小さな奇跡の調香師と、親バカな死神
あの幸せなご懐妊の発表から、数年の歳月が流れました。
現在のアスラン辺境伯領は、かつて魔障気に覆われていた面影などどこにもなく、一面に美しい四季折々の花々やハーブが咲き誇る、王国一の「香りの都」としてその名を轟かせています。
私が開発した数々の調香水は、今や王宮や隣国の最高位貴族、さらには聖騎士団の公式回復薬としても採用され、我が辺境伯家は国家の経済を動かすほどの絶大な影響力を持つようになっていました。
そんな平和で豊かな領地の中央にそびえ立つアスラン城で、今日も賑やかな声が響き渡ります。
「お父様、見てください! シャルが新しいお香を作りました!」
トトトト、と小気味いい足音を立てて私の調香室に飛び込んできたのは、今年で三歳になる私たちの愛娘――シャルロッテでした。
ギルバート様譲りの美しい黒髪に、私と同じ新緑のようなエメラルドグリーンの瞳。まるでお人形さんのように愛らしい彼女は、私の腕にすっぽりと収まると、小さな手で一つの小瓶を掲げて見せました。
「まあ、シャル。自分で調合したの?」
「はい! お父様がいつもお仕事で疲れているから、クスクス(クスノキのハーブ)と、お星様の花を混ぜて、まじゅつを少しぽんってしました!」
小瓶の蓋を開けると、優しく清涼感のある、それでいて心がじんわりと温かくなるような極上の香りが室内に広がりました。
驚いたことに、シャルの魔力は三歳にしてすでに私の調香技術を驚異的なスピードで吸収しており、ただの良い匂いではなく、精神を完璧にリラックスさせる「一級品の安眠香」のベースを自力で完成させていたのです。
「素晴らしいわ、シャル。完璧な黄金比率よ。これならお父様も一瞬で――」
「――何だと、シャルが俺のために香水を作ってくれたというのかっ!!!?」
バァァァン!!!と、もはやお約束となった大音量で調香室の扉が開かれました。
仕事中のはずのギルバート様が、まるで宝物を見つけたかのような血相で部屋に踏み込んできます。数年の歳月を経て、大人の大人の渋みと覇気を増した『氷の死神』ですが、家族の前での親バカぶりと過保護ぶりは、衰えるどころか年々悪化していました。
「お父様!」
「ああ、我が愛しの天使、シャルロッテ……! 俺のためにわざわざその小さな白い手で薬草をすり潰してくれたのか!? ああ、なんて健気で愛らしいんだ……! おい、セバス! 今すぐこの香水を我が辺境伯家の『第一級家宝』に指定しろ! 額縁に入れて俺の執務室の机の真ん中に飾る!」
「閣下、香水は飾るものではなく、使うものでございます。それに、毎日使う執務室の机に額縁は邪魔かと」
後ろからついてきた側近のセバスさんが、一ミリも動じない冷徹なトーンでツッコミを入れます。
ギルバート様はシャルの作った小瓶を、まるで世界一の至宝を扱うようにそっと受け取ると、その場で優しく香りを吸い込みました。すると、日々の激務で少し疲れていた彼の美しい顔が、嘘のように一瞬でとろけるような笑顔に変わります。
「素晴らしい……! 疲れが完全に消え去った。さすがはエレナの血を引く、我がアスラン家の最高傑作にして奇跡の申し子だ。シャル、お前は天才だ!」
「えへへ、お母様が教えてくれた通りにやったの!」
ギルバート様はシャルを抱き上げると、その愛らしい頬に何度もすりすりとしています。シャルもキャッキャと嬉しそうに笑っていました。
かつて実家では、私の調香の才能は「無能の雑用」として地下室に踏みにじられ、妹のリリアの引き立て役にされていました。
けれど今、私の愛娘は、世界で最も強い父親からその才能を全肯定され、世界で一番甘やかされて育っています。
ギルバート様はシャルを片腕で抱っこしたまま、もう片方の腕で私の腰をそっと引き寄せ、額に優しい口づけを落としまし
「エレナ。今日も世界一美しい。お前と、そしてシャルという宝物を授けてくれた神に、俺は毎日感謝している」
「ギルバート様、もうシャルが見ていますよ?」
「いいじゃないですか、お母様! お父様はお母様が大好きなんですもんね!」
シャルがませた口調でクスクスと笑うので、私は恥ずかしくなって彼の胸に顔を埋めました。
私をゴミのように捨てた実家のボルドー伯爵家は、今や王都の誰も名前すら思い出さないほど完全に歴史の底へと没落しました。
ですが、私たちが築いたこのアスラン辺境伯家は、本物の『奇跡の香り』と共に、どこまでも温かく、笑顔の絶えない未来を歩み続けています。
私を冷たい地下室から連れ出してくれた、世界で一番愛する旦那様。
そして、私たちの愛の結晶である、小さな愛娘。
幸せに満ちた花の香りに包まれながら、私はこの温かい腕の中で、永遠の幸福を噛み締めるのでした。




