ揺れた。どうしようもなく幸せで、どうしたらいいのかわからなかった。


「君は――いつだって、そうだったね」

「先輩?」






 ラルヴァ―ナ大陸の南半分を占めるアインヴォルフ王国。今も人々のあこがれの象徴として輝き続けるこの国には、かつて愛すべき仔犬がいた。透き通るように美しく、ひとりの人をずっと愛し、愛された彼女は、真に姫君だった。



 建国王と、仔犬姫は何度だって出会い、恋に落ちる。

 誰も覚えていない、遠くの未来でも――そう、きっと。



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