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殺害禁止(がまん)の1時間

「――残り四十分」


うっそうと葉を茂らせる亜熱帯の原生林を吹き抜ける熱風の中、樋口錬児はボロボロの木漏れ日の下で、首から下げたサバイバルバッグの中身を泥の上にぶちまけていた。


ポリプロピレンの広口ボトル、濃硫酸の小瓶、硝酸カリウムの結晶パウダー、少量のグリセリン、そして医療用の脱脂綿。一見すれば無造作に放り込まれた不親切な教材のようだが、錬児の頭脳の中では、これらの元素記号が一瞬で複雑な反応式となって組み上がっていた。


「錬児……それって……」

「煙幕と、即席のニトロ化合物……接触起爆式の微小爆薬が作れる。道具さえ揃えば、この島にある植物の油脂を使って発煙弾の増量も可能だ」


手袋をはめた手際よい動作で、錬児は薬品の小瓶を安全な保護ケースへ詰め替えていく。冷たい汗が頬を伝い落ちるが、指先に一切の迷いはない。


「一番近い『旧給水塔』は危ない。あそこには重火器を持った連中が集まる。俺たちはあえて二番目に近い『廃果樹園の管理小屋』を目指す。そこなら高低差を利用して視界を確保でき、調合した薬品の煙幕を最大限に活かせる」


錬児の言葉はどこまでも冷静だったが、その瞳の奥には熱い光が宿っていた。


「……詩織。周りがどう動こうと関係ない。俺の最優先事項は、お前を生かしてこの島から連れ帰ることだ。どんな危険な賭けになろうと、お前を一人で危険な目に合わせたりはしない」


「錬児……っ」

金属製ヌンチャクのチェーンを硬い音で鳴らしながら、小渕詩織の胸が熱く震えた。乱れた制服の胸元が、激しい鼓動に合わせて上下している。


「ねえ、錬児……。私たちみたいに戦う力のない子たちは、このあとどうなっちゃうんだろう……。桃香や玲奈たちも、今頃どこかで怯えているはずよ。あんな子たちが、この殺し合いの島で生き残れるわけがないわ……」


詩織の瞳に、親友を案じる切なさと恐怖の色がにじむ。自分の身を守ることで精一杯になりそうな状況でありながら、なおも友達を気にかけるその優しさに、錬児はぎゅっと拳を握り締めた。


「……気持ちは分かる。だが、今は自分たちの身を守るのが精一杯だ。お前が生き残ることが、結果的にあいつらを救うことにも繋がる。……頼むから、俺から離れないでくれ」


錬児の必死なまなざしに、詩織は潤んだ瞳を大きく見開いたのち、力強く頷いた。


「分かったわ、錬児。どんな奴が襲ってきても……このヌンチャクで、絶対に錬児の背中は渡さない。錬児を死なせるくらいなら、私が先に盾になる」

「バカ言え。二人で生き残るんだ。……行くぞ」


二人は息を潜め、島を覆う深い鬱蒼とした木々の迷宮へと足を踏み出していった。


◇


その頃、島内の別エリアでは、殺戮解禁のカウントダウンを前にした「歪んだ秩序」と「圧倒的な恐怖」が着々と形作られていた。


「おい、離れろ! 近づくなっ!!」

「嫌だ、助けてくれよ! 一人は嫌だぁッ!」


丸腰のまま放り出された赤木駿や石川薫、斉藤陽菜らは、パニックのあまり悲鳴を上げながら無目的に逃げ惑っていた。互いに助け合おうとする友情など、首輪の冷たい金属感の前に一瞬で霧散している。


うねるような密林の小高くなった岩場の上では、九条頼斗が手元に支給された一本のカレー用スプーンを優雅に指先で回転させていた。

その背後には、彼が放つ圧倒的な支配力に屈した「九条軍団」の面々(佐々木悠真、松本翔平、藤田拓海、安藤葵、井上蓮、小林慎之介)が、完璧な陣形を組んで控えている。


さらに、原生林の薄暗い一角では、坂井莉ノ率いる**悪女5人組**が不気味に寄り集まっていた。

サブマシンガンを肩に担いだ坂井莉ノが、冷ややかな笑みを浮かべながら仲間に声をかける。

「ねえ、みんな。支給品は何だった? 私、催涙スプレーと毒針のセットよ」

「私はこれ、小型のサバイバルナイフ。切れ味は抜群ね」と、一人の女子生徒が刃を舐め回すように見つめる。

「最初に襲うなら、さっきから泣き叫んでるだけの無力なモブがいいわよね。簡単にいたぶれるし、ポイントも稼げる」

「賛成。1時間経ったら、まずは手頃な獲物を狩りに行きましょうよ」

悪意に満ちたクスクスという笑い声が、じめっとした空気に溶けていく。


その頃、別の場所にある深い木陰では、伊藤桃香が膝を抱えて激しく震えていた。

「こわいよお……どうしよう玲奈ちゃん……」

「大丈夫、私が絶対に守るから……!」

北条玲奈は手渡された投げナイフの束を震える手で握り締め、必死に親友の桃香を宥めながら周囲を警戒していた。


島内のあちこちで、豪島剛、漆原玲、結城シノ、西園寺琉生、峰岸みなみらがそれぞれの凶器を手に、静かに殺意を研ぎ澄ませている。


逃げる者、狩る者、待ち伏せする者、牙を研ぐ者。

あらゆる欲望と殺意が交錯し、島全体の空気が重く、息苦しく凝固していく。


タイマーの数字が、無情にも最後の数秒を刻み始めた。


『00:00:05』

『00:00:04』

『00:00:03』


「――来るぞ、詩織」

「うん……っ!」


錬児は詩織を背中に庇うように前に出し、サバイバルバッグの中の薬品ボトルに指をかけた。

詩織はヌンチャクのチェーンをギチ……と締め上げ、鋭い眼光で前方の暗がりを見据える。


『00:00:02』

『00:00:01』


――ピッ! ピッ! ピピピピピピッ――!!!


島内にいる全生徒六十名のスマートフォンが一斉に、耳を刺すような甲高くて無機質なアラーム音を爆発させた。


直後、島全体を覆うスピーカーから、GM宮世琉弥のヘラヘラとした、しかし死神のように冷徹な声が響き渡る。


『――はーい、一時間の「殺人はがまんしてね」タイムは終了だ! これより、第一日目のゲームを正式に開始する! 最高の地獄を楽しんでくれよ、金の卵ども!!』


カチリ、と世界が切り替わる音がした。


「殺害禁止」という最後の理性が完全に弾け飛び、絶海の孤島は一瞬にして、同級生たちが互いの喉笛を噛みちぎり合う惨劇の檻へと変貌を遂げた――!

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