第3話 響く声
私が七歳になった頃、被害者ヅラが得意で、自分自身が大好きでしょうがないお母さんは、一人で家から出て行きました。
正直、ホッとしています──
むしろ、ようやく腹を決めてくれたかという思いです。これで宗教団体の講堂へ連れて行かれることも、不毛な夫婦喧嘩の音に苛まれることもなくなるでしょう。
なにより、将来、私が結婚を催促される心配もなくなったわけです。
責任を果たせなかった人達に、責任を問われる筋合いはありませんからね。
ちなみに父親と叔母三人を合わせた四兄弟は、全員が離婚を経験しています。
そして、四人共、自分に落ち度があるだなんて、少しも考えてはおりません。
容姿も性格も、全員そっくり。不都合があれば、とりあえず喚き散らかして誤魔化そうとする。反省なんか絶対にできやしない。
従兄弟たちも似たようなモンです。遺伝情報とは斯くも正確無比に受け継がれるのかと思い知らされるよう。
彼らと同じ血を引いている私も、たまたま弱い立場で自我を抑圧されているだけであり、人並みに羽を伸ばせる環境で育っていれば、自然とあんな風に成り下がっていたのでしょう──平気で人を傷付けて喜ぶようなクズに。
現状においても、本質的なところは結局同じなんだと痛感しております。都合が悪くなれば、なんでも他人のせいにして、ろくに反省もできない辺りが……。まあ、それは母親似でもありますが。
自己分析するに、私という人間は、心身がそれなりに疲弊しているのをいい理由に、楽な方へと流されやすい性質なのです。
とにかく早く楽になりたい。
死ねば楽になれると安易に考えているわけですが、ちゃんと死に切れない甘えまである。いつまでも自殺を完遂できないから、いつまで経っても生まれ落ちた地獄から逃れられない。
名誉も尊厳もとことん踏みにじられてきたが故に、その行動にはプライドの欠片も無く。
──だから、たったの一年で根を上げました。
父親と二人での暮らしに耐えられなかったのです。
名前を呼ばれたら、すぐに返事をしないと怒られる。
父親が自分の鍵を忘れたら、玄関ドアを激しく蹴って、寝ている私を起こして開けさせる。
……など、とにかく神経を磨り減らします。
母親がいなくなった分、私を怒鳴る頻度も増えました。
離婚したのも私のせいらしいです。
夏期休暇でのお泊まりをきかっけに、私はおばあちゃんの家へ移り住むことになりました。そっちの方が労働訓練所からも近いという言い訳を使って。
おばあちゃんの家も団地でしたが、トイレとお風呂はちゃんと別々に分かれていました。
実家の団地だと、便器の隣でシャワーを浴びていましたので、清潔感がだいぶ違いますね。
一畳半の物置部屋でしたが、私が寝る場所も独立していましたし、生活レベルは大いに上がりました。
これがテレビまで大きいのですよ。なんと番組スケジュールが見られ、録画機能だって付いています。
チャンネル数も沢山あって、ずっと見たかった有名な音楽番組も映りました。
「本日のゲストは、天才シンガーソングライターにして、今をときめく男の娘系スーパーアイドル! チャンネル登録者数もついに五百万人の大台を突破ッ! まさにミッドギアランドのプリマステラ! 満を持してこの番組にも初登場……ナガレボシちゃんです!」
「こんみ~てぃあっ☆ ナガレボシでーすっ!」
特徴的なオーロラカラーのロングヘア、それとは対照的に控えめなデザインのステージ衣装。
なにより闇を彩る星々のような輝く満面の笑顔。
私が初めて見た、動く姿のナガレボシちゃんでした。
「それで、ハートマンの主題歌に起用されると決まった当時の心境って、どんな感じでした?」
「もちろん、すごく光栄で、とっても嬉しかったです! 小さい頃からずっと追っていたテレビシリーズですし。ただ、このタイアップは向こうから直接会いに来てくれた上で、案件を頂きまして……」
「へぇぇ……英雄崇拝から直々のオファーですか……」
「はい。なので正直、最初は戸惑いましたね。さすが、国を上げてやってる番組は違うなぁ~って」
「それだけナガレボシちゃんの作る曲に期待していたのでしょうね」
「ウハッ! そんなの他の方々も同じような対応ですって~」
