3
2日目は昼ごはんの後、図書館でフェルと話し会っている。
私は無意識に、膝の上にある本に視線をやっていた。[王家の血筋 不老に悩む者へ]というタイトルの本だ。
フェルは自分のルーツを、包み隠さず話してくれた。まるでおとぎ話のような、現実とはかけ離れた
世界の話し。そう感じてしまった。
フェルが私の目を覗きこむ。何か言おうとして、再び口を閉ざしてしまった。寂しげに伏せられた瞳に、私は胸が苦しく感じる。
フェルはソファから立ち上がり、扉の方へ向いた。
彼の手を握って、引き留める。
握り締めて、私は放さない。手を放しまったら、フェルは自分の生まれを怨んで、心を私から離してしまう。
そんなの嫌だ。
「今まで他の人達を見て、いいな、いいな、って思ってて……。だけど今は違う。フェルが教えてくれたんだよ。恋人の温かさ、幸せの見つけ方」
私の目じりに溜まった涙に、フェルはキスをした。
「アカネ、元の世界に帰りたいと、思うだろう。その時に―」
「ないよ」
嫌でも思い出す。
白い蛍光灯が、私を照らし続けている。
外は昼なのか、夜なのか。視線を横に向けて見える数字は、時計じゃなくて、心電図だった。私の。
あの絶望の日々は、終わったんだ。
「元の世界に、帰りたいなんて思わない。私は向こうで死んでいるから」
手から伝わる、フェルの体温を感じる。
「フェルが、私の居場所を作ってくれた。ありがとう」
向き合うように体勢を変え、フェルは左手で私をグッと引き寄せた。
心を通わせる触れ合いじゃない。熱い息が視線が、私に降り注ぐ。
背中に当てられていた、彼の手が動く。私の体のラインを沿うように。
不意に、フェルが離れた。まるで自分を押し殺すようだった。
「駄目だ。まだ、駄目だ……」
私はいつの間にか、体を強張らせていたみたい。
フェルが立ち上がり、扉の方へと歩いていく。
違う。違うの。待って、お願い。
「フェル!」
ゆっくり振り向いたフェル。図書館の扉が向こう側から開いて、逆光でフェルの表情が見えない。
「時間が惜しいと思ったのは、始めての経験だ。意義のある日々は、愛しい者が居てくれるからこそだと分かった。俺からも、感謝の気持ちを伝えたい。ありがとう」
背を向けて歩きだした彼を、私は止められなかった。
「ありがとう」が、哀しげに満ちた声だった。まるで「さよなら」と言われたみたい。
扉を開けた人が向こうから声をかけた。
「フェルウォーク様、会談のお時間になりました」
「ああ、今行く」
フェルが行ってしまった。扉が閉まる音がやけに、大きく重く響いた気がした。
私は、フェルを傷付けたんだ。
書の狭間で、ナッツ入りのクッキーを頂いている。いつもなら美味しい美味しいって、ぱくぱく食べちゃうのに、喉に通すのが億劫だ。
ミトさんが紅茶を淹れてくれてる。沈んだ気持ちが、顔に現れていたのかも。気遣って声をかけてくれた。
「喧嘩をしましたか?」
「んー……違うの。なんていうか、こう……。応えられなかった、というか」
あいまいな説明しかできなかったけど、ミトさんは分かってくれたみたい。私の目線に合わせてしゃがみ、諭してくれた。
「相手の気持ちに応えたい、というお気持ちを否定しません。ですが、心を置きざりにしたままでは、御自身が傷付きます。速急はなりません。……幸い、フェルウォーク様も、時間がおありになりますから」
先程まで膝の上にあった本が、思い出される。
「私はフェルほど、時間ないよ。だから焦っちゃうんだ。喧嘩じゃないけど、でも仲直りしたい。どうすれば、いいのかな……」
ミトさんは顎に指を当てて、真剣に考えてくれた。
本当は私自身が考えて、答えを導き出して、行動しなくちゃいけない事だ。
でも、怖い。
失敗できない。
初めての恋人を、失いたくない。
「フェルウォーク様は、アカネ様が好き。それだけで、十分でございましょう」
心にあった、もやもやとした感情がスッと消えた。不思議と思い、顔を上げる。
立ちあがったミトさんは、優しげな表情だった。
「何もしない、という選択肢はいかがですか?」
「……どういうこと?」
「権力を取り戻すべく、尽力をされておられる所でしょうから。フェルウォーク様とデートする日を、心待ちしていましょう」
ようするに。忙しいから邪魔しちゃ駄目よ、て事かな。
「フェルウォーク様の周囲に、危険が及びます。アカネ様、部屋の外に行かれる際は、お声をかけて下さい」
「わかった。でも、フェルは大丈夫なの?」
「城内はサイダス様方、騎士がおりますから。問題は外で傷を負われた際、陛下がお怒りになるということです」
「なるほどー」
なるほどと言いつつも、実際はよくわかってない。
フェルは王族で、王様の家族。攻撃されたら、怒るよね。なのになんで、邪魔扱いする人達が居るんだろう。悲しいじゃない。
机に広げていた、古文書を片付ける。
「フェルのお父さんって、すごかったらしいね」
歴史書に書いてあった知識だけど。
「お嫁さんを貰いに、他国に圧しかけたとか」
「ふふっ。あの時は、御父様に震えました。」
思わず愚痴をしてしまった。
「親子なんだね。フェルも、強引なところがあるんだよ。もう少しさ、ゆっくり絆を深めていきたいのに……」
片付け終えたころに気付く。今の会話に、少し違和感を感じた。
ミトさんを見る。
ミトさんが首を傾げて、束ねている蒼いポニーテールが揺れた。
「いかがなさいましたか? クッキーのおかわりでしょうか?」
「ううん、違うよ。もうすぐ夕飯だから、おかわりは止めとく」
古文書を所定の場所に置いて、椅子から立ちあがる。
「夕飯にフェルと会ったら、なんて話そうかな……」
書の狭間から出て、部屋へと向かうべく、廊下を歩き出す。
昨日の夜は、部屋で夕飯を一緒に食べた。恋人が出来たという嬉しさで、全然覚えてないけど。
フェルは、悲しんでいた。自分が拒絶されたと思って。何もしない、という行動が難しい。
「こちらに、いらっしゃいましたか」
廊下の向こうから人が来た。
誰だろうと思って気が付く、先程フェルを迎えに来た人だ。
私の変わりに、ミトさんが対応してくれる。
「何かご用でしょうか?」
「伝言でございます。フェルウォーク様に、接触するのは今後止めて頂きたい。人質をなくしてよいのか? 以上です」
「伝言しかと聞き届けました」
伝言係りの人の背中を見送り、完全に見えなくなった所で聞く。
「人質って……私の事?」
「フェルウォーク様です」
「ええっ? なんで?」
「複雑な事情がありまして」
「私、フェルに会えなくなるの?」
ミトさんが、私の頭をやさしく撫でてくれる。
子供をあやす、お母さんみたいだ。
「哀しげな顔を為さらずに。数日以内には、可能となるよう整えます」
「私、邪魔者かな?」
「いいえ。そんな事はございません。フェルウォーク様が、動かれたのです。全てはアカネ様のため。これ程すばらしい事は、ありませんよ」
これは照れてもいいのかな。
「ふふっ。王城の膿共を絞り取る良い機会です。手加減は致しません」
ミトさんが、時々こわいです。