「実際、SNSでも未だに評判がいいですよ。ハートマンにめちゃくちゃ合ってるぅう……とか、解像度高い~……とか、作品への深い理解が歌詞にもよく表れているなって。これだけ多くの人を魅了する力が、人気の理由なんでしょうね」
SNSっていうのは、世界中の人達がインターネットを通じて交流する場だそうです。
私はやったことがないので、何も解りません。PCもなければ、ネット環境のある家に住んだこともありませんし。
やってみたいとは思いますけどね。正直、とても憧れます。
「何か秘訣とか、普段、作詞作曲する上で意識されている事とかあります?」
「それはもちろん、情熱です! どんな世界でもそうだと思いますけど、ちゃんと真摯な気持ちを込めて作らないと、見てる人、聴いてる人の心には響かないので」
「なるほど……パッション大事ですよね」
「大事ですよ、超大事! 本当に一番大事! それは大前提として、やっぱりタイアップの場合だと、その作品へのリスペクトが必要不可欠なんですよね。ハートマンの歴代主題歌って、どのアーティストさんも、真面目なコンセプトソングを作っている印象が強くて、当然、ボクもそれに倣うべきだと思いました。ハートマンの事を、ボクなりの解釈で汲み取って、音にできたら……言葉にできたらいいなって!」
「そんな想いがこの曲にも込められているんですね」
「共感できる……なんて言ったら烏滸がましいですけど、愚直でいられる強さってあると思うんです。ポルカはあれだけ可哀想な人生を送ってて、周りからもヒドい扱いをされて、ヒドい事ばかり言われて……でも、どれだけ不名誉や害を被ったとしても、それでも、絶対に性根を曲げたりはしない。その上で、迷わず他人を助けちゃうじゃないですか。しかも、見ているこっちが照れちゃうくらい青臭くて恥ずかしい台詞を言って、それをただの綺麗事で終わらせず、ちゃんと有言実行するんです。暗い背景がありながらも、あそこまで心根真っ直ぐでいられるのは、強さだなぁ……って。初見の時も、そういう姿にすごいハッとさせられちゃって……ああ、なんだかんだで、こういう人が一番正しいんだろうなぁ……って」
「極めて模範的なヒーロー像として描かれていますよね。英雄崇拝による政策の一環ではありますが、単なるプロパガンダ作品ではなく、制作陣の熱意がちゃんと込められているからこそ、視聴者を引き込むことができるのでしょう」
「もう、まんまと感動させられちゃいました。だから、リアルで何かイヤな事があったとしても、ふとハートマンのことを思い出したりして、こんなところで挫けちゃダメだ……! ボクも頑張らないと……っ! って、己を奮い立たせるようになりましたね。もちろん、人によって、どうしようもない状況は沢山あると思います。それでも弱いことを理由に、自分を正当化しちゃいけないなって。心にどれだけ深い傷を負っていても、理想を叶えるための正しい選択は、いつも元気いっぱいで、いつでも直向きに、自分の信じた正義を貫き通すことなんだって。それはきっとハートマンを見ている子供たちにも、伝わっていると思うんです」
ミッドギアランドでは定期的に、全住民を対象とした適性検査が行われます。
その結果によっては、子供のうちからでも就職できたり、事業を始めたり、なにかしらの収入源を得られる権利が与えられます。逆にスコアが低ければ、大人でも仕事を取り上げられてしまう。
私は頭が良くないので、最近ようやく、簡単なアルバイトを始めることができるようになりました。
スーパーの食品レジ担当です。
まず職場がいい人ばかりで驚きましたね。世の中って、こんなにも思慮深い人格者が多かったのかと。
人の優しさやいい意味での厳しさに触れることで、己の不甲斐なさもより実感できますし、色々と社会勉強にもなります。
お客さんも多種多様な人間がいて楽しい。お会計後に、自分より小さい子供がお礼を言ってくれたりすると、すごく嬉しい気分になれます。なんだか、それだけで心が洗われるみたいで……。
対して、店員に無理な注文をしてがなり立てる年配の方もいるんですよ。いい歳して、みっともないったらありゃしない。
だから、知性や人柄に年齢なんて関係ないのです。
いい人は、子供の頃から気遣いのできる利発な子だったでしょうし、反対に悪い人は、いくつになっても精神が成熟せず幼稚なままなのです。
ナガレボシちゃんの言うように、ハートマンのことが大好きで番組を欠かさず視聴し続けている子なら、その根底にあるメッセージ性も容易に汲み取れるはず。
おっしゃるとおりでございます。その並外れたご慧眼には、平服せざるを得ません。
「伝わっているといいですね。ええ、本当に素晴らしいコメント、ありがとうございます。……いやあ、それにしてもナガレボシちゃん。可愛らしいルックスに反して、なかなかどうして、熱いですよねぇ~」
「えへへ、ただの月並みな感想ですよ。それに、ボクはこう見えて男の子ですから。誰かのために闘うヒーローって憧れちゃいます。まあ、それは別に男の子も女の子も関係ないんですけど」
「謙虚ですねぇ。その人柄も相まって、老若男女を問わず大人気! 熱狂的なファンも沢山いらっしゃいますが、彼らとの交流も盛んだとか」
「リスナーさんとは、主に配信やSNS上でのやり取りが多いです。エゴサしたり、リプ返したり、ファンアートのリポストとか……。あ……あと、ちょっとだけネトストしてみたり、なんて……。あんまり良くないんですけどね……本当は……」
「そうやって推し活を見守る中で、特に嬉しかった事はありますか?」
「んー、そうですね……。やっぱり、お手紙かなぁ」
ライブ配信だとかSNSだとか、その手の話題で盛り上がっている時は、基本的に付いていけません。
何を言っているのかも全く理解できず、自分には縁遠い世界の話を聞かされているみたいで、いつも寂しい気持ちになります。
どうせ、私には一生関係ないんだって……。
だけど今の言葉を耳にして、ハッとしました。
手紙──それなら、携帯端末さえ有していない私でも送れそう。
「ああ、ファンレター……みなさん、そうおっしゃいますよね」
「はい。手書きだと尚のこと、その人の心がより込められているように感じられて……本気で応援してくれているんだ……言葉温かいなぁ……嬉しいなぁ……って胸がいっぱいになります」
「大丈夫ですか? そんなこと言ったら、殺到しちゃいません?」
「もう全然、大丈夫です! お手紙が一番活動の励みになりますので、どんどん送ってきてほしいな! ちなみにボクは全部、目を通しています!」
「らしいですよ、視聴者の皆さん! ナガレボシちゃんへ応援の声を届けるチャンスです! これは送り先とか、センター宛てでも……?」
「はい、それでオーケーです!」
「だそうです! 本人もこう言っておりますので、遠慮無く、じゃんじゃん送ってもよろしいのではないでしょうか。……けど、配達日指定だけは絶対にしないで下さいね!? 一気に仕分けが面倒臭くなりますから! 俺はね、昔、ポストオフィスで深夜バイトをしててさ……生活保護以下の給料なのにワンオペでね……ただでさえ余裕無いのに、そこへアイドルコンサートのチケットが入ってきやがって、全通、配達日指定で、あれを捌くのが本当にもう、大変で、大変で……某芸能プロダクションの……そう、あの青い封書だよっ! 本当に大変だった!」
「待ってまーす! あえて検閲は通さないので、アンチ、反転アンチ、脅迫文、殺害予告、架空請求、ショールームの広告、回線契約のチラシ、なんでも正直に送ってきて下さ~い!」
「それは怒られるだけじゃ済まないので、どうか自重して下さいね~」
テレビを見ながら、バイト用のメモ帳を取り出し、勢いのままファンレターの下書きを始めました。
しかし、手紙なんて書いたこともないからか、とりとめのない文章しか出てこない……。
まあまあ、今はとりあえず、感銘を受けた言葉だけでも書き記しておかねば。忘れるわけがないんですけど、一応。
「えっ……時間押してる? 早く曲へ移れって? ということで、あまりにもトークが白熱してしまいましたが、閑話休題、そろそろスタンバイの方をお願いします!」
「はーい!」
「では、参りましょう! 歌って頂くのは、テレビアニメ"ハートマン&ロビンソン ~Mrs.ヌーディストの逆襲~"オープニングテーマ……『ライト・アップ・ザ・ハート』です。どうぞ!」
途端、ペンを走らせる手を止め、テレビ画面を凝視します。
「♪こ~の声がぁ~……枯れ~てでもぉ~……いつか、きっと、ずっと、ずっと、ずっと」
毎日のように口ずさんでいるあの唄が、よりライブ感のある肉声に近い音で、テレビのスピーカーから流れ出してきたのです。
そしたら自然と──
「あなたへ届きますよ~ぉにぃ~!」
──私もナガレボシちゃんの声に合わせ、歌い出していました。
なんの恥じらいもなく、いつもより大きな声で。
「♪キィ~ミがぁ、キ・ミ・の・た・め・に・ぃ! 歌った唄のことをぉ! 思ぉ~い出せなくてもぉ~! きっと! ずっと! 忘れててもぉ! 覚えてる場所ぉ! そこぉ~かぁ~ら響くぅだろぉぉおおう!」
しばらく一緒に歌っていましたが……いつの間にか、私は、その美しい歌声に陶然と酔いしれていたのです。
感動なんて言葉だけでは、決して言い表せない感情……。
この現象には、名前を付けなくてもいい。
心が、震えています。
「♪いつの日にかぁぁぁ! このぉカァ・ラァ・ダァ・がぁ! 終わ~る時がきぃぃてぇぇもぉぉ! ここぉ~からぁ歌うよぉ……(聞こえててほ~しいぃ~) 声は届くぅぅううからぁぁぁ……(キミのそのこぉ~えがぁ~) ボクのこのこぉ~えがぁ~……(枯れ果てたとしてもぉ~) 照らされた空っぽがぁ~……(崩れて消え~てもぉ~) 内側からぁ、零れだしたぁ、ことぉ~ばがぁほらぁ~……こえ~になぁらなぁいとし~てもぉ、歌ぁってくれぇ~るよぉぉぉおおお!」
盛大な拍手と共に、ナガレボシちゃんのパフォーマンスが終わって、余韻も束の間、すぐにCM入り。明けで何事もなかったかのように次のアーティスト紹介へと移りました。
私なぞ、まだ夢心地だというのに。たぶん、これは寝るまで抜けない。
素直に涙の一つでも流せたらいいのですが、あいにく、泣けない身体になってしまったようなので、こういう時はただ呆然とするしかありませんね。
ナガレボシちゃんへのお手紙は、それから一晩(結局、眠れなかった……)で書き上がりました。文才もないくせして、無駄に長くなってしまいましたけれど。
恥ずかしすぎて全文を載せる勇気はありませんが、要約すると以下のようになります。
ナガレボシちゃんへ。
はじめまして。
私の名前は、エコーといいます。
私は生きるのがツラくてどうしようもないと感じる時、いつも、アナタの『ライト・アップ・ザ・ハート』を歌って、生きていくための勇気をもらっています。
どれだけ寂しくても、「キミは一人ぼっちなんかじゃないよ」って、そう言われている気持ちになれるんです。不思議ですね。
ナガレボシちゃんが言っていた、「弱いことを理由に自分を正当化しちゃいけない」って言葉は、本当にそうだなぁと思いました。
私は結構、なんでも他人のせいにするクセがあるんだけれど、あんまり言い訳なんかしないように気を付けたいです。
私もナガレボシちゃんやハートマンみたいに、心が強い人になるため、頑張ろうと思います。
いつか、ナガレボシちゃんのライブにも行きたいな。
最近だけど、それが私の夢になりました。
いつも唄の中で、私のことを支えてくれて、励ましてくれて、本当にありがとう。
声が枯れても、ずっとアナタを応援しています。
……はい、ザッツ・オールでございます。
お目汚しだったことでしょう。大変、失礼致しました。
やれやれ、いざ文章にしようと思ったら、意外と言葉って出てこないモノなんですね。
多少は自意識過剰のきらいもありますが、所詮は子供の戯れ言なので、許してもらえるでしょう。たぶん。
そうやって拙いながらも、一生懸命したためた思いの丈を便箋に清書し、かわいい星のシールを散りばめるようにしてデコり、封筒に入れて糊で封をし、送り先をセンター宛てにして、裏には差出人である私の名前と住所を記載し、切手も貼って、いよいよポストへ投函しました。吸い込まれるように手紙が中へ落ち、カタンと無機質な音を立てます。
……なんか、これ、本当に届くのかどうか不安になりますね。直接、センターへ行けば良かったかな?
でも、そんなお金はないし……今さら遅いし……。まあ、いいでしょう。
きっと届きます。
届くといいな──




